脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ポミワッソ 

2019-04-03 | Weblog
英語が苦手な人の特徴は話を簡潔にまとめることができない、所謂話が長い人だと思っている。日本語の表現は英語に比べてまどろっこしい。例えば悪代官が会社の語学研修でフィリピンに行くらしいが、それを日本語で言えば私はフィリピンに語学研修に行くであるが、英語では簡単にI will study in philipines.で十分通用すると思う。訳本でもそうだが、英語から日本語に訳すとページ数が倍以上になり、逆だと半分、自分の言いたいことや伝えたいことを簡潔に伝えるのが英語の基本であると思う。そして特に簡潔に伝えているのが自己啓発本である。ある脳科学者の本はどちらかと言えばそれに近いのだが、自己啓発本はフレーズをそのまま相手にインプットさせるために、非常に簡潔で日本語で言うところのSVO SVC SVOOなどの文法が明確で日本人には読みやすく、最近Medical studentの学生にすすめた脳科学の公演の本はわかりやすいのだが、私は人に英語でどういう本を読んだらいいかと聞かれたらそういう類の本を紹介している。

これは個人的な意見だが、英語で一番難しいのはおそらくジョークであろう。私が最近面白いと思ったのはTEDと言うプレゼンで講師が語るジョークである。プレゼンの中には40パーセントぐらいがジョークで語られているのもあるが、その内容を聞きとれたらたいしたものである。この前もフィッシング詐欺に注意と言うことで講演をしていたが、実際にその講師がひっかかったふりをしてメールをおくるのだが、その切り返しが非常におもしろくて笑ってしまったのだが、そういう場で使われるジョークはウイットに富んでいる、何か一本とられたと言うような満足感のある笑いである。

これに対して私はお笑いは大嫌いで絶対に見ない。理由はやっていることがいじめに近い、私が特に不快に感じるのはお笑いで人の頭をたたくこと。これって暴力ではないのか、少なくとも人の頭をたたくと言うことはその人の人権を軽んじているということになるのではないか。人によっては自虐的なネタで人からさげずまれたりバカにされたりすることをあえて選ぶ人間もいるが、こういう人をさげずむようなやりかたは倫理的には灰色で教育上よくないと思うからだ。まあうちの子供もよく見ていたが、しかし最近本を読むようになってみる番組が少しかわってきたのだが、笑いは人を豊かにするものだ、しかしそういった類の笑いは人の刺激を満足させるだけで、刺激だけを求めていたらいつの間にか度をこえてしまうだろう。

これはよくあげている聞いた話だが、それは施設にあずけられて、そこで育てられた人の話、彼女には親からつけられた名前がわからない、だから名前がないと思っていた。そして彼女が大学に進学し、そこで年下の男性と知り合い、お互い結婚を意識する。そこで彼女はその男性に自分がコンプレックスになっていることをうちあけたそうだ、自分は施設にあずけられてそこで名前があたえられた、そのことがコンプレックスになっていると。しかしそれを聞いたその男性はこうう言ったらしい「神様にも名前はないんだよ」十戒と言う戒めの中には「神の名を勝手に使うな」と言う厳しい戒めがあって、彼ら彼女らの神には名前がない、この戒めを彼はジョークにしたのだ。それを聞いた彼女は大いに笑ったらしいが、その女性はその男性のジョークによって、笑いでコンプレックスを乗り越えた、そしてその後二人はゴールインしたとかしないとか、なんともできすぎた話であるが、これは笑いの豊かさを伝えた二人の実話?物語であるが笑いは基本的に人を豊かにするものだと思う。






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