脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

減量に関しての一考察

2019-04-15 | Weblog
日本のアマチュアボクサーは減量のしすぎである。自分から言わせれば日本のボクシングはあしたのジョーの影響が大きく、おそらくこの減量と言うのもその影響があるのだろう、ただひたすらジョーと戦うため減量する力石の姿に感動し、これが男の生き方だと影響を受けた人間は少なくないと思う。
しかしあれはマンガの話である、そういうマンガの影響がもろに出てるのは日本のボクシングぐらいだと思っているが、いくらアニメ大国であってもあまりにも漫画の影響を受けすぎている。もう少し学習してせめて簡単な哲学書ぐらいの本を読んで考察する力を養う必要があると思っているが、一方アメリカでは減量をどちらかというとマイナス的に考える傾向が強い。日本ではよく来ているサウナスーツのような減量着がある。試合前になるとこういう姿の人間をよく見るのだが、しかしむこうでは減量着を着てトレーニングをする人間はいなかった、私がそういうトレーニングウエアを着てトレーニングしていたら、お前暑くてトレーニングにならないだろう。だからそれをぬいだらどうだと言われたぐらいである。ボクシングの本場であるアメリカ人は、減量をマイナス的に考えていると思う。よくそのクラスでチャンピオンになった人間がどんどん階級を上げていくが、これは大きいものに向かっていくほうが勇敢であるという考えがそこにあり、彼ら自身も体を小さくしていくよりも筋肉をつくって大きくしていくことにやりがいを感じるからで、逆に減量して小さい階級にこだわりすぎるとチキンと思われる。聖書にダビデとゴリアテと言う有名な物語がある。これはゴリアテと言う大きな兵士を当時まだ子供であったダビデがやっつけるという物語であるが、この物語は大きいものに向かって行ってそれをやっつけるという一種のサクセスストーリーのようなもので、日本人のチャレンジ精神が修行的な我慢に対して西洋人はこの大きなものにむかっていくことではないかと理解している。

日本のアマチュアボクサーは減量のさせすぎである。特に高校生や成長期にある人間に無理な減量をさせているのであるから、めちゃめちゃな話である。孫子は「兵法」で戦いにあたって食糧庫を確保する重要性を述べている。当たり前のことであるが人間腹がへっては戦ができぬという言葉があるように、食糧不足を欠いては戦いができないからである。自分は減量もこれと同じようにとらえている。腹がへっては練習に力が入らないし、練習のモチベーションもさがるであろう。それを精神力がどうのこうのいっても人間の力には限界がある。そこまで減量に力を入れるのであれば、減量で使うエネルギーをもっと練習に集中できるようにしたほうが合理的ではないだろうか。減量をすればするほど有利であると誰が言っているのかわからないが、減量すればするほど有利であることを科学的に証明できるだろうか。

屁理屈かもしれないが減量することは、肉体的にも精神的にも生物学上はマイナス的なことである。減量を失敗してまけたはなしはよく聞くはなしだ。一方自分は階級をあげて成功した例を知っている(自分もそのうちの一人である)。減量に関しても精神論的に考えを推し進めていくのではなく、もっと合理的に物事を考えていく必要もあるのではないだろうか。横文字が苦手だと理解できないこと多いし、何かを解釈することに関してセンスがないので物のとらえ方がいいかげんで時代錯誤だ。「男とは」とか「完全燃焼」という非グローバルな考え方は、もう通用しない、日本の減量と言う考えもこれに近いものがあり、もう少し冷静に考え直す必要があると思う。

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