脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

그 거리 Keep on asking, and you will receive what you ask for.

2019-04-17 | Weblog
私の仕事はこのクラブに来ている人たちをボクシングで遊ばせること。決して気合をいれてボクシングをさせることではない。ここに来たら思い切り楽しんでもらって日々のストレスを解消し、元気になって帰っていってくれたらと思っている。基本的にうちのクラブは社会人や女性のためのクラブで健康維持やダイエットが中心であるが、しかしとは言っても私はスポーツをすることの厳しさを知らないわけでもない。私も一応競技者であったので多少の厳しさはわかっているつもりである。
しかしそうであってもここではどっぷりとつかりたくない。それはこういう世界には余裕がなく、意地で生きている人間が多くてうざい、そういう人間たちにかかわって、クラブがそういう人間のたまり場になったら本当にボクシングをこれからはじめようとする社会人や女性が来にくくなるからだ。だからあえてボクシング色を出さないようにしている。私が一番嫌いなのは自慢話をする人間だ。自分はいかに努力したかということを大したこともないのに針小棒大に語り、それがさもすごいサクセスストーリーで自分はいかに特別かと言うことを厚顔無恥にも聞いてくれる人の前でべらべらとしゃべる、それがいかにみっともなく作法にかけているかわかっていないのだが、私は元競技者としてこういう類の人間は絶対に信用できない。コジョ!(消えろ)と思う。努力なんて言うのはいくらやっても足りないものだ、私なんかは才能がなかったのでいくらやってもこれじゃああかんわと思ってトレーニングしていたが、あくまで競争の世界でやっていくのだったら、努力したなんていうことを公言することはちゃんちゃらおかしいことだ。保育園のお遊戯でもあるまいし、自分はやりましたなどと言うことを誰に認めてもらうのかわからないが、本当に一生懸命やってきたならば、自分の努力が足りない思うのが自然のことだと思っている。そしてもしそこで勝てたとしても、さらに世界をひろげて行ったらその自分の実績がどんどん小さくなっていき、またさらに努力を続ける。でもいくら努力を重ねてもこの世界では到達できない次元がある。所詮スポーツなんて言うのは結局はそこにたどりつく、しかしそこにたどりつけるからこそ新しい可能性を見出すことができると思っている。何も持っていない意地だけで生きている人間はそういう小さな実績にしがみついていきるけれども、しかし人間は特に青年期に自分がやってきたスポーツなどの実績を一度すてて、また新しい歩みをはじめなくてはいけないことがある。その時何も持っていなければその小さな世界の実績にしがみつくしかない。私は競技者はスポーツ以外にも他のことをしろ勉強しろと言うのは自分の体験もあって、むしろ社会を生きていくならばここからが本当のはじまりであって、その時一歩踏み出す時に当たり前のことをやっているかいないかでは、これからの歩みをはじめるにあたって大きいことだと思っている。そしてさらに年をとって自分の生き方を振り返った時にああこういうこともあってあの時はすごく楽しかったなあと思える日が来る。そういうひとつひとつの経験が人生の年輪をつくる。年をとってからの魅力にもなるのだと思っている。私がボクシングの話をほとんどしないのは、こういう話をしだすと自慢話大会になるからだ。誰が一番すごいかなんて、でも俺はそういう自慢話をするためにボクシングをやってきたのではない。私にとって学生時代競技してきたボクシングの思い出はすごく貴重な思い出だ。日本では体験できないことをたくさん経験したし、この競技によって私は育てられたと思っている。

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