ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

時の流れに Ⅹ

2016-06-05 00:15:43 | 日記
勿論こんなかっこ良くなかったけど、僕は大学3年に進級した。 それは、重く大切な選択を迫られる瞬間でもある。


何とか軌道に乗り出したバンドの道を進むのか? 薬剤師として就職するのか? ・・・ 僕は後者を選んだ。

当時、ドラムは Uさん。 コンサートで見かけた他のバンドから引き抜いた。 既に30代半ばだった彼にその決断を切り出すと、物静かな Uさんは信じられない程大きな声を上げ、何回も何回も殴られた。

翌朝 ・・・ 割れたグラス、飛び散った食べ物、押入れ前のカーペットに染み込んだ血、安いウィスキーの臭気 ・・・ 腫れてじんじん脈打ちながら痛む身体を騙し、数日かけ片付けた。 こうして、バンドの夢は終わった。


一方、本命の彼女とは大阪南港から志布志へ。 海ホタルが光る波。 スローモーションで恐ろしくゆっくりと浮き沈みを繰り返すデッキ。

到着すると、友人(このシリーズに何度も登場した TTくん)の運転、案内で、鹿児島からカーフェリーで桜島へ。 操るのは TTくんの父親所有の高級車。 TTくんの地元友人 Kくんも合流し、その静かで快適な車内から雄大な景色を眺めつつ島を抜け、そのまま九州最南端へと走る。

最南端の浜辺は淡いクリーム色。 手に取ると、小さな粒だが石の形を残している。 車内で流れていた松田聖子の曲そのままの風景が目前に広がっていた。

どこまでも澄み切った海には熱帯魚が泳いでいる。 聞けばサメが出るという。 そんなオアシスのような空間で桜島を見ながらの昼食。 そう言えば、桜島に霞がかかっている。

TTくん曰く、「雨が降っている」とのこと。 なら早く片付けないと ・・・ と慌てる僕に、「こちらに届くまで30分はかかるから、ゆっくり食べても大丈夫」とか。 辺りは360度ゆったりとした時間が流れる。 う~ん、これが鹿児島時間か。 そう言えば TTくんは遅刻ばかりだ (笑)

夜は天文館へ。 5月14日にも書いたが、TTくんの父親は会社社長。 その行きつけの料亭へ入ると、「おぼっちゃま」と顔パス! 日頃標準語で話す TTくんも、地元の人と話し出した途端に(笑) 「何言っているのかさっぱりわからん」などと考えつつ廊下を進み、奥の日本間へ。

茶灰色の陶器に入った焼酎で乾杯。 まだ東京に焼酎が出回っていなかった時代に唯一、代名詞的な存在だったのは〝白波〟。 ゴムの如くの異臭に懲りていた僕はその、とろみのある豊かな味わいに驚き、気に入って何度もお替わりしてしまった。


そう、京都にも行った。 〇華ホテルを拠点としたこの旅行も、鹿児島行きも、大学生協から手配されたもの。 念仏寺、哲学の道、五重塔、鈴虫寺ゆかりのお守りもいいが、バスから見た道端の雑草、夕焼け空やコガネ蜘蛛の巣の方についつい目が行ってしまう。

そんな夕暮れ時には、ユニセフ製 擬似ウォークマンで聴く〝A Man I'll Never Be〟が妙に似合う。 そいつは白くプラスティッキーで電池持ちが悪かった。


大学生らしい生活も堪能し、アパートでの3回目の秋、冬を迎える。 僕は学生会?(←学生が運営する会で正式名称は忘れてしまった)で売られていた過去問集に目を通し、何事もなかったかのように4年生へと進級した。




フォトは 1985年7月に開催された Live Aid のステージに立つ Robert Plant 36歳。 この頃 ハイトーンは困難さを極め、Jimmy Page も、音づくり、テクニックともレベルダウンをきたしており、ファンはさぞかし心を痛めていたことだろう。

同年、社会人2年目にして研究所移転のため東京を離れていた僕は、北関東の某駅至近の2Kで、起き掛けにとろとろとスイッチを入れた途端、Phil Collins の司会から始まったこのステージに、二日酔いの眼は釘付けになった。

コメディアン紛いの口調で奇妙なコメントを連発し、メインドラマーと並びツインドラムを披露する司会は、ウェンブリー・スタジアムからコンコルドでジョン・F・ケネディ・スタジアムへ高速移動して来たとか。


全世界同時開催という、正に20世紀最大のコンサート。 気の遠くなるようなスケールを、僕は14型TVで観聴きし、感じ取っていた。







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