
太田氏は、太平洋戦争の沖縄戦を鉄血勤皇隊として戦い、多くの級友たちを亡くした。自分は亡くなった学友たちのために生かされている、沖縄が二度と戦争の犠牲になってはならないと、琉球大学の教授から県知事に立候補、二期を務めた。
1995年に起きた米海兵隊員らによる少女暴行事件では、沖縄代表として県民の気持ちに寄り添う形で県民総決起大会に参加し、米軍基地の整理・縮小と米軍人らの容疑者を特別扱いする日米地位協定の改定を求めた。地主が契約を拒んだ軍用地について、地主に変わって土地調書に署名押印する代理署名を拒否し、国に提訴され敗訴している。
普天間基地の廃止を橋本首相と交渉して決めた。代替え基地として、名護市辺野古沖への新基地建設には強く反対し、国はあきらめれば済むことであると言い放つ。
太田氏が建立した平和の礎は、沖縄戦で犠牲になった全ての人たち、民族や人種や立場などすべてを超えて記名、慰霊し、今でも平和を希求する沖縄の心を世界に発信する大切な場所となっている。
大田昌秀元知事の死去を受け、翁長雄志知事は、「突然の訃報に大変驚いている。心からお悔やみを申しあげる」と哀悼の言葉を述べた。大田元知事の沖縄戦の体験に触れ、「人一倍平和への思いが強く、平和行政に力を注いできた。今後も沖縄の歴史や沖縄戦の実相を後世に伝え、平和創造に向け中心となって取り組んでいただけると思っていたが、かなわぬこととなり残念でならない」と惜しんだ。菅官房長官の、木で鼻を括ったような発言と、好対照である。
金のため、自分のポストのために奔走する、現在の特に自民党議員見ていると、太田氏のように高い理想を掲げる政治家がいなくなってしまったことに何ともやるせない気持ちにさせられる。
真に沖縄の平和を世界平和を願った、太田昌秀氏のご冥福を祈りたい。
日本の権力も政府も、自国日本庶民に対しても実に冷酷薄情なのである。ましてや、かつて琉球人と呼び事実上差別してきた沖縄の人々を日本が厚遇などするものか。一部権力者だけが自らの利権確保拡張のために日本という政体を調子よく都合よく利用しているのが日本という国であり権力者たちだ。
本来は日本ではなかった沖縄よ、もう独立するのが賢明である。今の日本は権力者が不正蓄財や汚職する一方で、自国庶民を虐げているという、実にいかがわしく不正な国なのである。
確かに高潔な人間が一人去り また一人去る感は否めない。しかし理想を掲げる政治家がいないのではない。政治は我ら市民の意識の生き写しなのだから安倍晋三の出現は何の不思議でもない。デモクラシーは天から降って来るのでも誰かにお願いするのでもない。政治は我々市民が育てるものだ。
かつての民主党政権下で普天間基地県外移設 CO2ガス削減25%構想をあざけり福島原発事故直後の対応に冷ややかだったのは誰だろうか。あの時我々がせっかく掴み取ろうとした民意を反映しうる政治を放り出したのは我々自身ではなかっただろうか。