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Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

グスタフ・ホルストのフーガ風序曲作品40の1を聴く

2010-10-21 06:45:37 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日はウォーキングを休みました。
今回取り上げるのは1874生まれのグスタフ・ホルストの作品。
イギリス編の最後はホルストの作品をいくつかあげて終わりにしたい。
フーガ風序曲作品40の1は、1922年に作曲された。
今回聴いたCDはデーヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮、
ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団による演奏である。
強烈なリズムを刻みながら始まるこの曲は、軽快な作品である。
金管楽器が主要な主題を奏で、静かになったところで、
弦楽器中心となり、ヴァイオリン・ソロが登場し、
やがて管楽器が絡んで、強烈なリズムが刻まれ、
最後堂々とした感じで終わる短い曲である。

コリン・マシューズの「冥王星-再生する者」を聴く

2010-10-20 07:10:34 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日はウォーキングを休みました。
今回取り上げるのは1946生まれのコリン・マシューズの作品。
ロンドンで生まれた彼は、ノッティンガム大学で西洋古典学を学び、
ニコラス・モーやアーノルド・ウィットールに作曲を師事したようだ。
サセックス大学で教鞭をとるかたわら、デリック・クックと、
マーラーの交響曲第10番の完成版をつくるのに協力したようだ。
また、ベンジャミン・ブリテンなどとも一緒に仕事をし、
イモージェン・ホルストには彼女の父グスタフ・ホルストの
忘れ去られた音楽作品を探すように勇気づけたらしい。
1975年にはオーケストラのためのソナタ第4番など作曲し、
その後作曲の分野でも活躍するようになったようだ。
「冥王星-再生する者」は、2000年に作曲された。
ハレ管弦楽団の委嘱作品で、初演は2000年5月11日、
ケント・ナガノ指揮、ハレ管弦楽団にマンチェスターで、
ロンドン初演は、同年7月22日にプロムスであったようだ。
彼が「冥王星」について書いたものによると、
指揮者ケント・ナガノから「冥王星」を、
組曲「惑星」に加えてみたいという提案があったようだ。
この時、彼自身は複雑な心境であったことを語っている。
今回聴いたCDはマーク・エルダー指揮、ハレ管弦楽団と、
ハレ合唱団の女声合唱団員による演奏である。

時々叩くティンパニ、そしてフルートと金管楽器の長く伸ばす音で始まり、
うごめくような弦楽器の音が繰り返され、幻想的に始まる。
そして、しばらくすると金管楽器と打楽器で荒々しい音楽になる。
その盛り上がりが終わると、しばらくまた静かな音楽になり、
そして、繰り返す音型とうごめくような弦楽器の音型が続き、
再び金管楽器と打楽器で荒々しくなって盛り上がり、再び静かになり、
最後で女声合唱が突然入り、静かに終わっていく。
この作品をホルストの組曲「惑星」と合わせて演奏するという
アイデア自体はどうかと思うが、単独で聴いてみると悪いわけではない。
ただ最後の女声合唱はホルストの「海王星」の終わりを想起させ、
どうしてここにつなげるのかというのは疑問である。
一時期ホルストの組曲「惑星」と合わせて「冥王星」を演奏するやり方が、
流行してどうかと思ったが、「冥王星」は惑星かどうかの論争に決着がつくと、
そんな流行も終わり(それでやめるのもどうかとも思うが)、
私としてはほっとしているところである。
やはり組曲「惑星」は、「海王星」で静かに終わるのがいいと思うし、
イモージェン・ホルストも生きていれば、そう思うんじゃないだろうか。

アラン・ロースソーンの交響曲第2番「田園交響曲」を聴きながら、三枚町から西谷まで歩く

2010-10-19 06:08:22 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは1905生まれのロースソーンの作品。
彼の略歴は以前触れたので省略する。
交響曲第2番「田園交響曲」は、1959年に作曲された。
バーミンガムにあるジョン・フィンニー公益信託の委嘱を受け作曲され、
1959年メレディス・デイヴィス指揮、
バーミンガム交響楽団によって初演された。
この交響曲は終楽章にソプラノの歌が入るのが特徴である。
聴いたCDはトレイシー・チャドウェルのソプラノ、
ニコラス・ブライスウェイト指揮、
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるもの。
第一楽章アレグロ・ピアチェーヴォレは、
ティンパニの弱い音の上、荒涼とした感じのサウンドで始まる。
木管楽器と弦楽器で一つの旋律が奏でられ、
オーボエなどが奏でるもう一つの幻想的な旋律も登場する。
そして、展開部では音楽は金管楽器も入り荒々しさを加え、盛り上がる。
静まってから、主題が再現されて一楽章は終わるが、
田園交響曲の田園風な部分は、これら主題から来るものなのだろうか。
最後は弦楽器とホルンが残り、消え入るようにして終わる。

第二楽章ポコ・レント・ア・リベラメンテは、
ホルンの吹奏から始まり、弦楽器が入ると幻想的となる。
チェロとハープに導かれ、弦楽器とホルンが入り、
そのあとは弦楽器中心に展開され、これに木管楽器が絡んでいく。
やがて、音楽は主題をもとに軽快に進んでいくが、
ショスタコーヴィチを思わせるような部分もある。
最後はホルンと弦楽器が残り、静かに終わる。
第三楽章田舎の踊り(アレグロ・ジョコーソ)は、
弦楽器のピッチカートに支えられ、
民謡風の旋律が木管楽器により奏でられていく。
中間部のトリオは弦楽器中心に叙情的な旋律が奏され、
木管楽器も絡んでいくが、再び冒頭の民謡風の旋律が登場し、
金管楽器も加わり、華やかな感じで終わる。
第四楽章アンダンテは、弦楽器のゆったりとした音楽に、
ホルンが加わって始まり、弦楽器の上でトランペット・ソロが絡み、
やがてトランペット・ソロとソプラノ独唱による歌となり、
やがて管弦楽全体が加わり、色彩感を加えていく。
サリー州の伯爵であったヘンリー・ハワードの詩をもとに
歌われるが、この内容が自然の四季を歌ったものなので、
田園風であるとはいえるが、これがあるから田園交響曲なのだろうか。
最後は弦楽器とホルンが残り、消え入るようにして終わるが、
ここは第一楽章と同じであり、二つの楽章の関連性を示している。

ゴードン・ジェイコブのオーボエと弦楽器のための四重奏曲を聴きながら、二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2010-10-18 05:13:57 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは1895生まれのジェイコブの作品。
彼の略歴は以前触れたので省略する。
オーボエと弦楽器のための四重奏曲は、1938年に作曲された。
イギリスのオーボエ奏者レオン・グーセンスために作曲されたようだ。
聴いたCDはサラ・フランシスのオーボエ、
イギリス弦楽四重奏団の演奏によるもの。
第一楽章アレグロ・モデラートは、ソナタ形式で書かれており、
オーボエの暗く悲しげな第一主題から始まる。
この主題はヴァイオリンなど他の弦楽器に引き継がれ、
再びオーボエに戻ったあと、第二主題に移るが、
この第二主題は対照的に明るく牧歌的で穏やかな旋律である。
提示部を終えると展開部に入り、第一主題中心に展開されていく。
短い展開部を経て、第一主題から始まる再現部に入る。
第二主題も現れ、最後は第一主題が繰り返され、静かに終わる。

第二楽章アレグロ・モルトは、スケルツォ楽章で、
ヴァイオリンがイギリス民謡風の旋律を軽快に奏で、
これをもとにフガート風に展開していく。
最後まで明るく軽快な短い楽章である。
第三楽章アンダンテ・センプリチェは、
叙情的な旋律が弦楽器とオーボエによって示される。
ゆったりと流れる雲、流れる川を感じさせ、
イギリスの田園風景を思わせるようで、美しい。
その刻々と変化していく風景を感じさせるようでもある。
オーボエと弦楽器が絡み合いながら、
美しいアンサンブルを見せながら、静かに終わる。
第四楽章アレグロ・モルトは、ロンド形式で書かれており、
おどけたようにオーボエが軽快な旋律を奏でていく。
リズミカルな主題をもとに曲は展開されながら、
弦楽器とオーボエの楽しいアンサンブルを聴くことができる。
冒頭の旋律がオーボエに示され、最後さわやかに終わる。

フレデリック・ディーリアスの「海流」を聴きながら、二俣川から緑園都市まで歩く

2010-10-17 11:06:15 | 古典~現代音楽イギリス編
昨日は二俣川から緑園都市駅まで歩きました。
行きはこども自然公園(大池公園)の中を抜けて、駐車場に出て、
そこから緑園都市駅まで歩き、帰りは緑園6丁目の交差点に出て、
まっすぐ酒のつかさの方面に向って歩き、二俣川まで戻りました。
途中聴いたのは1862生まれのディーリアスの作品。
彼の略歴は以前触れたので省略する。
「海流」はバリトンおよび合唱とオーケストラのための作品で、
ホイットマンの詩をテキストにし、1903年から1904年かけて作曲された。
海流とは訳すが、意味としては海の中を漂うという感じだろう。
聴いたCDはブリン・ターフェルのバリトン、
サザン・ヴォイセズ、ウェインフレット・シンガーズ、
ヒコックス指揮、ボーンマス交響楽団および合唱団の演奏によるもの。
冒頭の前奏から、ディーリアス独特の美しい音楽に触れることができる。
淡い感じで合唱が入り、バリトンが朗々と歌い始める。
合唱が「二人、一緒に(Two together!)」というところで盛り上がっていくが、
バリトン独唱が「突然に(Till of a sudden)」というところで悲しい曲調に変わり、
愛する人を失った苦しみを歌っていくところで盛り上がりをみせる。

中頃の「おお、昇ってくる星たちよ!(O rising stars!)」と
歌う部分の合唱が美しく、それに続いてバリトン独唱が、
「のどを震わせて歌え!(Shake out carols!)」と歌い、
絡んでいくところが切ない感じであるが、素晴らしい部分だ。
愛する人を失ったむなしさが心情として歌で表現され、
合唱もそれを慰めるかのように絡んで、一瞬静まる。
そして、バリトンが「おお、私はとても病み、悲しみに沈んでいる
(O I am very sick and sorrowful)」と歌っていく。
曲は「おお、過去よ!おお、幸せな人生よ!おお、喜びの歌よ!
(O past! O happy life! O songs of joy!)」と歌うところで明るくなるが、
そのあとは空気の中にあっても、森の中にあっても、
野原を越えても、愛し続けたその相手がもはやいないことを述べ、
諦めのような、しかし穏やかな気持ちを歌い、最後は静かに終わる。
ディーリアスらしい人生とは何かを感じさせる作品である。
ところでヒコックスはこの曲を気に入っていただろうか、
この1993年に録音したCDだけでなく、1980年にも録音している。
ジョン・シャーリー=クァークのバリトン、ロンドン交響合唱団、
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏のものだが、
こちらの演奏もあわせて聴いてみたが、なかなかである。