横浜地検のトップが周辺自治体に謝罪に歩いていた。実刑が確定した男の拘束が出来なかったのではなく、初動の遅れでの謝罪である。事件後報道などに知らせたのは4時間後であった。地検の失態である。失態はそれに留まらない。
そもそも刑の確定した人物を4か月も拘束していないとは、理由の如何を問わず怠慢以外に何ものでもない。実刑確定者は犯人ではなく、「遁刑者」と呼ばれる。遁刑者が逃走することを法は予測していない。逃げたことの罪は問われることはない。この男の罪は公務執行妨害でしかない。報道は犯人とか容疑者と書かれているのが多いが、本来は受刑者でなければならない。今年は26人もいるとのことである。人が足らないのが理由になるとは思えない。拘束者は警察官でなく地検の職員のため、今回のように暴力的に対応されれば、怯むしかない。制度にも問題があろう。
だからこの受刑者の男は遁刑者なのであるが、昨年から遁刑者が何故か数件起きているが、どれもこれも現場のお役人の失態である。逃走の直接的な瑕疵にとどまらず、その後の情報公開が遅れ、ひょっとすれば逃げおおせるのかとも思わせるまで逃げられた。関係機関への周知の遅滞、怠慢がどれにも共通している。なかったことにしたいお役人の本能、事なかれ主義のお役人の本質が根底にある。
昨年死亡した友人の後処理に役場と交渉しなければならなかったが、縦割りと建前の壁が大きすぎて苛立ちの日々であった。できれば何もやりたくない木っ端役人の保身術に膨大な炉力と時間を要した。
私に関係する家畜保健衛生所にも同じことが言える。ろくに法規を理解しないまま、仕事が増えることが困るのであろうか、法規に抵触することでも平気で強制する。一昔前にはこのような人物はいなかった。現場を持つ仕事は個別の問題を抱えている。一様に線を引きたくなるのがお役人であるが、かつては現場を知っていたための対応が今は消えてしまった。
今回の事件を保釈と捉えて、日本は保釈に甘いとカルロス・ゴーンを引き合いに出す論調もあるがそれは間違いである。この男は保釈中ではない。出頭もしなかったし拘束もできなかっただけである。
魚は頭から腐るという。不都合な事実は隠匿する、見つかると改ざんする、さらには廃棄する、どうにもならないようだと認めないような内閣がこの国のトップにいるようだと、下々もそれに倣うのである。責任を取る必要がないからである。