英字新聞にこういう記事があった「Children get depression, too. Specialist Sympathize with their hardship amd anguish. 」
先日友人の子供ソヒョンと話をしたら、かなり疲れている様子であった。疲れている様子なので「お前何時に寝るんだ」と聞いたら早くて12時遅くて1時半ぐらいだと言う。
我々の時代小学6年生が夜中の12時まで起きてること自体ありえないことだが、しかし韓国では当たり前のことで、ハゴン(塾)や英会話などの習い事で毎日をおわれる彼女らは、必然的に寝るのが遅くなるそうである。
今韓国の子供だけではない、日本の子供も非常に疲れている。それは特に彼女のような競争社会の中にいるような子供だけではなく、この社会の現実と言うかひずみの中でストレスを抱えて生きていると言うことができるのだが、今日挙げた英字新聞の記事は、実際にそういううつやプチウツの危険性を抱えていることもたちがいると言う、社会に対する警告である。
前回も言ったがオリーヴはスポーツテラピーというものを考えている。実際そういうテラピーの必要な人が現代社会に増えているということをうけてのことだが、私自身スポーツをすることで、人間の心は癒されると信じている。
しかしそのスポーツそれ自体が持っている、本来の心の治癒力を引き出したかったら、その共同体がどういう共同体であるかと言うことが重要なことで、はっきり言って今の日本の運動クラブにはそういう子供たちをいやす力はないと思っている。
日本では子供の頃から同じスポーツを徹底してさせるが、しかし欧米では小学生ぐらいから4つぐらいスポーツをかけもちさせる。
日本だと野球クラブに入ると基本だとか言って、素振りのような基礎練習を徹底的にさせて、それがいい指導法だと考えられている。
クラブに入ってもあいさつしろとか先輩や監督と言う親玉に気を遣い、それができなければ、そういう基本的なことができない奴はボクシングなどできないというようなことを言われる。いわゆるそこで独特の縦社会がつくられ、こういう縦社会に順応できない人間はだめな奴とみなされるのだ。
しかしこう言ったくだらないルールをおしつけて、何も考えずにただひたすらにんじんに向かって走らせるような体育会のシステムがよりよい人間を育成しているかどうかと問えば、それは違う。むしろ私はそういう狭い社会に子供を押し込めることは、かえって健全ではない。マイナスだと思っている。
日本は他の世界に比べて凶悪犯罪が少ないことはよく知られていることである。
特に最近減ってきてはいるがレイプの件数は非常に少ないとも言える。
しかしにもかかわらず毎年新聞をにぎわす運動部のレイプ事件は異常なことである。
レイプと言ってもこいつらのレイプは集団レイプで、ある意味殺人よりもえげつない。
こういうことが毎年毎年新聞にのるのだから、はっきり言って、ストレスを発散し、そして健全な心をつくる目的としての、スポーツの場が機能していないと言うことが言えると思うが、最近では指導者もレイプして事件になるのだから、常軌を逸脱している。
欧米は基本的にはスポーツは楽しむもの、まず実戦形式でゲームに参加させることでスポーツの楽しさを教える、これが欧米のスポーツにたいする考え方で、英語で野球をすると言うのは「Play ball」と言うが、欧米人は基本的にスポーツは楽しむことと考えていて、それは日本人が考えるような修行の場ではない。
スポーツと言うのは楽しむためにあるもので、遊びのようなものだ、その遊びが思い切り何もかも忘れてできるからこそ、ストレスが発散でき、心が癒されていく、そういう環境をつくることが必要で、そういう環境をつくるためには、この世界を改めてとらえなおしていくことが必要だ。
私はチャンピオンになれとか全国に行けなどと言うことだけをめざして、それに優劣をつけるようなやり方に徹底して否定するが、何とかチャンピオンとか何とか何位が偉いのか。そんなもので自信がついたと言うのは、自分の価値をみとめてほしいから言うだけで、そういうことを自慢したがる奴はバカだ。何もないからそういうことしか言えない、いわゆる自信がないからそういうことしか言えないのだが、そういうかりそめだけの何の根拠もないことを自信だと言って子供をふりまわすのはよくない。こういう無意味な競争でつぶされた子供を何人か見ているが、今では幼児心理学や児童心理学と言う学問があるのだから、そういうことをもっと勉強してこういうことを発言しなければいけないのだが、しかしたいていは興味がないというか、そういうことを理解できない人間がいて、ただ勢いと意地でいっているだけである。
これからのスポーツは、正直何とかチャンピオンとか、何とか何位よりも学問的に物事を考える力が必要である。
英語ができないのなら仕方がないが、これからの特に日本のスポーツは、指導面やものの考え方など、スポーツ科学はもちろんのこと、心理学や倫理学などの学問を学び、とらえなおさなくてはいけないことがたくさんあると思う。
縦社会は言語道断であるが、成長期に無理な減量をさせたり、ひどい奴になると小学生に減量などをさせるやつがいて、その減量も節制などと言うような言葉を小学生に使うバカもいるそうだが、なぜそういう非常識なことができるのか理解できない。そういう世界では正しい事なのだろうが、しかし子供や成長期の減量なんて医学的におかしいことで、こういうことを試合のたびに繰り返し、させることにはかなりの問題があると言える。
たぶんウルトラバカなトレーナーはそういう成長期の人間や子供に減量させて、いかに自分はすごい減量をしたかと言うことを自慢げに言うのだと思うが、しかしこれは常識的にはおかしいことで、狭い社会だから通じることである。
かなりおおげさだが、しかし要点は同じだと思うが、中国に昔「てんそく」という制度があった、これは人為的に女の子の足をかたにはめて小さくするのだが、これは今では人権問題だと言うことで、廃止になった。
成長期や子供など十分に栄養が必要な時期に、階級を意識させて減量させると言うのは、自分の意志であると言っても未成年の場合は、はっきり言ってその人間の成長する過程を妨げているという上では「てんそく」と同じようなもので、そこまでおおげさではないにしろ、こういう権利を妨げるような行為や言葉、特に節制しろなどと決して言ってはならない。
減量なんて言うのも無理して階級を下げることが有利であると言うことがないのだから、むしろ成長期にはよくないのだから、そういうことをとめて階級をあげるぐらいのことを言うのが当然だと思うのだが、こういうことはもう少し深く考えなくては見えてこないのだが、しかしこういうことが当たり前のことがわからないノー天気な奴が多い。
最近ボクシングと言うスポーツは世間の風当たりが強く、アマチュアの親玉たちもそれなりに過敏になっているが、しかしその過敏にならなくてはいけない気の遣い方が違う。
はっきり言って私にしてみたら、それは配慮と言うよりも、暴力団新法をおそれているやくざのようなもので、むしろなさけなさが伝わってくる。
私は決して人権擁護派ではないが、アマチュアボクシングという団体はもう少しというか、かなり人権と言うことをよく考えなくてはいけないと思う。世界的に言ってこの人権問題と言うものを基本として考えなければ、子供や女性などの弱い立場の人間を支えることはできない。(こういうことを理解できないから、試合をするにあたって女性だけに試験があるのだと思うが)
大勢の人の前で素っ裸で計量させる。独占販売させて高いヘッドギアを買わせる。子供にたたきあいをさせることを認めている。大きい声で人をののしる。言葉を含めて暴力的行為。下半身の暴走、引率でキャバクラ言ったり女を連れ込むなんて信じられない話だ。こいつらのち○こに対するちん権はあっても、しかし真面目に生きている競技者の人権は軽んじられている。アムネスティにつっこまれたら否人権団体として認められるんじゃないのかと思うぐらいだが、こういう人権が疎い奴らに礼儀だのあいさつだの言われたくはない。
たぶんこれは「モノレイシャル」「モノリンガル」の限界だと思うが、もう少しいろいろな考え方や立場に立って人権と言うものを考えてほしいものである。
最後にR15指定にしたのに、それでも彼女はブログを見ているので
「ハジマン ヒムル ネ イマンクム ワッチャナ」「イゴッチョムン チョンマル ピョルゴ アニャ」
はよねろ。がんばって。
先日友人の子供ソヒョンと話をしたら、かなり疲れている様子であった。疲れている様子なので「お前何時に寝るんだ」と聞いたら早くて12時遅くて1時半ぐらいだと言う。
我々の時代小学6年生が夜中の12時まで起きてること自体ありえないことだが、しかし韓国では当たり前のことで、ハゴン(塾)や英会話などの習い事で毎日をおわれる彼女らは、必然的に寝るのが遅くなるそうである。
今韓国の子供だけではない、日本の子供も非常に疲れている。それは特に彼女のような競争社会の中にいるような子供だけではなく、この社会の現実と言うかひずみの中でストレスを抱えて生きていると言うことができるのだが、今日挙げた英字新聞の記事は、実際にそういううつやプチウツの危険性を抱えていることもたちがいると言う、社会に対する警告である。
前回も言ったがオリーヴはスポーツテラピーというものを考えている。実際そういうテラピーの必要な人が現代社会に増えているということをうけてのことだが、私自身スポーツをすることで、人間の心は癒されると信じている。
しかしそのスポーツそれ自体が持っている、本来の心の治癒力を引き出したかったら、その共同体がどういう共同体であるかと言うことが重要なことで、はっきり言って今の日本の運動クラブにはそういう子供たちをいやす力はないと思っている。
日本では子供の頃から同じスポーツを徹底してさせるが、しかし欧米では小学生ぐらいから4つぐらいスポーツをかけもちさせる。
日本だと野球クラブに入ると基本だとか言って、素振りのような基礎練習を徹底的にさせて、それがいい指導法だと考えられている。
クラブに入ってもあいさつしろとか先輩や監督と言う親玉に気を遣い、それができなければ、そういう基本的なことができない奴はボクシングなどできないというようなことを言われる。いわゆるそこで独特の縦社会がつくられ、こういう縦社会に順応できない人間はだめな奴とみなされるのだ。
しかしこう言ったくだらないルールをおしつけて、何も考えずにただひたすらにんじんに向かって走らせるような体育会のシステムがよりよい人間を育成しているかどうかと問えば、それは違う。むしろ私はそういう狭い社会に子供を押し込めることは、かえって健全ではない。マイナスだと思っている。
日本は他の世界に比べて凶悪犯罪が少ないことはよく知られていることである。
特に最近減ってきてはいるがレイプの件数は非常に少ないとも言える。
しかしにもかかわらず毎年新聞をにぎわす運動部のレイプ事件は異常なことである。
レイプと言ってもこいつらのレイプは集団レイプで、ある意味殺人よりもえげつない。
こういうことが毎年毎年新聞にのるのだから、はっきり言って、ストレスを発散し、そして健全な心をつくる目的としての、スポーツの場が機能していないと言うことが言えると思うが、最近では指導者もレイプして事件になるのだから、常軌を逸脱している。
欧米は基本的にはスポーツは楽しむもの、まず実戦形式でゲームに参加させることでスポーツの楽しさを教える、これが欧米のスポーツにたいする考え方で、英語で野球をすると言うのは「Play ball」と言うが、欧米人は基本的にスポーツは楽しむことと考えていて、それは日本人が考えるような修行の場ではない。
スポーツと言うのは楽しむためにあるもので、遊びのようなものだ、その遊びが思い切り何もかも忘れてできるからこそ、ストレスが発散でき、心が癒されていく、そういう環境をつくることが必要で、そういう環境をつくるためには、この世界を改めてとらえなおしていくことが必要だ。
私はチャンピオンになれとか全国に行けなどと言うことだけをめざして、それに優劣をつけるようなやり方に徹底して否定するが、何とかチャンピオンとか何とか何位が偉いのか。そんなもので自信がついたと言うのは、自分の価値をみとめてほしいから言うだけで、そういうことを自慢したがる奴はバカだ。何もないからそういうことしか言えない、いわゆる自信がないからそういうことしか言えないのだが、そういうかりそめだけの何の根拠もないことを自信だと言って子供をふりまわすのはよくない。こういう無意味な競争でつぶされた子供を何人か見ているが、今では幼児心理学や児童心理学と言う学問があるのだから、そういうことをもっと勉強してこういうことを発言しなければいけないのだが、しかしたいていは興味がないというか、そういうことを理解できない人間がいて、ただ勢いと意地でいっているだけである。
これからのスポーツは、正直何とかチャンピオンとか、何とか何位よりも学問的に物事を考える力が必要である。
英語ができないのなら仕方がないが、これからの特に日本のスポーツは、指導面やものの考え方など、スポーツ科学はもちろんのこと、心理学や倫理学などの学問を学び、とらえなおさなくてはいけないことがたくさんあると思う。
縦社会は言語道断であるが、成長期に無理な減量をさせたり、ひどい奴になると小学生に減量などをさせるやつがいて、その減量も節制などと言うような言葉を小学生に使うバカもいるそうだが、なぜそういう非常識なことができるのか理解できない。そういう世界では正しい事なのだろうが、しかし子供や成長期の減量なんて医学的におかしいことで、こういうことを試合のたびに繰り返し、させることにはかなりの問題があると言える。
たぶんウルトラバカなトレーナーはそういう成長期の人間や子供に減量させて、いかに自分はすごい減量をしたかと言うことを自慢げに言うのだと思うが、しかしこれは常識的にはおかしいことで、狭い社会だから通じることである。
かなりおおげさだが、しかし要点は同じだと思うが、中国に昔「てんそく」という制度があった、これは人為的に女の子の足をかたにはめて小さくするのだが、これは今では人権問題だと言うことで、廃止になった。
成長期や子供など十分に栄養が必要な時期に、階級を意識させて減量させると言うのは、自分の意志であると言っても未成年の場合は、はっきり言ってその人間の成長する過程を妨げているという上では「てんそく」と同じようなもので、そこまでおおげさではないにしろ、こういう権利を妨げるような行為や言葉、特に節制しろなどと決して言ってはならない。
減量なんて言うのも無理して階級を下げることが有利であると言うことがないのだから、むしろ成長期にはよくないのだから、そういうことをとめて階級をあげるぐらいのことを言うのが当然だと思うのだが、こういうことはもう少し深く考えなくては見えてこないのだが、しかしこういうことが当たり前のことがわからないノー天気な奴が多い。
最近ボクシングと言うスポーツは世間の風当たりが強く、アマチュアの親玉たちもそれなりに過敏になっているが、しかしその過敏にならなくてはいけない気の遣い方が違う。
はっきり言って私にしてみたら、それは配慮と言うよりも、暴力団新法をおそれているやくざのようなもので、むしろなさけなさが伝わってくる。
私は決して人権擁護派ではないが、アマチュアボクシングという団体はもう少しというか、かなり人権と言うことをよく考えなくてはいけないと思う。世界的に言ってこの人権問題と言うものを基本として考えなければ、子供や女性などの弱い立場の人間を支えることはできない。(こういうことを理解できないから、試合をするにあたって女性だけに試験があるのだと思うが)
大勢の人の前で素っ裸で計量させる。独占販売させて高いヘッドギアを買わせる。子供にたたきあいをさせることを認めている。大きい声で人をののしる。言葉を含めて暴力的行為。下半身の暴走、引率でキャバクラ言ったり女を連れ込むなんて信じられない話だ。こいつらのち○こに対するちん権はあっても、しかし真面目に生きている競技者の人権は軽んじられている。アムネスティにつっこまれたら否人権団体として認められるんじゃないのかと思うぐらいだが、こういう人権が疎い奴らに礼儀だのあいさつだの言われたくはない。
たぶんこれは「モノレイシャル」「モノリンガル」の限界だと思うが、もう少しいろいろな考え方や立場に立って人権と言うものを考えてほしいものである。
最後にR15指定にしたのに、それでも彼女はブログを見ているので
「ハジマン ヒムル ネ イマンクム ワッチャナ」「イゴッチョムン チョンマル ピョルゴ アニャ」
はよねろ。がんばって。