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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

まるで見えない民進党の代表選挙、民進党の奮起を期待する

2016-09-08 | 立憲民主党
民主党代表を選出する選挙が静かに行われている。報道も少なくまるで人目をはばかるような選挙と言える。蓮舫代表代行と前原誠司元民主党代表と玉木雄一郎国対副委員長の三名が立候補している。
三人そろってある番組に出ていた。司会者が玉木氏に決選投票になったらどうするかと問われ、その内容すら知らなかったことに唖然とした。代表になろうというのではなく、名前を売ろうというだけの立候補だというのが解った。
民進党代表選挙で最も話題になっているのが、本命候補の蓮舫の国籍である。日本と国交のない台湾の国政機問題は、事務手続き上もかなり複雑なようである。外国籍の者が首相になれるのかという、低レベルの話題が中心というのも情けない。
では、参議院籍の国会議員が公党の代表、というのも本来はおかしい。参議院議員は閣僚は勿論のこと、政党政治をも行うべきではない。良識の府参議院は、今では衆議院議員と何一つ変わることなく、閣僚にもなるし政党の責任者にまでなっているが、そのことを蓮舫に問べきなのである。

安倍晋三が政権を取ってから、この国はすっかりおかしくなってしまった。国民の70%超の人が反対する原発は再稼働するし、法律学者の95%が憲法違反とする安保関連法(戦争法)を強行採決するし、国民の過半数が疑念を抱きアメリカの次期大統領ですら脱退するというTPPに前のめりになるし、公約に反する消費増税分を国防費に充ててしまうような、これまでなかった乱暴狼藉をいくら働いても、平気の平左でいるのは、ひとえに民主党の体たらくによることが大きい。
民主党をそっくり引き継いだ民進党に、国民は期待薄なのは民主党政権時代に戻りたくないという、後ろ向きの自民党支持なのである。
平気で嘘をつく安倍晋三であるが、金をばら撒く外交と見せかけの数字だけが躍る経済政策が、この男の支持をさらに上げているのも、民進党だけには政権を渡したくないという考えが国民の底流にある。
今回の民進党代表選挙でも、三者の意見の相違は見えてこない。小気味よく言葉を躍らせる蓮舫であるが、過去の民主党政権時代の失敗を恐る恐る喋る前原と、それに涙する玉木と言ったおよそ国政を担う気概など感じられない、立会演説である。最も根本的なところで自民党と対峙する政策を打ち出すことができない、何とも冴えない民主党代表選挙と言える。
7月の参議院選挙では、北海道と東北では民進党は共産党との選挙協力もあって、大勝しているのである。そうした前向きの言葉や政治姿勢が見えないのも、国民の多くが失望を未だ拭われていないことを物語っている。健全な政党政治のためには、力強く政権を脅かす野党がいなければならない。民進党が新しい代表の元で一致団結して生まれ変わることを祈りたい。
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「民進党」ねぇ~、なんとダサい名前であるか

2016-03-15 | 立憲民主党
民主党が維新の党会と合併して、新党名を「民進党」とした。なんとダサいネーミングか。国民が記憶にとどめて選挙で書いてもらうためには、7月の参議院選挙(たぶん衆参同時選挙になる)は近すぎる。
実質的には出戻りが半分の維新の会を吸収したにも拘らず、党名を変更することこそ奇異である。維新の会こそ、太陽の党(立ち枯れとか日本をよくする何とかとか)が出て行ったり、みんなの党(結の党だったか)が入ってきたり、おおさか維新の会(橋下徹の親安倍政党)が出て行ったりと、もともと政策も立場も異なる烏合の集団で、バラバラな党である。これを仮にも政権を担った党が呼び込んだのである。しかも党首をはじめとして半分は民主党から出た人たちである。
岡田代表は礼を尽くそうとした律義な面はあるとは言うものの、吸収された側の行き場のなくなってしまった党の、民主党という名をなくせという言い分に道理があるわけでもない。国民に広く知られた名前を捨て去る理由には十分ではない。
民進党であるが政治漫画に出てきそうな、苔が生えたようないかにも古めかしい名前である。台湾の民進党(民主進歩党の略)は同名の党が増えて喜んでいるようであるが、これで夏の選挙の、「民進党」の敗北は鮮明になった。
もっとセンスのある人間が民主党にいなかったのか。それより先に、民主党の本分を貫くようなブレインすらいなかったのか。野党第一党がこんなことでこけるのは見るに忍びない、政党名の改変劇である。
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結局は民主党が安倍政権を支える

2015-10-30 | 立憲民主党
自民党が数えきれないほどの失政と憲法違反や法律違反、違法行為をいくら重ねて一時内閣支持率を下げても、半月もすれば微妙に回復する。その原因の多くは民主党の不甲斐なさに原因がある。民主党は全く支持率を伸ばすことができない。
共産党が国民連合政権構想を、安保関連法廃案を最大の政治目標として提案した。岡田代表は小選挙区制の中で競い合うことで、自民党を利すると前向きの姿勢を示していた。これに対し細野政調会長から強い批判が出た。前野や長島など右からだけではなく、ベラルを標榜していた長妻からも批判が出る始末である。共産党の提案は、綱領を横に置いた選挙協力程度のものともわれたが、民主党内ががまとまらない。
更には、元政調会長でもあり外務大臣をも務めた松本剛明氏が、「政権を目指していた私の思いと民主党の思いが重なることがなくなった」と離党届を出した。温厚な人柄で政策通としてもで知られ、高祖父に伊藤博文を持つ家柄の人物である。先の安保法案関連では対案を自らも作り、党に提案したが共産党に主導権をとられ検討もして貰えなかったことを、離党の理由に挙げている。
宮城県議会選挙では、民主党は議席を一つ減らし、倍増した共産党に次ぐ第三党に落ちてしまった。自民党は過半数割れはしたというものの、圧倒的な第一党であり、世論調査の結果がそのまま数字に表れた格好になっている。
岡田民主党は維新の党と連携を模索していた。その動きは、安倍に近い橋下によって見事に砕かれた。党内外から叩かれて行き場のなくなっている、岡田代表である。
沖縄では辺野古新基地建設を巡って、自民党の違法・無法行為の県民感情を逆なでするやりたい放題であるが、民主党は辺野古については沈黙を決め込んでいる。鳩山政権時代の整理すら党内でできていないのである。
暴走する自民党に対抗できるのは、現状では具体的には野党第一党の民主党しかない。その民主党は自民党がいくら失政を重ねても、支持率を伸ばすことがない。あの民主党政権時代の不甲斐なさに戻りたくないといういう感情が国民の間に拭いきれていないのである。それを民主党は裏打ちするように、安倍政権の失態を糺す力すら失っているかに見える。結局は民主党の不甲斐なさが、皮肉にも安倍政権を支える構造になっていると言える。
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宮尾登美子氏の死去に思う、抑圧と自立

2015-01-08 | 立憲民主党
宮尾登美子が亡くなった。土佐出身の宮尾登美子氏は、数多くの戦前の女性を描いている。時代に翻弄されながらも逞しく生きる女性の姿は多くの人の共感を呼んでいる。彼女の本はほとんど読んではいないが、数多くの映画化でより一層輝きを保っている。
戦前の男尊女卑の中、権力の横暴が席巻する時代、戦争の暗い影が伸びてくる中、女性の人権など存在しないの等しいような社会が、より一層女性や底辺の人たちを強く逞しくさせる。宮尾登美子の描く女性は、権利の要求や不条理の摘発などとは無縁のものである。時代や制度を受け入れたまま懸命に生きる。

日本は不登校の生徒が、20万人いるとの報告もある。その一方では、アフガニスタンやアフリカなどでは、勉強をしたい、学校へ行きたいと望む子供たちが溢れている。日本の学校は子供に嫌われるほど悪くて、途上国の小学校は、天国のように素晴らしいものなのかというと、施設だけを見る全く逆である。
日本では教育に政策的な支援が必要となれば、信じられないほどの巨大で設備の整った学校を建てる。教育問題でも土建屋志向なのである。当地には10億円もかけたへき地の小中学校が、10年も経たずに廃校になり、雪の原野に寒風に晒されて佇んだままである。
アフリカなどには、小学校の建築支援には僅か数百万円で事足りる。教育の本質は施設などではないのである。

乳牛は子供の頃風邪や下痢に罹りやすい。子牛たちには暖かい環境よりも、寒風に中でも耐えられる施設で外で飼う農家が多い。多少発育が遅れても、結果的に強い乳牛に育つ。
若い農協の職員と言い合ったことがある。彼は昔の農家は大変だったと主張する。僅か数頭の搾乳で、道路も悪く、搾乳施設も劣悪だったというのである。然しその頃の酪農家の親父は、朝から飲んだくれてくだをまいていて、幸せな酪農家の笑顔で満ち溢れていた。
現代の酪農家は、設備の整ったきれいな牛舎で大量の牛乳を生産する。朝から晩まで、モニターに映った乳牛の個体データーと、収支の数字に頭を悩ませている。
私の目にはどちらが幸せであるか判断できない。
言えることは、小学校がたくさんあって人間も大勢いた。学校まで雪の中を何キロも歩いて通っていた。学校は統合されて、子どもたちは激減し、住宅の前までスクールバスが来る。北海道の田舎の子は、肥満になる傾向が圧倒的に強い。かつで数多くの名力士を生んだ生んだ土壌は今はない。環境が好転した結果と言える。

結論は持ってはいないが、環境の整備や権利の要求だけでは人々は幸せにはなれない。しかし、不条理や不平等はあってはならないし、権利は保障されるべきである。宮尾文学に多くの人が共感を持ち、支持されたのは人々の生きる本性を根底で感じているからなのではないか。
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そりゃ先住民族に学べばいいさ

2006-11-28 | 立憲民主党

友人にアイヌの人たちがいる。彼らが幼いころは、悲惨だったようである。アイヌの子どもたちにとって、通2003830 学は大変な試練だった。

親自体が、本来の伝統を全て壊されたりして、仕事そのものがない。アイヌ部族にとって貧困は日常のものである。彼らの幼い頃の写真を見ると、私はつぶらな瞳の彼女たちは可愛いと思うのであるが、見た目に明らかに、シャモ(日本人)と異なる顔つきは、子どもたちのいじめの対象には恰好のものであったことが容易に推察される。

彼らは今でも、北海道で盛んな「北方領土返還運動」を忌み嫌っている。それは、日本の主張する「日本固有の領土」という文言である。ここは、彼らアイヌなど少数民族にとっての固有の土地であったはずである。

単なる平和主義者で、パレスチナを非難する人がいたので「彼方のところに突如、アイヌ人が銃を持ってきて、200年前までここは私の土地だった出てゆけ!」と脅されたらどうする?と聞いたことがある。パレスチナ問題に類似した問題は日本にもあるはずであるが、圧倒的なシャモの力で存在を消し去っている。土地を04101425_1 奪われ、言語をなくし、伝統生活を否定された先住民族は日本にもいるのである。

先住民族は、世界各国で人権を蹂躙されている。彼らの多くは、幼少時代今取りざたされるようなレベルをはるかに超えた「いじめ」を受けていた。彼らは、先生や学校からも差別されながらも、自殺などすることなく今日も、一皮向けば恨みなどを内部に隠し持ちながらも生きている。

彼らの親自体が、本来の伝統を全て壊されたりして、仕事そのものがない。アイヌ部族にとって貧困は日常のものである。彼らの幼い頃の写真を見ると、私はつぶらな瞳の彼女たちは可愛いと思うのであるが、見た目に明らかに、シャモ(日本人)と異なる顔つきは、子どもたちのいじめの対象には恰好のものであったことが容易に推察される。

彼らは今でも、北海道で盛んな「北方領土返還運動」を忌み嫌っている。それは、日本の主張する「日本固有の領土」という言葉である。ここは、彼らアイヌなど少数民族にとっての固有の土地であったはずである。

単に、パレスチナを非難する人がいたので「彼方のところに突如、アイヌ人が銃を持ってきて、200年前までここは私の土地だった出てゆけ!」と脅されたらどうする?と聞いたことがある。パレスチナ問題に類似した問題は日本にもあるはずであるが、圧倒的なシャモの力で存在を消し去っている。土地を奪われ、言語をなくし、伝統生活を否定された先住民族は日本にもいるのである。

先住民族は、世界各国で人権を蹂躙されている。彼らの多くは、幼少時代に今取りざたされるようなレベルをはるかに超えた「いじめ」を受けていた。彼らは、先生や学校からも差別されながらも、自殺などすることなく今日も、一皮向けば恨みなどを内部に隠し持ちながら、シャモに埋没し生きている。

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そりゃ建前主義ばかりだろ

2006-11-20 | 立憲民主党

近親者に教師をやっていたものがいる。彼は校長までなったが、彼らの入学式などの発言集Photo_51 を読む機会があった。なんと陳腐な内容であるかと愕然としたものである。抽象的で建前主義に終始している。

思い起こせば、私たちの幼い頃の校長先生の話はあまり覚えてはいないが、説教臭い内容だった記憶はある。が、それでも、一種の権威のようなものを子どもたちは感じてそれを受け入れていたのかもしれない。同じようなことを、校長はしゃべっているのかも知れないが、そのことのほうが問題である。時代が変わっても、そのまま抽象的で建前主義である。

子どもたちを通じて直接、教師たちに接する機会が多くなった時期、彼らに一種の潔癖さに違和感を覚えていた。多くの教師が、学業優秀で大学から直接教師になっている。早い話が社会のことをなど知らないのである。

教師の質は確かに低下している。もしくは、時代を捕らえられない教師が増えていることも事実である。氾濫する情報の中で子どもたちは、良い悪いは別にして、沢山の知識を持っている。ものによっては、子どもたちのほうが明るいことも少なくない。

私が父兄会で、購入希望を問われたときにワープロを買って欲しいと頼んだことがある。ところが、ワープロを触れる教師がいないという理由で、鉛の活字を一個づつ拾う”邦文タイプ”を買うことになった。ワープロを5台ほど変える金額だったが、すぐに使われなくなった。使用していた高齢の教師が退官したのである。今ではワープロも使う人がいないくらいである。

仕事上などで、官僚に接する機会も多くなって、彼らの持つ「無謬性」にはうんざりしたものである。官僚には間違を犯さない自負、もしくは硬直性である。教師にも少なからずそうした傾向が見られる。困った意見を父兄が言おうものなら即座に「参考意見」にされてしまう。

教師には自己改革意識、時代を捕らえる感覚、責任をなんとか逃れようとする意識、権威への従順性が強く見られ、そうした人物が出世するシステムになっている。

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そりゃ”いじめ”はなくならないサ

2006-11-15 | 立憲民主党

このごろ「いじめ」が新聞を連日紙面を賑わしている。中学生や高校生のいじめといわれているものPhoto_49 は、いろんな理由をつけて仲間外れさすことだと思う。自分の幼い頃を考えても、こんなことは四六時中あった。

人は弱者を作るのが楽しい。優越感に浸れるからであろう。人は人間が社会生活している限り、相互の能力や認識レベルや体力や年齢や趣味などに差が当然起きる。

いじめは殆ど人間の本性である。いじめはなくなると思えない。いじめをなくそうと考えるよりも、いじめはなくならにと考えるほうが現実的である。いじめの質が問われることはあってもいいかも知れないが、いじめに耐える人間を作ることがもっと必要なことである。

アフガニスタンにはいじめによる自殺者などない。今まで学校など行くことができなかった子どもたちは、自ら望んででも行きたいからである。登校拒否が日常的にあるわが国は、学校の本質を見失っている。

もう1つ大きなことは、教師の怠慢と無自覚、建前主義である。この7年ほどはいじめの報告がなかったのは、教師側に隠蔽体質があるからである。私の実兄も教師であったが、友人の旅館経営者のは話では、宴会で大騒ぎをして仲間内でいざこざが始まるのは、教師か警察官であるという。一般社会から隔絶されたような存在、父兄に持ち上げられてそっくり返る体質が、教師の芯まで滲みている。「いじめんなんてなければいいのに・・・」と思っている教師たちは、自らの立場ばかり考え子供のことを考えていない。

ましてや、いじめや履修問題で、行き詰ると自殺する校長などもってのほかである。こんな程度の人間を校長にしたことこそ問題にしなければならない。

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そりゃ社会の鏡だろ

2006-11-03 | 立憲民主党

このところ”いじめ”で子どもたちが自殺しただの、学校がそれを隠しただのと、類別の つかない事件が頻繁に起きているようである。頻繁に起きているのか、集中的に報道されているのかは良くは解らないが、子どもたちが、可哀そうだとか、学校が隠匿したなどと050602_1毎日のように、新聞紙面を賑わしている。

いじめは、昔からあった。できの悪い子や何かしら問題のある子をクラス全体で、面白半分に差別したり、意地悪はしたことがある。自分自身もその対象になったこともあるような気ががする。気がするというのは、あまり大きな意味がなかったからである。現在と違うのは、陰湿ではなくしばらくの間だけだったことである。

Photo_43 問題は受ける側にもある。いじめで、自らの命を絶つ程の問題かどうかとは思う。子どもたちが弱くなったのかもしれない。良く言えば、感受性が高くなったのだろうか?

動物の世界でもいじめはある。乳牛でも集団で暮らしていると、強弱関係をはっきりさせるために、戦うばかりではなく、意味もなく食べるのを邪魔するような牛がいる。そういう牛は、概して弱い牛である。群れのリーダーは、覇を競うために力は見せることがあるが、弱いものいじめはしない。人と動物は違うという人もいるかもしれないが、基本的には変わることがない。

牛も人も、親など大人ののやることや社会一般に習い、見よう身真似して大きくなる。小泉政権以降一般的に言われるようになった、市場経済そのものが、弱いものいじめである。市場経済とは、一見強者は強者同士で覇を競っているようにみえるが、その実、弱者をお互いがどれほど食うことができるかを競っているのである。

子どもは社会の鏡である。何を映しているのか良く見ればいい。

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羅臼港

春誓い羅臼港