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もやもや日記

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「炎の河」

2010年11月19日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト

ヴェショールイ 小笠原豊樹訳
(新潮社『現代ソヴェト文学18人集』所収)



《あらすじ》
蓄音機のワニカと鰐(わに)のミーシカは親友同士だ。二人は忘れられぬあの十七年に巡洋艦を下りて以来、内戦の間は海を見ることなく方々をさまよったが、ようやく懐かしの港へ戻ってきた。昔馴染みの兵曹長フェドーティチと再会し、再び船に乗り込むが、時代はすでに変わってしまっていた。


《この一文》
“そう、昔ならば、向う見ずなやり口が非難を受けることはなかった。何もかもが短銃で片がつき、焼き立てのパンのように素朴なことばで片がついた。この糞面白くもない時代になってからなのだ、仔牛のようなおとなしさが尊敬されるのは。現在、世間が尊ぶものといったら、一つの尺度、金、そして屑のようなことばだけだ。このことが、ミーシカとワニカにはどうしても理解できない。 ”




自由に生きるとはどういうことなのか分かりませんが、ミーシカとワニカは船乗りの剛胆さで数々の試練を冒険を乗り切り、気の向くまま、思うがままに生きてきましたが、しかしいつの間にか時代は変わり、彼らは再び同じ船に乗って大海原を進むことは出来ないらしいことを思い知らされるのでありました。

全く考え方の違う人間同士が同じ船の上で暮らしていくことは、どうやったって無理だろうと思いながら私は読み進めましたが、この物語は果してそのような結末を迎えました。
革命の前と後では、なにもかもが変わってしまった。
ミーシカとワニカはいざとなったら強盗だって厭わないというなかなか困った奴らなのですが、単純な魂を持ち、世界を稲妻のように駆け抜けていこうとする強靭な生命力の持主でもあります。時代が変わってしまっても、兵曹長のように年老いていればいくらか諦めもついたかもしれませんが、ミーシカもワニカもまだ若い。古い時代には彼らの生きるべき、生きる甲斐のある大いなる世界があったのに、いちいち規律だ同志だと言われる日々に耐え忍んで生きていくには先が長過ぎる。ほとほとうんざりしてしまう。それで結局、彼らはせっかく久しぶりに乗り込んだ船から下りる羽目になるのです。


人間は、人それぞれで考え方が違うという事態において、どう対処すればいいのでしょうか。たとえばそこに何か巨大な問題が持ち上がって、革命だ、ぶち壊せ、お祭りだ、と盛り上がっている最中にはまるで大勢がひとつの統一された意思を持っているかのように錯覚できますが、ひとたび祭りが終わってしまえば、人々は再びそれぞれの違いをあらわにしながら小さな衝突を繰り返すようにも見えます。この時にどうしたらよいのか。あらためてひとつにすべく思想を統制するのか(緩やかに教育するにしろ、手っ取り早く異分子を追放、抹殺するにしろ)、あるいは…えーと、他にどんな手段があるだろう。

船を下りざるを得なかったミーシカとワニカですが、彼らは他人の船に乗ろうとしたから駄目だったのかもしれません。彼らにも自分の船があれば、好きなところへどこまでも乗っていけたのではないでしょうか。同じ船に乗ろうとするから無理があるんだ。違う船、自分の船に乗ったらいい。そんな金はないだろうけれど、どうにかして。

いや、駄目だ。たとえ幸運にもそれが可能になったとして、はじめは悠々と広い海を渡っていけるかもしれないが、きっとまたどこかで別の船と衝突するに違いない。だいたい皆がそれぞれの考えによって個別に船を持ち始めたら、海は無数の船でぎゅうぎゅう詰めになって航行不能になってしまうではないか。もう船を持つ意味がない。

…海が狭すぎるんだろうか? では狭い海の上でぶつからずに暮らそうと思ったら、いったいどうしたらいいの? あ、はじめに戻った気がする。はぁ。



世の中の人にはそれぞれに違った考え方がある。部分的には思いを共有できるかもしれないけれど、違っているところをわざわざ同じくするというのは難しそうであります。私としては、人と人の考え方が違っているのは何も問題ないと思います。衝突は避けたいけれど、違っていること自体はしょうがないと思う。そこを無理矢理変えようとするのは、不可能だと思う。とりあえず、今のところは。
ちなみに、この本の解説に、第一巻は冷遇された作家をおもに集めてみたと書いてありました。ヴェショールイ氏の略歴をみると、この人は短命で粛正の犠牲となったらしい。おそろしい時代だったんだ……。大杉栄にしろ、このヴェショールイにしろ、ある考えを持っていたというだけのことで冷遇されたり抹殺されたりする必要はなかったのに、と私は思うのだがなぁ。
しかしまあ、私とあなたでは考えが違う、そのことを許せずにごく身近な人との衝突さえ避けられない私がこのようなことを言っても、何の説得力もありませんけれどもね……。どうやったら私たちは、ここで、誰をも虐げず誰にも虐げられずにうまくやっていけるのだろう。



ところで、ロシア(ソビエト)文学を読んでいると時々「鰐(わに)」という単語に行き当たりますが、これはあの暖かい地域に棲んでいる爬虫類のワニを指すんでしょうか、それとも邦訳すると他に当たる言葉がなくてそのように訳されているんでしょうか。ロシアの地にはワニってあまり関係がなさそうに思うのですが、そこがそもそも私の誤解なのでしょうか。以前から気になっているのに、前にも同じことを書いているのに、そのまま調べたりしていないものですからいまだに気になっています。どうなんだろう?