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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

真剣に力の社会を考える

2007-04-25 | 国際・政治

このブログの4月18日に書いたことを、少しまとめてオーマイニュースに書いてみました。http://www.ohmynews.co.jp/news/20070423/10388「銃社会」は力の論理でしかない、人の命を軽んじるだけだとするのが私の趣旨です。アクセスが多い割には、私の意見は非難されているようです。

殺される場合のことばかりが論議になる。銃が平和を生むのはお互いが銃を持つことを前提にしている。そのお互いに、信頼関係がなければ銃の量を増やしたり機能を高めることをお互いにやることになる。俺のほうが強いから、攻めて来るなとお互いが競い合うことになる。

この流れは、市場原理に酷似する。

命を軽んじる結果、自らを守るためと称して行なった戦争では、他国の死亡者には無関Photo_113 心になる。アメリカは、イラクで30人程度の死亡事件が起きても、ほとんど無関心である。ところが、アメリカ兵が殺された場合は、数倍に及ぶ関心の高さを示すことになる。それが、更に暴力の循環につながる。

銃社会は、自らを守るというよりも、何時でも、誰でも、誰かを殺すことが出来ることなのです。国家が所有する軍隊についても、全く同じことが言える。

私は人を殺したくない。殺されたくないからと、人を殺すのも同じである。近代の戦争のほとんどは「自衛」のための戦争であったのである。必要とあれば”演出”まで行なって、自衛のためと戦争をしてきたことを忘れないで欲しい。

戦争は人殺しで、正しかった戦争などいまだかつて存在したことがない。

コメント (3)
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