稲尾和久が死んだ。西鉄のフアンではなかったが、数多くの神がかり的な試合をリアルタイムで少年時代に感動を受けている。稲生が42勝した年に、杉浦忠が38勝していた。「二人 で80勝ならそれで優勝だ」と話していたと伝えられている。
稲生の伝説は数多くあるが、そのうちでもっとも私が評価したいのは、圧倒 的にソロホーマーが多かったことである。被本塁打の6割以上が、塁上に走者がいない時なのである。彼は、ここぞと言う時に力を発揮したのである。
高卒の彼が、コントロールが良いのでバッティングピッチャーとしてキャンプで使われていたが、先輩バッターを打ち取るようすと、コントロールの良さに目を付けた三原が、一軍に採用したのである。
連投については、三原がこき使ったと言われてはいるが、彼自身にはそんな被害者意識などない。日本にはすでにこうした、組織に献身する人がいなくなってしまったようである。
稲生投手は西鉄で生まれ、西鉄で終わった。トレードなどのない時代のことである。職業野球 になったばかりの、西鉄ライオンズを全国的にしたのは、稲生や中西や豊田たちの野武士軍団である。終身雇用が相当希薄な意味しか持たなくなってきた現代。この時代の生き方は、終身雇用は当然のことであった。
後に豊田は、国鉄に移籍するが相当未練を西鉄に残していた。この時代を知る者にとっては、トレードはいまだに派遣社員のように思えてならない。
終身雇用が良くも悪くもこの国を支えた事実は、悪評ばかりが先行してプロ意識、職業意識をも希薄にしてしまった。マニュアルに頼る技術屋が増えたと、時計屋の職人が嘆いていた。時計すらなくなってしまったが・・・
稲生の冥福を祈りたい。