日本が政治ごっこの乱立する政党の、行く先の見えない選挙に突入しようとする最中に、パレスチナでは異様な事態になっている。イスラエルが空爆による、文字通りのピンポイント攻撃で車で移動中の、ハマスの幹部を暗殺した。
パレスチナのロケット弾の攻撃は思ったより、イスラエルの深部まで届いている。イスラエルは、1万6000人の予備兵を招集している。地上戦が現実味を帯びてきた。これを受けて中東の春以降、初めてとなるアラブ連盟外相会議がエジプトで開催される。極めて緊迫した状況にある。
イスラエルとパレスチナの戦いの報道は、均等に扱われている。あたかもどちらも悪いんだとか、けんか両成敗の見方である。世界中の世論が、ガザを見捨てようとしているように見える。
今回もガザの死者は20名ほどであるが、イスラエルは4人も死んだと発表している。これまでの戦闘の死者の比率は、280対1である。空軍を持ち核兵器を所有する、近代兵器で武装されたイスラエルに対して、ロケット弾と自爆しかできないパレスチナの戦いは、対等ではないのである。
戦闘は強者が弱者に対して、譲ることが原則である。弱者は譲ることができない。でなければ戦闘は果てしなく続くことになる。この原則を大国は守っていない。特にアメリカと中国は、大国であるがゆえにその支配力を強めようとしている。
カイロで開かれる、親アメリカでなくなったエジプト政権と、シリアの内戦の権力構造がイスラエルのどれだけ歯止めをかけられるか、大いに疑問のあるところである。
ユダヤの人々がこの地を追われ、奪還することはそれなりの意味があるでしょうが、2000年の時間は彼らがその地に戻るにはあまりにも障害が多すぎます。
時間が経ちすぎていると言えます。どれくらいならいいのかという質問は愚問ですが、ユダヤの人たちは現実にアフリカの未開地を切り開いて国家をつくることも検討していました。
どうしてもこの地という考え方、シオニズムは厄介を嫌った第2次世界大戦の勝者たちの、まことに身勝手な決定によります。
この国連決議には、中東のどの国とも事前協議もなく、賛成者がいませんでした。
詳細は省きますが、イスラエルは飛びぬけた軍事力で、パレスチナ人を無差別に殺戮しています。これはテロではないのでしょうか?
1948年独立宣言、翌年国際連合に参加。当然アメリカの強い支援があった。
今回の地上侵攻に参加する兵士は、1960年以降にキブツの集団教育の強い影響力を受けた世代で、ガザ地区もイスラエルの支配下に置こうとする意志を強く感じる。
この地域は旧約聖書時代から紛争の歴史があり、国境をどこに定めるか素人判断には難しい。国のため命を落とす、同胞が殺されたから反撃するという発想は、旧約聖書に書かれていた気がするが、新約聖書ではそれを認めていない。
この紛争に巻き込まれている悲惨な市民を思いながら、世界に一つだけの平和憲法をもつ日本を見直してもらいたいというのは、ひ弱な人間だからだろうか。