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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

憲法を守ってゆく理由、戦争をする口実

2014-04-16 | 平和憲法

あまり報道されていない、「解釈で憲法九条を壊すな!4・8大集会」の大江健三郎氏の演説 です。大江氏は、文学者としての立場から述べられていますが、憲法の持つ意味を説かれています。
自民党憲法草案が極めて危険なことは、憲法によって国民を縛ろうとしていることです。国民が国家に果たさなければならない義務などを、様々な言い回しで課するする内容になっています。
現憲法はそれとは全く逆で、国家・権力者が国民に果たさなければならないことを説いています。つまり憲法が権力者に対して、縛りをかけているのです。
集団的自衛権などと言う虚構は、そうしたことの典型です。国家が、国民を守る言う理由で、これまで数多くの戦争が行われてきました。自衛権と言われるものですが、これは権力が国民に見せるパフォーマンスでしかありません。
自衛の理由がなければ、権力はそれを探します。探しても見つからない時には、ねつ造すします。あたかも国家が国民の利益や権利を守るように振る舞いますが、国家が権益を求めて他国に攻め入るのです。
少なくともこの100年ほどの間に行われた戦争に、この範疇から外れるものは見当たりません。自衛とは戦争口実以外のものではありません。
そうしたことに対する欺瞞的な戦争理由が、集団的自衛権というものです。単独の自衛権ですら、開戦への理由になると歴史は証明しているのですが、集団的となれば地球上のどこにでも出かけられるというものです。
平和主義とは戦争しないことである。積極的平和主義なる造語は、それ自身に矛盾が内包されている。安倍晋三は、戦争やらないための武装を唱える。更にはそうした国家や民族なども対象になろうが、武器を平和主義の名のもとに売り込もうとする。もっとも本人は躊躇いがるのか、防衛装備を移転するなどと言い換えている。

憲法記念日も近い。新しい憲法のお話を授業で行っていたのは、1944年から3年ほどだそうである。私はその授業を受けた数少ない世代である。父を戦場で失った子供にとっては衝撃的な内容であった。この国は今でもこの憲法を守っていくべき理由を失ってはいない。

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核廃絶会議を報道しない日本という唯一の被爆国

2014-02-14 | 平和憲法

メキシコ市で今月13、14日と「核兵器の非人道性を科学的に検証するPhoto国際会議」が、開催されている。アメリカの核の傘の下にいることを根拠にこれまで参加を見送ってきたが、昨年ようやく一応参加した唯一の被爆国の日本である。
この国際会議は、核兵器が使われた場合の直接的な被害ばかりでなく気象や経済などへの影響を多角的に検証し、 核兵器の「非人道性」について意見を交わすものと謳われています。
会議には140もの国から、政府関係者や科学者やNPO関係者が集まり、核兵器の非人道性を検証しようとするものです。

生物学的兵器や化学兵器の使用は、国際的に非人道的兵器として禁止されています。 核兵器はそれ以上の悲惨な結果を及ぼすことは誰の目にも明らかです。

ところが世界の核保有国は、廃絶を口にはするものの、一向に減らす気配はありません。あるいは、隙あれば新たに開発をしようとする、北朝鮮やイランやインドなどがあります。
オバマが就任早々核廃絶を訴えて、ノーベル平和賞を受賞しましたが、その後の彼の行動を見るとこの賞に値しないことはだれの目にも明らかです。ノーベル賞委員会は剥奪するべきである。

日本政府は、核武装が持論の安倍晋三が首相になってから、戦争のできる国家への道を歩んでいる。武器輸出三原則をなくしたり、集団的と冠した自衛権とする、交戦理由を模索するばかりである。
歩調を合わせているのか、報道はこの会議をほとんど取り上げていない。

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危険極まりない自民党憲法草案

2013-08-20 | 平和憲法

Photo九条の会の事務局長の小森陽一さんの講演会が昨日(19日)釧路で開催され、友人たちと聞きに行った。相変わらずエネルギッシュで明快な講演会であった。

この5日ほどで、北海道各地の九条の会などの支援で、駆け足講演である。今回の安倍自民党の勝利とその後の動きによる、危機感の表れでもあろう。

自民党の改正憲法案の解説、説明が素晴らしかった。そもそも憲法は、権力者を国民が縛るものである。司法権力、行政権力、立法権力が国民に奉仕することが、現行憲法の基本になっている。権力者が暴走することなく、国民に奉仕するのが求められているのである。

これに対して、自民党草案は、国民は公益のために奉仕すること、個人の権利と自由は濫用してはならないと、憲法が国民を規制している。自民草案は全面に、こうした意向は強く表れている。

自民党憲法草案は、冒頭に天皇を国家元首に置いている。国家元首として、天皇はあらゆる権力機構の上に置かれているのである。天皇を神聖にして侵すべからずとした、明治憲法へ大きくシフトしている。

九条の1項は残しているように見えるが、2項で国防軍の保持を規定している。国防軍は、集団的自衛権の行使を意識した内容になっている。軍事裁判所の設置を規定している。いつでも戦争のできる国家を目指した内容で、残した1項はないに等しい。

98条では、緊急事態の場合は閣議で決定することができ、首相は超法規的存在となることができる、としている。あらゆる権力が集中することになるのであるが、まるで戦争をいつでもできると言った内容である。

表現の自由は、公益などを害する活動はあからさまに認めないとしている。政府がその判断をするのであるが、まるで治安維持法のようである。憲法が国民を縛っているのである。

格調の高い現行憲法の前文に比して、自民党草案の前文は恣意的に民族的意識を煽り、狭量なものとなっている。

この講演で、小森氏は九条の会を設立した小泉政権時代は、改憲が6割、護憲が2割であった。これを、九条の会の活動が押し戻し、改憲4割護憲5割まで押し戻した。現在はもっと改憲が増えそうな時代である。地道な九条の会の活動を広げることによってしか、これを押し戻すことができないと、励ましの言葉をもらった。

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集団的自衛権を行使可能にするため

2013-08-03 | 平和憲法

これまで日本政府は、集団的自衛権に関しては、「所有するが行使しない」という、極めて危うい解釈改憲で通してきた。これは内閣法制局の見解である。法制局とは、内閣が提出した法案と現行法との問題点を洗い出す、法律の専門官集団である。長官はそれまで次長が昇任するのが恒例であった。

今回改憲右翼の安倍首相は、自らの意向に沿った、小松一郎という人物を、慣例を無視して長官に抜擢した。

小松一郎は第1次安倍内閣が設置した、集団的自衛権の行使を可能Photo
にするための検討をする有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の実務に携わった。懇談会は日米が共同で活動する際、危険が及んだ公海上の米艦船の防護など4類型を検討し、解釈変更を求める報告書をまとめた。小松氏はこの立案にかかわった。

麻生の言葉をそのまま引用すれば、だれも知らないようにナチスのやり方を真似てやったのだろう。

自民党は改憲に向けて、外堀の一つを埋めたことになる。集団的自衛権の行使を可能と解釈させた上で、国家安全保障基本法で集団的自衛権を行使する基盤がないt判断したのちに、96条に手を付けるのであろう。オスプレイの配備と言い、選挙で勝利した安倍はやりたい放題である。

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麻生さんおっしゃることは伝っていますよ

2013-08-01 | 平和憲法

副総理兼財務大臣が、とても立派なことを発言しました。本音を言って、騒ぎに驚いて懸命に弁解している。正確な主旨が伝わらなかっPhoto_2たということである。そんなことありません。麻生副総理の意図は立派に伝わっています。

何とか現行憲法を変えたい自民党の麻生副総理は、戦前ドイツのナチス政権を例にして、「最も民主的と言われていた、ドイツのワイマール憲法は、いつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と発言したのである。

さらに「護憲と叫んで平和がくると思ったら大間違いだ」というのである。

麻生の指摘した、ナチス憲法なるもには存在しない。非常事態宣言をして、授権法によって停止されただけである。ワイマール憲法がかえられたわけではない。

ヒトラーは選挙中に大宣伝を行って、反共産主義を掲げテロなどの粛清を行い、暴力的に政権を握った。誰も知っている大騒ぎの中で、憲法を停止させたのである。誰も気づかなかったり、静粛の中での出来事ではない。

戦後我が国は一度も、他国の地を暴力的に侵略することもなく、人を殺してはいない。平和であったことに異論があるのだろうか? まぎれもなくその平和は、平和憲法が生んだものである。護憲は平和の代名詞と言える。

麻生は憲法を変えたい自民党の本音を、良く調べもせずに、歴史的経過も何も知らないまま、ヒトラーのように手早く憲法に手を付けたかったのである。その本音の部分は、麻生の発言でよく伝わってきた。

ただ、中国や韓国やユダヤ人がどのように反応するかである。そこまでは読めなかったのが、漢字も読めない浅はかな麻生坊ちゃまらしいところである。

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宮崎監督の発言は当然である

2013-07-20 | 平和憲法

アニメ監督の宮崎駿が参議院選挙を前に、「安倍首相は考えの足りない人間、慰安婦問題は謝罪して賠償すべき」と発言した。慰安婦が必要だたとする発言を撤回しない、維新の会の橋下徹の歴史観を強く非難したものである。

Photo_2同時に、戦後日本の平和主義を支えてきた現行憲法を改正し、自衛隊を国防軍に変え、「武力行使・戦力保有・交戦権の禁止」という安全装置を解除しようとする安倍晋三首相を批判した。

96条の改定についても、やってはならないことであって、一種のサギのようなものである。戦後日本の平和主義を支えてきた現行憲法を改正し、自衛隊を国防軍に変え、「武力行使・戦力保有・交戦権の禁止」という安全装置を解除しようとする、安倍晋三首相の政治姿勢を強く批判した。

新作の「風立ちぬ」で、零戦製造の矛盾の悩む製造者の新作アニメを前にしての発言である。
こうした発言をまとめ、スタジオジブリは憲法改正を特集したパンフレットを配布した。改憲のの危険性を知らせる必要があるという判断から行なったということである。

宮崎駿氏の発言は、若者に大きく影響を与えるものだど思われる。政治に無関心の若者たちが大半を占めるこの国にあって、彼の発言は小さくはないと思われる。政府はもちろん、マスコミがこの発言を黙殺する姿勢が、どうも容認できない。

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軍事大国を目指す石原慎太郎

2013-05-08 | 平和憲法

左の記事は、石原慎太郎日本維新の会共同代表の、朝日新聞のインタビュー記事Photo
である。彼は典型的な軍国主義者であることが、この記事から判る。(クリックすると大きくなります)

最も注目したいのが、「国家の発言力をバックアップするのは軍事力であり、経済力だ。経済を蘇生させるには防衛産業が一番よい。核武装を論議することも選択肢だ」という、件である。

石原の主張は、金正恩の発想と同じである。北朝鮮が目指す強盛大国とは、核保有国として、世界に認めてもらうことである。軍事大国になるためなら、食べ物も情報もいらない、人権すら投げ打ってもいいのである。

石原が食糧問題や人権やについて語ったことを聞いたことがない。人権については、知事時代に施設を見学して障害者に対して、「ああいう人物にも人権があるのPhoto_2
か?」と、本音を言ったがこの男にはこの程度の感覚しかない。

韓国は大国の紛争の犠牲になり、分裂した国家である。北朝鮮は国家としての建設に失敗したのである。この国の唯一の生き残る方法が、強盛国家・軍事大国を目指したのは、ある意味当然でもあった。このことについては、大国が責任を持つべきである。

国家としての存在意義を示すためには、最も手早い方法を彼らは選択したのである。そしてそれは、あたかも戦前の日本を倣うように、すべてを兵隊さんのために国家のために、国家主席(天皇)のためにと向けるのである。

石原が、尋常小学校に入ったのは、昭和16年(1641年)である。日本軍がハワイの真珠湾を急襲し、太平洋戦争の始まった年である。大本営発表は、石原少年の闘争心を鼓舞し、国家主義へと走らせた。この男はいまだにそのままなのである。

周辺諸国に領土を奪われたと、悔しさを隠しきれない。軍国主義とは、暴力で相手を威嚇し、制圧し、略奪し、人を殺すことである。相手国も必ずや、負けずと軍事力を拡大し、止め処ない暴力の連鎖となるのである。

軍事大国は相互に威嚇し合い、畏敬の念など持つことがない。幸いなことに、石原の思惑とは異なり世界は、政治でいがみ合っても経済的なつながりが、歯止めとなっている。米中は対立しても、冷戦時代のように経済交流は切ることができなくなっているのである。

石原慎太郎も金正恩も、世界の現状を理解せずに徒に軍事力がすべてを解決する、魔法の杖と思い込み振り続けるのである。

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帝国憲法が健全な言論の発展を阻害した

2012-05-04 | 平和憲法

帝国憲法は1889年(明治22年)2月11日に発布された。これを主導したのが、伊藤博文であり井上毅である。伊藤は岩倉使節団が担ってきた、富国強兵・国家の近代化を大前提に憲法を作成した。

日本の知識層はこの間懸命に近代化を模索していた。明治元年から5年の間にアメリカだけでも、600人もの留学生を送っている。

後に大正デモクラシーの基礎となる人たちが懸命に、日本の骨格となる憲法つくりを模索していた。私擬憲法は、明治12~14年をピークに日本各地で作成された。

中でも植木枝盛の草案と、千葉卓三郎の後に五日市憲法と称される憲法は、近代国家と国民の基本的人権を取り入れたものであった。

国を変えるのは武力ではなく言論であると言っていた、千葉卓三郎の主張は敗戦後の新憲法が公布されるまで、実質的にお蔵に入れられたままであった。

ビスマルクに傾倒していた伊藤博文たちは、結局こうした一般社会での論議を無視する形で、帝国憲法を作り上げた。

天皇の軍隊の統帥権は見直す機会を踏みにじり、国務大臣の輔弼(天皇に進言し了解を取り付ける)を必要条件とし、結果として天皇を侵すべからずと、軍隊の力が無限に大きくなったのである。

結果として、帝国憲法の交付は健全なこの国の議論の展開・発展を阻害することになった。

新憲法はこうした枝盛や千葉たちの思想が、鈴木大蔵たちによって取り込まれることになったのである。

今また、アメリカに後押しされてこの国の健全な論議の発展を阻害し、武力こそが正義のように主張する一派が、憲法改悪を企んでいる。

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やっぱりそうだったのか、非核三原則

2010-10-03 | 平和憲法

今日(3日)のNHKスペシャル『核を求めた日本』は、当時の政府高官たちの声を足でこまめに集めた優れた内容となっていた。日本が核兵器の開発を、具体的に検討していたこと。日米安保の核の傘の下にいて、核廃絶に非協力的に動いていとことが報告されていた。やっぱりそうだったのかと思う内容であった。

日本と西ドイツ高官は、1964年の中国の核実験を受けて会談を行った。そこで日本側は、西ドイツに対して核保有国が、5カ国に限定される不平等なNPT条約に参加すると、永久に2流国になってしまう。核保有の検討をするべきと提案している。西ドイツは国家が分裂状態にあり、東西に核弾頭を数多く配置している。日本と根本的に異なると反論したが、日本の提案に異様なものを感じ動揺したと、当時の高官は語っている。

「日本と西ドイツはアメリカから離れるべきである」、「日本と西ドイツは超大国へのなる道を探るべきである」と、かつての同盟国に提案している。10~20年の間に、中国に引き続きインドなどが核兵器を持ち、緊急事態が生じるようになる。このために日本は、短期的に核兵器の生産をするよう準備しなければならないと、結論付けている。

憲法9条のおかげで日本は平和利用の名目で、原子力発電の核を持つことが出来た。東海村の原子炉から純度の高いプルとニュームを取り出すと、100キロほど採れる。これは長崎型原爆の10発分に相当する。政府は技術者を集めこうした検討を行っていたが、原子力発電を管理する側は、全く知らされていなかった。当時の資料を見せられ、驚く姿が印象的だった。それに比して、検討を指示した高官は当然であると発言している。

結局佐藤栄作は、反核感情が強く国民的反発を恐れ、核を持たずにアメリカの核の傘の下に収まる道を選択することになる。そして彼が打ち出したのが、作らず使わず持ち込まずの非核三原則である。このうち持ち込ませずは、当時から疑われていたが嘘であったことがはっきりしている。このことで彼がノーベル平和賞を受賞することになるのは、なんとも皮肉なことである。受賞演説の中で、非核三原則を世界の広めようとする件(くだり)は、アメリカの圧力で演説草稿に記載されていたが、直前に削除された。

その後唯一の被爆国でありながら、日本は国連で反核決議の半分近くに反対投票するか棄権をしている。当時の世界の外交官は、真っ先に核廃絶に動きを見せるだろうと思っていた日本の動きに驚いている。これに比して、ドイツは反核の先頭に立っている。EUから核兵器の撤去を訴え、一つづつ行っている。ようやく今年、菅首相が唯一の被爆国として、非核の先頭に立つ道義的責任を訴えてる。しかし、その菅首相はアメリカの核の傘の必要性を認めている。何とも矛盾する姿勢である。その場しのぎの論議しかしない国になってしまったが、これこそ2流国と呼びたい。

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平和に無関心な人たち

2010-05-03 | 平和憲法

今年生誕100年になる、マザー・テレサがある報道の、「愛の反対は何でしょうか」と、日ごろ愛を説くテレサに質問をした。質問者は、憎しみやイラ見という言葉を期待したが、彼女の返事は待った国となるものだった。

「愛の反対は、“無関心”である」と答えたのです。これはまさしく現場にいる人の声です。今の日本に100503_11syukuは、あまりにも平和や政治体制や国家の方針に無関心な人が多い。特に若者たちは、全く自分の世界だけにいるように思えてならない。

今日は憲法記念日である。政権交代で、憲法論議が沈静化したこともあって、各地での集会に人が集まらないようである。今日は、ねむろ9条の会の”憲法記念日のつどい”に参加してきた。高齢者が目立つ集会であった。

この集会では、根室にあった「牧の内飛行場」についての、検証があった。今は幻となった、牧の内空港であるが、建設に多くの朝鮮人労働者が使われた。3000人ともいわれているが、詳細は不明である。

真冬でも着るものは一枚で多くの人が亡くなっているはずである。残った朝鮮人労働者も消えてしまった。今は牧草地になっているが、たくさんの遺骨が埋まっていることが考えられるようである。根室市は、旧役場痕などの碑をあちこちに建てているが、これだけの労働者が亡くなったかと思われる、負の遺跡には何も残っていない。

人々も行政も無関心なのである。戦争は痕跡も残さずに忘れ去られてゆくのであろうか。平和憲法の意味合いや、重みにも無関心になってきているようである。

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同盟関係とは何か

2009-11-16 | 平和憲法

サンデープロジェクトで、石破茂前農水大臣が「同盟関係とは軍事同盟のことである」と何度も、民主党の副大臣に食ってかかった。普天間を巡る、民主党の足並みが揃わないのを付け込んだ発言である。多分に政治的で意図的なひっかけ発言であるが、どうもこれは見逃せない。

Photo受けた民主党の、なんとかという人の良さそうな副大臣はたじたじであった。日米同盟は、軍事同盟であると規定して、論理を展開するのである。この石破茂は、農業畑の男であるが、軍事 オタクで知られている。これを小泉が取り上げて、新進党などを渡り歩いたこの男を防衛長官に任命した。大臣室を軍艦や戦闘機のプラモデルでいっぱいにした、ある意味単純な軍事オタクである。

石破の発言は、日米安保条約を念頭に置いた論議であるが、日米安保条約は冷戦時代の遺物である。来年度で改訂から50年も経ち、当時とは大きく時代が異なっている。安保条約の条文は極めて穏当な内容であるが、結局は日本がアメリカの軍事力の傘の下になって、ソビエトから守るというのである。あるいは、アメリカが防共ラインとして日本を位置づけるための条約である。当時は社会党など野党に配慮して、軍事同盟などでないとしていたが、この条約は一方的であるが変則的なな軍事同盟であると言える。

冷戦が終結し、アメリカの一国支配体制が崩壊し、温暖化など環境問題や食糧問題が地球規模で、いわば全人類が加害者であり、被害者でもあるような時代になったのである。そうした大きな時代の転換期にあって、いまだに軍事同盟が国家間を結ぶとこの男は思っているのである。

世界は大きく多極化している。小泉のように、靖国に参拝し続けアジア諸国からつまはじきにされても、アメリカにだけ頼っていれば格好がつくと思っていた時代錯誤が、今日の自民党の破局を産んだのである。石破の発言も基本的に小泉の外交を踏襲している。

現代の同盟関係とは、2国間だけで仲良し関係になることでもなければ、ましてや軍事力を依存しあう関係でもない。共通の問題を見つけ補完し合うことこそが、21世紀の国家関係といえる。しかも世界は極めて多極的になっている。EUや上海機構など、地域毎の多国間の同盟や会議が無数に存在する時代になった。石破の軍事オタクの思い込みには、出口のない論議なのである。

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戦争を勝敗に閉じ込めるな

2009-06-20 | 平和憲法

別海9条の会の例会で、イラク戦争の事態のドキュメントDVDを見た後、次のような質問を受けました。「日本が戦争に負けたのは、しっかりとした思想がないまま戦争したからでないか」と。

迂闊にも私は「戦力的にアメリカとは歴然とした差があった」と答えました。この回答は明らかに、日本国憲法の精神に反します。このような、戦争を勝ち負けの範疇で考えるのは、間違っています。勝つ戦争ならやっても良いのかということです。

戦争は勝ち負けの問題ではなく、戦争そのものが非人道的行為、殺人行為なのです。むしろ戦争に勝った方が、より多くの人を殺傷し、より多くの文明を破壊し、より多くの人権を蹂躙し、より多くの国土を侵略したことを意味しています。

戦争を勝ち負けで理解しようとすると、戦争の本質を見失います。戦争を勝ち負けでとらえるから、より強大な軍隊が欲しくなり、より殺りく性の高い武器を開発をし、思想教育に力を入れるのです。

日本では、いまだに日中戦争は欧米の侵略から中国を守った、太平洋戦争はアメリカの経済封鎖にしてやられた。戦争に負けたから、悪者扱いにされる。戦争には勝たなくてはならない。この戦争にどうして負けたか「反省」をする人たちが、日の丸を掲げ靖国に参拝します。今度の戦争は勝つための思想を持たなくてはならない。

戦争は殺人行為です。戦争は他国の文化の否定であり、領土侵略であり、人権の否定であり、環境破壊そのものなのです。戦争そのものが否定されなければならないのです。戦力を持たず武力を放棄し、交戦権を認めないとする日本国憲法9条の精神はこうしたことなのです。

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憲法前文を読む

2009-05-03 | 平和憲法

日本憲法の9条を補完するのが、前文である。国民に主権がることを述べて、政府の行為として戦争がないようにすることを述べている。また、全世界のが、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するとる。そして、

「日本国民は、恒久に平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって・・・」とあり、最後には「・・・いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならにものであって・・・」とある。

Photo日本は、憲法の精神を蔑ろにしたままで、この国に平和の理念を植え付ける作業を忘れてしまった。私は、戦後間もなく日本は「戦争放棄」をしましたと、、平和憲法を教えてもらった。当時の 文部省がやったのであるが、朝鮮戦争が収まる頃には授業からそれは消えてしまった。

左の図はその時のパンフレット「新しい憲法のはなし」である。武器を戦争放棄によって、平和産業に変えるとする意味である。なぜか今は、憲法も戦争放棄も教えることはない。

日本国憲法の9条ばかりが存在感を大きくしているが、前文は極めて崇高な反戦の理念と、国民の生存の権利を掲げている。

この憲法の採択に、大きく関与したアメリカがその後、全く異なる暴力国家に変貌していったのは、何とも皮肉なことである。改憲派の人たちは、国民を守ることすなわち国防論から安全保障へと展開し、再軍備を目指す。戦争ができる国家にするのが目的である。他国の存在は問うことがない。

戦争の放棄は、自らが戦わない、武器を持たないことだけではなく、他国の存在を認めることが前提でなければならない。今日は憲法が施行されて62年目の記念日である。今一度、前文の存在を確認したいものである。

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憲法を考える

2009-05-02 | 平和憲法

日本が戦争に負けた時に、連合軍が最も考えたのは、第1次世界大戦でのドイツへの対応であった。ヨーロッパを戦場にしたこの戦争から、大きな教訓を残そうと多くの国が真剣に取り組んだ。パリ不戦条約で戦争への反省を各国が行った。多くの国がこれに調印した。

ドイツはこれを無視し、ヒトラーがドイツ国民のナショナリズムを喚起し台頭し、日本も調印しながらも、中国各地への侵略を続けていった。かつてのドイツのように再軍備をしないためにも、日本には平和憲法を持たせたのである。日本に国家を蹂躙された国々でなる、極東委員会が日本の再軍備を最も恐れていた。この憲法はパリ不戦条約から学んでいる。

戦後60年を過ぎて急速に、この国の平和憲法を見直すような機運があちこちから上がっている。軍隊を持たないことによる危険性ばかりが論議される。平和を語るのではなく、安全保障を語り再軍備への足がかりを、北朝鮮の核開発などに求めようとしている。

戦争が、国家による殺人行為であり、侵略行為であり人権の侵害なのである。軍隊をもつことが、平和を保障するのであれば、世界で最も強大な軍事力をもつアメリカが最も平和な国家であるはずである。現実は、第2次世界大戦以降全ての戦いにアメリカは関与している。

軍隊は平和を保障するものではない。軍隊はあるいは兵器は、敵国が持つ以上のものを持つことがその本質である。軍隊は常に強大化することを本質として抱えている。敵国を下回る軍隊は存在意義がない。軍隊は常により強力な軍隊へと志向する。そのためには手段を選ぶことはない。

日本の平和憲法は、自主憲法の制定を目指す長年続いた自民党のおかげで、十分活用されていない。世界各地で起きる紛争へ自衛隊を派遣するのではなく、民間の産業支援などの技術協力などを主体にすべきなのである。紛争の原因の多くは、貧困あるいは格差によるものである。こうしたことへの積極的な支援は、自衛隊を軍隊に押し上げたい自民党には、発想そのものがない。

アメリカの軍事・核の傘の下に収まることで経済発展を遂げてきた国家には、アメリカを追従する以外、国際協力の選択はないのである。その時点から、安全保障を論じるから、日本国憲法の平和への理念は生まれてこない。パリ不戦条約の理念は戦争を二度と起こさないことであったが、改憲論議の中で国防論ばかりが先行する。

この国を守るのだという論理、敵国が攻めてきたらどうするのだという仮想から脱却しなければ、平和は語ることができない。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」の文言のどこに不満があるというのだろう。

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沖縄戦を聞きいる

2009-02-15 | 平和憲法

当地に沖縄戦を戦い抜いた元日本兵がいる。沖縄には、終戦近くになって満州から大量の兵士が送られた。沖縄で亡くなられたのは、ほとんどが沖縄の方であるが、次に多いのが北海道出身者であることはあまり知られていない。この方に沖縄戦の聞き取りを今やっている。

Photoまとめて本に出来ればと思っている。この方は、もう85歳になられて記憶も曖昧である。お話を一回に2時間ほどにして、数回に別け伺っている。1000人ほどに1名生き残った沖縄戦の生 き残りである。戦場での数々の偶然が、この方を救った。

日本は、沖縄の地上戦に備えて、一般人の台湾などへの移住を考えたが、日本が負けることがないと、誰もが思っていた。思わされていたのであるが、沖縄の人たちは兵士と一体になって米軍と戦ったのである。

集団自決も強制はなかったと、バカなことを主張する右翼の人たちがいるが、その論調は、「日本を悪く言うべきでない」というのである。確かに、良心的な兵士もいたことも事実ではあると思われる。しかし、戦陣訓をはじめとして、日本人全体が戦時教育に染まっていたのである。日本軍の悪意ではなかったであろうが、集団自決は当然のこととPhoto_3 誰もが思っていた。強制の有無は問うべきでない。個人のレベルに戻されるからである。

沖縄の大本営であった牛島中将ですら、命令を軍全体に下せる状況ではなかった。一本にまとまって、集団自決を強制するなり逃亡するなりは、現地での個別の対応であったのである。

教科書から「集団自決はなかった」、強制されんばかったと歴史を美化する右翼の連中は、根底に日本を武装国家に仕上げたいのである。

元兵士の方の話を聞いていると、戦争が何と悲惨な行為であるかがわかる。戦場は地獄である。この方は、日本軍が追い詰められた摩文仁の絶壁で、撃たれて12日間も意識がなく倒れていた。

そして、10月10日まで戦っていたのである。日本のためお国のために、天皇のために、終戦の詔勅から2ヶ月も生き延び戦った。日本に、天皇に見捨てられながらも元兵士は戦ったのである。

沖縄戦の死者は18万8千人であるが、沖縄住民の死者は9万4千人と半数を占める。日本からの援軍が来ると信じて戦ったのである。

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羅臼港

春誓い羅臼港