東電社長が土下座行脚をやっている。津波でも地震でもあるいは、人が捜査する核融合の危険性でも、その危険性を訴えている人たちの意見を聞かなかった彼らに、言い訳は許されない。
特に「想定外」の意見を排除していた経緯は、通産省も電力 会社も同罪である。これらのことは、とっくに想定されていたのである。想定する意見を排除したに過ぎない。
いかに騙されたとか、知らされなかったとは云え、原発を受け入れた自治体は十分恩恵を被っていたはずである。
東電の社長をはじめとする役員は土下座しながら、「お前ら金受け取った出ないか」と、腹では思っているはずである。埼玉の知人に避難してきた、原発を受け入れた自治体の避難民が、数家族来たところがある。彼らは例外なく羨むような高級車で乗り付 けてきた。
翻って、原発が持ってくる金に目がくらむことなく、拒否した自治体も少なくはない。彼らは安堵の胸を下ろしていることだろう。例外なく彼らの町は貧しくとも、平和で健全な農漁村である。
町独自の予算の倍額にもなる交付金は、口止め料のはずである。受け入れ自治体は、想定以上の恩恵にあずかっていたはずである。
こんな大きな事故は文字通り、彼らは想定していなかったのであろう。交付金がはした金程度になる、補償を彼らはやらなくてはならない。
隣町のこうこうと輝く道路や公共施設を横目で見ながらも、懸命に我慢している自治体は、これまでほぞを噛んでいたのである。
しかし、放射能の想定外の広がりは、交付金の恩恵を受けなかった地域にも及んでいる。彼らこそ補償されるべき、真の被害者である。
彼らこそ、原発受け入れ「未来を作る原発」と、町のあちこちに掲げる自治体に対して、ものを言うべきである。金に目がくらんだ自治体こそ哀れである。
そもそも、金をやるからお願いしますと言うものにろくなものがない。自衛隊の炎症上でも産業廃棄物でも、彼らは後ろめたいから、金を出すのである。しかも相当高額である。
東電社長に土下座させるだけではなく、金に目がくらみ原発を受け入れた、自らの立場も検証するべきで、多いに反省するべきなのである。
長い避難所暮らしの上に、先も見えず、家族の遺体捜索も遅れているという現状を考えると、
目の前に責める対象として数人の人物が現れたとき、もしも自分だったらどうするだろうと思いますと、
冷静に会話ができるかどうか自信が持てません。
だからこの人達を、あの絵面だけを見て責めたくはありません。
確かに見ていて気持ちのいいものではありませんでした。
『抵抗できない弱いものを群衆で取り囲んで罵倒する』という行為は
日本人として昔から摺り込まれてきた美意識として許せないものであるのだろうと思います。
ただ形式的には一見今回もこれに近いようですが、実際は土下座をしている東電社長を始め、
その場に連なった役員らしき人達は、けして浪江町民よりも『弱いもの』ではなかったということを忘れてはいけないと思います。
その場では確かに弱いものに見えたかもしれませんが、実際はいろんな権限を持ち、財力的にもしっかりした基盤があります。
この避難所を出ればきっと、またもとの『おえらいさん』に戻るのでしょう。
一方避難民の方々は、なんの力もなく、ただ生活のすべてを奪われた口惜しさを言葉でしか表せないのです。
そのために東電社長を土下座させた浪江町民の方々を『醜悪だ』とか『品がない』とか『甘い汁を吸ってきたくせに』などと責めるコメントを昨日からたくさん見ました。
私の地元でも、避難してこられた方の中にはいろいろな方がいらして、一部では不評を買う方もいらっしゃいます。
但し、それは『波江町民』ではありません。
私も今まで福島県に住みながら、どの自治体に原発があるのかということすら意識しないまま暮らしてきましたが、今回あらためて浪江町民はそこまで叩かれるべき対象なのかと調べてみましたところ、さびれゆく町の生き残りをかけていろいろと模索しては来ましたが、そこには原発反対派の長い戦いの歴史があって、原発の恩恵はほとんど受けていないと言えるようです。
町は貧しいままで特別な恩恵もなく、自主避難のため暮らしの見通しも立たず、家に戻れる見込みも示されず、補償もはっきりせず
その上ゆえなく『今までもらうものはもらってるだろう。今さら文句を言うな』などと国民に責められる。
こんな切ない状況があっていいものでしょうか。
今回の映像により、避難者の方々の感情的な雰囲気とあいまって福島県に対する風当たりが強くなりました。
範囲を広げて福島県民全てが同じように責められています。非常に哀しく切ない気持ちです。
自分の出した義援金は福島県には遣わないでほしいなどとおっしゃる方もいらっしゃいます。
国民の皆さんに見放された気分を味わっています。
『東電社長に土下座させるだけではなく、金に目がくらみ原発を受け入れた、自らの立場も検証するべきで、多いに反省するべきなのである。』というご指摘に関して、今まで無関心で過ごしてきたことに対しては反省もいたします。
しかし巷に流布される『金に目がくらみ原発を受け入れた』という文章をどうしても飲み込めず、長々とコメントしております。
いろんな人がそれぞれの意志のもとにそれぞれの道を歩んできた道のりを見ずに、一つの印象を全ての人にあてはめてしまわないでいただけると嬉しいです。
波江町民を語るフリをしながら結局は自分の事を責めないでほしいと書いていますね。失礼しました。
よろしければご参考までに
ttp://tokyopastpresent.wordpress.com/2011/04/07/東日本大震災の歴史的位置ー福島第二原発が直面/
ttp://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64371841.html
日ごろあまり文章を綴り馴れていないものですから
思うことをスッキリとまとめられず情けないです。
良く読んでください。東電への同情など微塵もありません。
原発がお金を持ってくることぉ知っていながらも、受け入れていない寒村が沢山あります。
彼らの心情を慮って欲しいのです。彼らは、湯水のように金を貰っていた住民に、同情などしないでしょう。
takeoさんの趣旨は理解しながらもう一度言います。それでは、彼らは金がもらえなくても、原発を誘致しただろうか?
そんなことは絶対にないと思う。
金に目がくらんだのは事実です。
住民に同情はしますが、それではいつまで経ってもこの国に原発はなくなりません。