脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

漢字文化

2012-12-21 | Weblog
この前言っていた中国語と日本語の教えあいであるが、昨日の朝に学習をしたのだが、私にはおおまかなことを説明して中級からはじめるのが妥当だと言う。
私はラテン語とドイツ語は学生の時とっていたので、ヨーロッパ圏の言葉はまあまあ理解しやすいと思うが、しかしはっきりいって中国語に関してはずぶの素人まったくわからない。おまけに漢字はそう得意でもないので少々不安がある。
しかし彼女が言うには中国語は韓国語や日本語と共通する部分が多く、この二つの言葉を理解していたらかなりのアドヴァンテージになるそうである。確かに日中韓は漢字を使うので言葉の共通点が多く、日本人とお互いで筆談ができるそうだ。
特に四字熟語がそうだが、季節的に少し早いが三寒四温はサンハンサオンと韓国にも中国にもある。
さらに八方美人と言う言葉はもともと中国語からきた言葉で、これは意味は中国と韓国では同じ意味であるが、日本ではその意味が真逆になっているが、しかしもともとは中国語で、いろいろな才能があるというような感じで使われると思うが、漢字自体は共通している言葉である。
中国語は聞きなれない言葉なので、少々難しく感じられるが、しかし漢字を使うと言うことはニュアンスが伝わってきて、かなり大きなアドヴァンテージであり、漢字を知らない欧米人に比べて、漢字を知っている日本人はそれに比べてかなり有利である。

余談であるがカムサハムニダという言葉を聞いたことがあると思う。
最近韓国語はポピュラーになってきたので、知っている人も多いと思うが、意味は言うまでもないがありがとうである。しかし韓国語にはもう一つありがとうを意味する言葉があるのだが、それはコマプスムニダである。
この表現はコマオヨと少々くだけた表現で使われるので、こっちの言葉の方が有名かもしれないが、これはほぼカムサハムニダと同じ意味だ、時々辞書などにはカムサハムニダは形式的であると表記されているが、しかしそれはコマオヨと言う時であって、文法的にはコマプスムニダとほぼ同じ意味であると思っている。
しかし大きな違いを言えば、カムサハムニダは中国語から来ていると言うこと、カムサというのは感謝と漢字で書くのだが、この感謝がハダ(する)という動詞の前におかれて、直訳すれば感謝するがカムサハムニダである。
しかしこれに対してコマプスムニダは漢字で書くことはできない。なぜならばこの言葉は生粋の韓国語でハングルから出て来た言葉だからだ。おそらく北朝鮮では、この言葉は使われてはいないと思うのだが、、前にテレヴィで北朝鮮の人たちをインタヴューしていたのだが、そのインタヴューがおわって、かえる人たちがインタヴュアーにむかって再会(zai4 jian4)と言っていたが、これは北朝鮮そのものが中国の強い文化の影響を持つからで、北朝鮮と中国は密接なかかわりがあるそのことは言葉にも表れている。

ついでに言うと北朝鮮のキムジョンイルは日本では独裁者であるが、しかし韓国では二つの見方があって、一方では独裁者ととらえ糾弾しているのだが、しかしもう一方では立派な指導者と評価されている。
なぜ日本では悪名高い独裁者がと思うかもしれないが、それは彼がキムデジュンと対談した時、彼とその大統領の対談までの様子が映し出されていたのだが、その時総書記は終始自分よりも年上の大統領を気遣い、歩くときも彼よりも前を歩かず大統領を常にたてて行動したのだが、この行為が儒教的で素晴らしいふるまいであると大きな評価を得たらしい。
この北朝鮮の指導者が韓国の一部の国民の評価を得たのは、彼ら彼女らが共通の言葉と儒教文化を持っているからであり、文化と言うのは言葉を通してくるのだから、言葉を理解すると言うことはそういう共通点を理解することにつながる思う。
これは何も韓国語を宣伝するわけではないが、日本はもっと戦略的に韓国語を話す人間を養成すべきだ、最近では少し勉強する人も増えて来たそうだが、そういう人気と別にして戦略的に中国語や韓国語を学ぶ機会を増やすことは重要なことだ。
言葉と言うのは情報を集めるには欠かせない道具である。前にも言った朝鮮族は子供の時に韓国語を習い、そして中学で日本語さらに英語を勉強する。これは私の友達が言っていたのだが、彼女は日本に来て、おもに日本語を話すようになって言葉がかなり婉曲的になったということを言っていたが、言葉を理解すると性格的なものまで見えはじめる、彼ら彼女らは我々が考えている以上に日本人について理解しているのは言葉を話すからだ。

さらに韓国では高校で英語以外の外国語を学ぶのだが、彼ら彼女らに日本語を話すのが多いのは、高校の時に第二外国語が選択科目で義務付けられ、文法が同じで取得しやすい日本語を選択する人間が多いからである。
日本は島国なのか語学習得にあまり積極性は見られない。最近ではかなり変わってきたが、しかしそれでも地方は語学にたいする必要性が諸外国に比べて希薄である。
特に地方などはそうだが、これからのスポーツは英語が必須だと言うのに、中には軍団が集まって一人も外国語がはなせないという連盟もあると思うが、これは非常にディスアドヴァンテージだ。

これは私の持論であるが言葉の領域が狭い人間は、言葉が自分の行動の範囲を限定してしまっているので小さくかたまる傾向がある。
暴走族やバカなコギャルと言われていた人間もそうだが、バカが集まるスポーツ軍団もそうだ、軍団のボキャブラリーが少なくて、そのボキャブラリーや自分たちの理解できる言葉の常識や考え方で集まるのがそういう集団だと理解しているが、おそらく彼ら彼女らが言葉を増やしていろいろな情報を集めて、行動や考え方を広げれば、バカななふるまいをすることはないだろうと思っている。

アマチュアボクシングが、封建的で、人前で裸で計量させるような人権を無視したことがことができるのは、言葉の問題であると考えている。
だいたいこの人たちは権威主義なのか、小さく固まりすぎだ、英語はともかく、言葉をつかって人に対してきちんと言葉を伝達しようと言う気持ちがみられない。
ヘッドギアの件も偉そうに何々に決定したなんていうのはおふれであって、権威主義的でそれは受け入れがたいことだと思う。
自分たちの権威を保ちたいから命令的になるのだろうが、しかしくだらないヘマばかりしでかす人間を、子飼い以外の誰が尊敬できるのか?
暴走族レヴェルの人間を相手にしているのではないのだから、人に命令するような偉そうな言い方ではなく、何に警戒して偉そうなふるまいをしているのかわからないが、ときどきお前ら憲兵かとと思うぐらい偉そうな態度で接して来るのだが、そういう態度を見たら非常にはらただしく感じてしまう。

言葉の伝達は重要である。たぶん議事録なども、ヘッドギアのように、江戸時代のおふれのような感じで記載していると思うのだが、物事をイコーリティに見れて、人と対話する気持ちがあるのならば、もう少しきちんと対応し伝えようとするのだが、しかし独占販売や人権的なことを考えたら、人に言葉を伝えようとかそういう気持ちが見られない。

語学的感覚を養って周りを見たら、大勢の前でたわいもないことで大きい声で恫喝したり、素っ裸で計量させることがいかに人権を無視しているかということがわかる。それをみんながやっているからと、こういうことに慣れてしまってはだめだ、誰が考えてもそれはおかしいことだと思うが、そういう狭い世界だから通用することを当たり前のこととして受け取る人間の気がしれない。
たぶんこういう軍団のやっていることがおかしいと感じるのは、広い視野を持つとか英語を話すとかいうレヴェルではなく、こいつらが小さく固まろうとすることが問題で、そういう世界でこういうことが当たり前のこととしてまかり通っていることが大きな問題である。
親玉が中心に集まって、ハイハイハイとうなづくだけのミーティングがいかにバカらしいか、まわりを取り囲んで、一人ずついいとことわるいところを言いましょうなんて言うミーティングもあるそうだが、こんなことは中学生未満の人間にするのはバカ丸出し、こんなことをするからバカスポーツだと揶揄されるのだが、ある程度のレヴェルの大人はこういうことはしない、小さく固まろうとする世界で、指導者の言葉が稚拙で、無知だとこういうことになるのかもしれないが、こういうことははっきり言ってはずかしいことである。












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