脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

言葉によるアイデンティティ

2012-12-12 | Weblog
最近子供に英語を習わす親が増えている。速い人では3歳ぐらいから習わせているのだが、しかし私のところでは5歳未満の子供には英語を教えてはいない。
この時代に英語を無視するような人間は能力に限界があると思うし、モノリンガルでは世界がせまくなり、今の時代には通用しないと思っているのだが、しかし幼児期から英語を習得させると言うことには反対である。
なぜ反対かと言うとアイデンティティの問題である。言葉と言うのはその民族のアイデンティティを確立させる事柄で、人は何語を話すかによってどの民族につながるかと言うことが決定して来ると思っているからだ。
例えば「水」と言う言葉がある。これは英語では「Water」韓国語では「ムル」である。たぶん日本人が「水」と言う言葉を聞いたら「冷たい」とか、そういった感情につながると思うが、キャッチコピーなんかは、まさにそういう人間の言葉の心理をついたものだ。
おそらくそれは日常を日本語つかい、それを経験することによって、そういう言葉や感覚を持つことができ、言葉と感情、感覚の結びつけアイデンティティになっていくと思うのだが、しかし日本人に「water」とか「ムル」と言っても「冷たい」などという感覚や感情には、すぐにつながりにくい。
なぜなら日本人は日本語によって事柄を伝達し、日本語をつかって成長してきたからで、おそらく「水」冷たい「火」あついというのはそういう言葉を通して経験してきたことだからだ。そしてこの経験が自分たちのアイデンティティになっていく、すなわちにこの経験が言葉を単なる事柄としてとらえるのではない、感情や感覚をともなったものとして備わるのだが、日本語を話すと言うことは、自分たちはその日本語を話すから日本人なのだというアイデンティティにつながっていくのだ。

これは経験的なことで科学的な根拠はないが、言葉を大事にする民族ほど民族意識が強く愛国心が強く、それとは逆に言葉を大事にしない人間は民族意識が低く、母国を大切にしないと言う考えが私にはある。
卑近な例では、新しく党を発足した石原氏は作家であり、その参謀の橋本氏も弁護士であるが、二人とも言葉を使う仕事である。
石原氏の発言を聞いていてもわかることだが、彼らの理念はかなり右寄りだと言われているのは、このことと関係してはないだろうか。
それに対して最近日本語があぶないなどと言われているが、たぶん日本人に愛国心が欠けていると思わされるのは、日本語教育がおろそかになってきているからだと思う。
私はよく本屋に行くが、最近気づくことは、岩波の本が少なくなってきていることだ。10年ぐらい前はちょっとした本屋におかれていたが最近ではへってきて、特に岩波文庫はかなり大きな本屋に行かなくては買うことができないのだが、そのほとんどは当たり前だが絶版である。
確かに岩波は文体が古いのでかなり読みにくいが、しかし文章や内容はかなり難しいことを書いているので、これ1冊を読むとかなり、鍛えられる。言葉も「蓋し」とか「強ち」などという普段使わない言葉や漢字でかけない言葉が出てくるので、広辞苑を持って読まなくては読めない、最近でゲームや漫画が小説になっているそうだが、しかしあんなものは本ではない、漫画の延長で、こういう本が結構読まれていると聞くが、岩波のような難解な日本語を読む人がへってきていることに、日本人のアイデンティティが希薄になってきているような気がする。

韓国人とフランス人の共通点をあげるとしたら、愛国心が強いことだ、まず愛国心が強いので言葉に絶対的な自信を持っている。
よくフランスに行くと、彼ら彼女らは英語をわかっていても話さないと言う話しを聞く。
まあこれは半ば都市伝説的なものであって、実際はわからないから話さないと言った方がいいのだが、しかしこういった話は彼ら彼女らがいかに愛国心が強く、言葉を大事にしているかと言うことが理解できる。
韓国人もそうだ。ハングルと言う言葉は偉大な言葉という意味で、韓国人のほとんどの人間はハングルで表せない言葉はないと信じている(しかし実際は「ざ行」の音や伸ばす音など出せない)が彼ら彼女らのほとんどは自分の国の言葉に絶対的な自信?を持っている。
特に中国の朝鮮族は中国で育つが、しかしほぼ100%の人間が朝鮮語を話す。それだけではなく、朝鮮族は中国でも教育レヴェルが高く、日本語などの他の言葉もおぼえさせるのでトライリンガルの人も多く、それは彼ら彼女らが子供の時から朝鮮語を教えるからで、中国にいても自分たちは朝鮮人だと言うアイデンティティがあるからだ。
まあここまで話を聞けば、日本語教育=日本人であることのアイデンティティと言うことになるが、しかし自分がどの民族につながっていて、どの言葉を母国語にして話しているかと言うことは大事なことで、それは自己を確立させていく上では重要なことだ。
私は国粋主義者ではないが、しかし自分はどの国につながっているかと言うアイデンティティ、日本人だから日本語を話すと言うことは、重要なことだ。

最後に前にソヒョンにもらったCDに「missing you like crazy」という歌がある。
このさびのところの「ミチゲ ポゴシップン サラム」「ミチゲ トウッコシップン ノエ ハンマリ」「サランヘ サランヘヨ クデヌン オディ ナヨ」「カスム キピ パキン クリウン サラム」
こういう独特の激しい言葉を聞くと、なぜか民族的な感情が湧き上がってくるのだが、たぶんこの曲を意味も分からず日本人が歌っていても、本当の意味で感情にはどどかない、やはりこれらは歌い手がその国の言葉で歌っているからであり、特にこのようなその国独特の激しい言葉を使っている時は、そのことがよくわかる。


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