そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

冤罪の本質は袴田巌さん可哀想だけなく、真犯人を無罪にしてしまう官憲の無謬主義である

2023-03-21 | 官僚

袴田事件のような冤罪、検察側の強権的な調査や逮捕事件を見る度に、幼いころ見た衝撃的な思い出が蘇る。自宅の一軒隣に何にでも興味を持つ私に、優しく丁寧に説明してくれた、高校の教師だった方がいた。後から教えられたのであるが、レッド・パージの手が入ったのであった。
近所の人たちが恐れをなして遠くから見ていたのであるが、勝手に親しいと思っていた私は、家の中に入って驚いた。物のない時代であったが、あらゆる家具がひっくり返され、本などと一緒に床に散乱し、土足の跡が畳を一面に汚していた。奥さんは子供二人を抱えて、呆然とされていた。
それはまるで戦前の特高の横暴で国民を見下したような、権力者側の傲慢な姿勢を彷彿とされる。戦争が終わって、新憲法になっても警察は人的には全く変わってはいない。
末端は何時までも”おいコラ”警察であった。彼らが事件のましてや殺人事件を解決できなかったなどという、汚名など許せるわけない。袴田事件も従業員の「ボクサー崩れ」のチンピラを犯人に仕立て上げる、格好の人物を見つけたのであろう。私の見たあの警察官なら、簡単にそんなことは思いつくであろうと直感した。

冤罪事件は犯人に仕立て上げられた人物の人権問題や同情論が先に立つが、冤罪事件の本質問題の第一は、真犯人に無罪である免罪符を与えることである。法治国家にあってはならないことである。それを警察がやるのである。
そして第二の問題は、この国を席巻する官僚やお役人の無謀主義の、結果的な礼賛である。それは取り調べの録音音声をきけばよく判る。休みない連日の長時間尋問で必ず、「自白」を引き出すのである。袴田事件に限らず、冤罪事件のすべては長時間尋問で得られた自白に、大きく依存している。彼ら官僚やお役人には、自分たちは正義であるという自負があり、その彼らを無謬主義が支える。
検察の無謬主義に迎合する司法は、ボクサー崩れの証言よりも、当然のように検察の調書を重んずる。
日本の警察は検挙率が高く、司法からは高い確率で有罪を得られる。日本は世界に類を見ない、ほぼ100%の有罪率である。なんと優秀な警察、検察そして司法であることか。
被告や支持者が強力な場合が騒がれるのであって、殺人事件のような重大事件の場合が騒がれるのであって、実態は明らかになった数倍の冤罪があると思われる。警察は冤罪を受け入れてくれそうな、社会の最底辺の人物を選択的に仕立て上げるからである。何時まで日本の警察は、特高まがいのことを続けるのであろうか。

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