政府のご要望に応えて、メディアがさかんに攻めの農業が喧伝される。農業は一次産業である。これを加工する2次産業と、売り込む販売の3次産業を掛けて、合計で6次産業と呼んでいる。因みに、足しても6次産業になる。
この考えは、農家がお金もうけをするためには、2次・3次産業で儲けているのを、取り込もうというものである。そんなことできるのか?一般の農家には、加工や販売などする時間がない。ましてやその、ノウ・ハウも持っていない。
早い話が、百姓は極めて身勝手で偏屈者が多い。篤農家ほどその傾向がある。頭を下げることが不得手である。お天道さんと風向きを見ながら、誰にも頭を下げることなく生きてきている。
今はその時代でないと言われても、百姓根性が俄かに変わるものではない。何よりも、多くの農村は消費地など縁遠いところに位置している。好例として紹介されるほとんどが、消費地に近い農家である。
更には、販売されている多くの農産物は、野菜である。特に鮮度が要求される、葉物は鮮度が求められそれを売りにしている。とてもじゃないが、専業農家の多くは遠い消費地まで手足を伸ばせたものではない。それに、人が生きていくために必要なカロリーが、野菜にはほとんどない。
農業の6次化には、単独の農家が取り組むことなどできない。資金的にも人材的にも技術的にも、農協や自治体などの手助けが必要になる。相当な労力と資金が必要になる。
農業の6次化は、農家の収入を増やす目的のものでしかない。それはこれまでの農業政策が、農家にばら撒かれていることと同じ思想である。本来は、農家の保護ではなく農業の保護支援、食糧の生産の支援が必要なのである。
食料の自給率を上げることは、農家を保護することでもなければ、農家の収入を増やすことなどではない。健全な農作物を消費者に届けることである。特定の地域の、特定の農作物を対象にした、農家収入の増加を求める政策は、いずれ農家以外のものにとって代わられるに違いない。真の食料自給への取り組みこそ必要である。
左にフォトアルバム<春の知床連山>をアップしました。