脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

安全で平和なクラブ

2019-04-08 | Weblog
英語の問題集でその文章の中から主張を選ぶ単語をひとつ選べと言うのがあった。こういう問題はすごく抽象的だ。たぶん分の構造を理解させるために練習問題として出しているのだろうが、こういう問題は主観もあるのでとらわれていたら前に進まない。答えを見てああそうかと言うぐらいでさらっと流したほうがよいだろう。これは私の主観であるが語学と言うのは日本語などの他の言語がからむと少しややこしくやることもある。韓国語の問題集もえっこんなこと普通言わないよと言うような表現や例文などもある。語学と言うのは感覚的なものでもあるから、理解できないことやわからないことはさらっと流すことも必要だ。私が思うできる人間とできない人間の違いは、できる人間は切ったり、すてたりできる人間だ。できない人間はひとつのことにこだわってそれができないと不安で前に進まない、進もうとしない。でもあるものを一度切ったり、すてたりすることで見えてくるものもある。私は宗教学と哲学を勉強してきたが、本を買う時はパッと見てこれはいいと思ったら買うことに決めている。でも買った本はすべて読むかというとそうではない。面白くないと思ったらそれをいちどすてて、また新しい本を買って読む。これを繰り返すことで自分にあったと言うか興味がある本と出会うのだが、そういう本を読むとすごく吸収する。私は参考書や専門書選びにおいても同じようなことをしているが、本というのは不思議なもので、自分にあった本や参考書が見つかると今度はそのすてた本が役に立つ、所謂興味がない、わからないと思ったら、それにとらわれずリセットして新しいものにとりかかるということ。そうすることで今まで見えなかったものが見える。読書と言うのは小説などを読んでその世界にひたって感性をみがいたり、表現力をやしなったりするのもそうであるが、本から知識を得ると言う意味では、ひとつのことに拘泥しないで、まず興味の対象となる本を見つけて、知識を広げていくと言うものひとつの読書の方法だと思っている。

少し話はかわるが、前にできないだめな指導者は組織やコミュニティで仲間を集めると言った。私はそのコミュニティや組織と言うのは、体育会のような稚拙なものではなくきちんと一般化されたルールと哲学を持って、時にはそのコミュニティにふさわしくないものをバッサリ切り捨てると言うことも組織やコミュニティのためには大事なことだと思っている。あほな上下関係や情でつながる仲間関係なんて言うのははっきり言って人間関係がごちゃごちゃ、あほなヒエラルキーの中でしか人間関係をとらえることができない、おまけに学習しないので、物事を一般化して何が正しいかということを理解できない。何々するなと言うルール=親玉や先輩の顔色をうかがう、こういう人間関係において問題なのは何が正しいかと言うことではなく、そこではいいやつになることである。私はスポーツクラブにそういう人間が集まってくると言うのは問題であり、はっきり言って集まってくるのはそのコミュニティの質がわるいから、きちんと一般化されたルールと哲学に基づいて運営されていないからだと思っている。スポーツクラブはいろいろな人が集まる公の場である。そのスポーツクラブが中高生の運動クラブの延長のような考え方で運営させていると言うのは非常に情けない話であるし、そのレベルだとやはり暴力的であったり、問題ある人間が居場所をもとめてくるだろう。うちのクラブには当たり前だがコモンセンスはしっかりしているし、そういう人たちが集まっているので、安心してトレーニングできるであろう。アウトローとかやんちゃですがいくらここに来ていいやつぶっても、大多数がそういうたぐいの人間ではないのでかなり浮くし、居場所がなくなる。ここでは暴力や暴言はもちろんのこと、マスなどでかーっときて敵意むき出しでなぐりかかっていくのは暴力、これ見よがしに武勇伝をほざいたり、はだかでトレーニングしたりする人間などいない。それはまわりがそんなことはまわりが楽しくトレーニングするためにはしてはいけないことと認識しているからであり、そしてみなさんがゆずりあってトレーニングしてくれるのは、このコミュニティを大事に、安全にそして平和で楽しくトレーニングできたらいいと考えてくれているからである。

最初にコミュニティはそれにふさわしくない者は拒んだり、切ったりすることは大事だと言った。きつい言い方だがうちにははっきりとした基準がある。そしてその基準はここに来てくれているまじめでおとなしい会員の人たちに楽しく、安全で平和にトレーニングしてもらいたいためのものであり、それはある程度の基準に立っていると思っている。私は人に好かれたいとはまず思わない。ただこの場が平和であることを第一に考えて、コミュニティは認める、育てる、そして時には切ると言う選択も必要だと思う。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする