脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

スポーツとボランティア

2019-04-05 | Weblog
うちのクラブはスポーツをかけもちでやっている中高生も少なくはない。今日その中学生にある質問をした。それはクーベルタンって聞いたことがるかと言う質問だ。でもその子は知らないですと言うので、スポーツをやっていたらそれぐらいは知っとかなくてはだめだ、ピエールドクーベルタンはオリンピックの創設者、オリンピズムと言う考え方があるけど、オリンピックは競技者の単なる自己満足の祭典ではない、いろいろ国が集まってその国のことを知って相手のことをリスペクトしてひとつになると言う目的がある。と言うことを説明、そういう意味ではスポーツすると言うことは広い視野をもつこと、世界の現状をよく見るためにはスポーツだけではなく勉強もして、視野を広げることも大事なことだと言った。

実際私も海外に出るまでは本当に自分だけの小さい価値観で生きてきたと思う。うちでは特に人身売買などで犠牲になっている子供に少額ではあるが、そのことをおぼえて支援している。そしてそれは微力であるが、そういう働きを多少することで少しでも関心をもってもらいたいと言う思いがあるが、そういうところに目を開かせてくれたのは韓国人の友人で、私は彼女から韓国の養子問題の話を聞いていたたまれなくなり、そういう問題に目を向けるようになった。韓国人の養子問題は深刻だ。当時の韓国社会では女性は社会で蔑視されているので、子供を産んでも男がにげたり未婚であると仕事ができず、断腸の思いで子供を養子に出さなくてはいけないということが実際にある。最近韓国の芸能人が発足した、ミルクのひげプロジェクトと言うプロジェクトがある。ミルクのひげとは赤ちゃんがミルクをたくさん飲んだ時に口から出てきてたれる様子を表現したものだが、韓国では養子に出されるために待機している赤ちゃんのミルクが不足している。その待機している赤ちゃんのためにグッズを売って寄付しようと言う働きである。世界には我々では想像でしか知りえない現実がたくさんある。スポーツを競技すると言うことは決して自分の記録だけを伸ばして、自己満足するのもではないだろう、やはりいろいろな人たちと交流してそこでたくさんのことをわかちあえば助け合いが見えてくるのではないだろうか。私が一番残念だと思うのは、それしかできない、外の世界に出たことがない人間が世界を目指せとか全国制覇しろなんてでかいことを言うことだ。そういう発想は侵略戦争的な発想、外の世界を知らない、それしかできないと言う人間が言うと、発想が下品で心が豊かではない、少なくとも教育的ではないと思っている。それしかできない、単一民族、一つの言葉しか理解できない、外の世界に出て行ったことがない人間の発想なんてたかだか知れている。これは個人的な意見であるがそういう人間には人の痛みを理解できる力がとぼしいと感じるからで、痛みと言うのは感情ではなく、頭でも理解しなければ伴えない痛みがある。頭で理解しなくてはないと言うのは、少し例がわるいが、例えば幼児婚と言う風習がある。そういう風習は本人たちはわるいとは思っていないし、それで貧困からすくわれるなどとうそぶくこともできるのだろうが、こういうことは世界を広げて人権と言う枠を考えたら明らかにそれは非人道的なこと、しかしそういう世界でしか生きていないとそれがどれだけ非人道的化と言うことがわからない、おそらく一夫多妻制も女性蔑視になるのだろうが、そういう自分たちのことも含めて視野を広げて考えることも大事なことで、それができないとそういう風習をなくすことはできない。そして体育会にかけているのは実にこのこと、もう少し、言葉を覚えて勉強しろというのは、自分たちの組織自体を村社会から脱却させなくてはいけない、ただ何々するなと言うルールでは根本的にはかわらない、もっと学習して視野を広げて脱村社会しなくてはだめだと思っている。私自身もまだまだ知らん無くてはいけないことがあるが、痛みを伴い、助け合うと言うことはスポーツの精神において大事なことだ。そういう痛みを知って伴う気持ちや覚悟があるからこそいろいろな民族や国の枠をこえて助け合いの精神が生れるのだと思っている。

うちで募金するプライオリティは一番弱い存在をおぼえると言うことである。震災の時は一番弱い幼児をおぼえておむつをおくった。そして今は人身売買で売られていく子供、そしてミルクのひげプロジェクトの幼児たちもそうである。実はミルクのひげプロジェクトに協力しようと思った。でも哺乳瓶などのグッズが売り切れでできなかったが、これだけグッズが売れていると言うのもやはりそういうことに関心を持っている人が増えて来たと言ううことで、ある意味世界が広がってきていることだと思う。口で言ったり、募金箱を置くということも大事なことであろうが、しかし実際に少しでも痛みを伴うために募金をしたり、ボランティアをすると言った精神は大いに重要なことだと思っているし、私自身弱い人間であるが、しかしこれらの気持ちを大事にしたい。







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