脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

知的 大胆 容赦なし

2012-12-25 | Weblog
私の友人が読んだ本に、昔の朝鮮半島のリーダーのタイプが、世宗大王をあげて、書かれていたんだが、そこにはこう書かれてあったらしい。
「知的 大胆 容赦なし」そう言って、すかさず彼はこう言った「こう書いてあったけど、これ君のことじゃないのか、わはは。」
思わず苦笑いした。彼は日本人なので、多少遠慮気味に言っていたが、確かに言われても見たらそうだ、それは遠からず近からずあたっていると思う。
私自身自分では絶対に日本人だと思っているが、しかし実はそうではないらしい。
私は半島の影響を強く受けていて、どちらかと言えば性格や物の考え方はアメリカ系の韓国人に近いような気がしている。
だいぶ前ある私のことをよく知る年配の人に「君は確かに徳はあるのだが、しかしよくわからないのは、君は自分が間違っていると思ったり、それは違うだろと思うことに関しては激しく抗議するのだが、それは和を尊ぶ日本人のそれとは違う、たぶん君は大陸の人間に近い考え方を持っているのだよ。」と言われたことがある。
よく何を考えているのかわからないと言われるのは、おそらくこういう行動に出たときで、考え方や行動などが日本人のそれとは違うからだ、特に地方では同じような考え方をするので、よく言われるが、たぶん半島の考え方や気質などを理解すれば、私が何を考えているのか、なぜこのような行動をするのかと言うことが見えてくると思う。

話しはこの世宗大王の話になるが、朝鮮ではこの世宗大王というのは非常に徳の高い王様として、尊敬されている。
世宗はハングルをつくった王としても有名であるが、学問にもすぐれていて彼は本の虫と言われるぐらい本が好きで、日夜勉学に明け暮れていたらしい。
これは韓国だけではなく、世界共通だと思うが、おそらく指導者にはある程度学がなければいけないと思うのだが、韓国では一生懸命勉学に励むことが徳を積むことである。
スポーツをやっている人間は、世界と言うものが対極にあるのだから、ひろい視野を持たなくてはいけない。
それはスポーツのことだけではなく、世の中がどのように動いているかとか、子供や青少年を教えているのであれば、彼ら彼女らの教育の問題や就職などの社会問題などに深く関心を持たなくてはいけないのだが、そういう視野を広げるために勉強することは指導者にとって不可欠である。

前に地元の新聞が「ネコの里親募」「金魚の里親募集」と掲載したことについて挙げたことがある。
里子がいるのに、そういう表現を新聞社が使うことに対するのは非道徳的で、配慮に欠けると言うようなことを言ったと思うが、これはある人が調べたのだが、新聞などの公共機関がこういう表現をするのは法律上問題で、大手の新聞社などは里子に対して配慮してそういう表現では掲載しない決まりになっているそうであるが、地元の新聞社は、そういうことを言われたら自分たちは傷つくと言っている子供たちがいるのにもかかわらず、何がわるいのかとその訴えを一蹴したそうである。
私はその手の人間にはあまりいい印象をもってはいない。こいつらとかかわるとうちのクラブの品格さえおとしかねないとさえ思っている。
「ネコの里親」「金魚の里親」などと里子の子供たちが傷つくと言っているのに、こういう人としての基本的な配慮ができない人間たち、あるテレヴィ局は毎回非通知でかけてくるが(こういう常識的なことができない割にはきっちりと受信料を回収するのだが、)誰がそういう人間を信用して取材など引き受けるであろうか。

たぶん子供とかかわっていれば、いろいろなことが見えてくると思う。そしてそういう問題をとらえて解決するためには、たくさんのことを学ぶことは大事なことである。
引率でキャバクラに行ったり、女を連れ込むなんて言う話し、集団退部なんて言うのも問題である。こういうことがあって校長が原因を突き止めなかったのだろうか?
たぶんそいつは子供がうまく何がおかしいのかということを表現できないことをいいことに、グレーゾーンの言葉をつかったり、存在を無視したりして、いじめたのだろうが、だいたいそいつを見ていると気が小さく顔や態度にすぐ出るので、よくわかる。
おそらくそういうことを一般のレヴェルでやれば問題であると言うことがわかっていないのだろうが、特にこれはあて名書き事件の時に、こういうことをして子供の自尊心を傷つけていたのだなあなんて思ったが、以外にもこういう根性のくさった奴はいるのだが、次回の勉強会でひとつの具体例として挙げておく必要があると思っている。

聞くと結構こういうくだらない不祥事やいじめがある。しかし競技させることばかり優先にして、まわりがそういうことを無視するのはおかしいことだ。
中にはそういうことについていけなくてやめた子供もいるのではないかと思うが、そういう子供たちを根性がないとか、だめだとレッテルをはるのはおかしいことではないのか?むしろこういうバカについていけずやめた人間のほうがまともではないのか??
おそらく手をあげてはいけないという手前(手をあげている奴もいるが)こういう言葉をつかって、あるいは行為で子供の自尊心を傷つけてくる顧問の教員もいると思うが、そういう陰湿な行為は暴力よりもひどく、後々トラウマになってのこるものであるが、こういうことに対してもっとまわりが感じて、問題意識をもたなくてはだめだ。

クラブやスポーツクラブの世界ははっきり言って狭い世界だ。
特にボクシングは英語を話せる人間が他のスポーツに比べてかなり少ないので、視野が狭く、封建的で見ていて非常におかしいと思うことが多いが、正直ここだけだから通用すると言うことが多い。
こういう奴らは自分たちの仲間を集めて小さく固まって、さも自分たちは素晴らしいことをしているとふるまっているが、しかし実際はそこにいて子飼いや子分を集めているだけ、親玉がいたらそこには弟子みたいな奴がいるのだが、そういう奴らのたいていは世の中では通用しないので、ボクシングと言う自分が何とかフライドを保てる場所に集まってきているだけ、そういうやつらをただスポーツができるということで、認めることは、世の中の基準から見て何かおかしいことではないのか。
だいたいこういう奴らは自分のことには非常に繊細なくせに、こういう不祥事や人権に関しては無関心だ、中には自分を大きく見せようとしてとんでもないことを言うバカもいるが、そういうことは、群れから離れてみたらわかることだ。
とにかく子供に指導する人間は世宗大王ではないが、たくさんのことを学び、いろいろんことを知って感じ取らなくてはいけない。
自分のことだけに繊細で傷つきやすいのではだめだ、しかししっかりと勉強をして頭を耕さなかったら物事を恣意的にうけとってしまい、正しい判断ができない。結局仲間中心の小さくかたまる軍団になるのだと思う。

















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