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『太陽の都』

2009年04月15日 | 読書日記ー実用

カンパネッラ著 近藤恒一訳(岩波文庫)



《内容》
スペイン支配下の南イタリア独立を企て挫折した自らの改革運動の理想化の試みとして、カンパネッラ(1568-1639)が獄中で執筆したユートピア論。教育改革をはじめ、学問、宗教、政治、社会、技術、農工業、性生活など人間の営為のすべてにわたる革新の基本的素描が対話の形で展開される。ルネサンス最後の巨人の思想を集約した作品。

《この一文》
“かれらの言いますには、およそ所有権というものは、自分だけの家をつくり、自分の妻や子どもを持つことから生じ、そこから利己心が生まれるのです。と言いますのも、息子をできるだけ資産家や高官にしてやろうとか、〔大きな資産の〕相続人にしてやろうとかするあまり、だれしもみな、権勢家で恐れを知らぬものであれば貪欲に公共のものを横領するようになるし、無力な者であればけちんぼや詐欺師や偽善者になるのです。しかし利己心がなくなれば、公共への愛だけが残るのです。
  ―――「3.政体・職務・教育・生活形態」より ”

“無をめざす傾向から悪と罪が生まれます。だから、罪を犯す人は自己を虚無化するものだといわれ、また罪は、実効性のない原因をもつだけで、実効性のある原因をもちません。実効性のないことは欠如とおなじで、力とか知とか意志とかの欠如にほかなりません。そして意志の欠如にこそ罪はあるとされます。なぜなら、善をなしうる力をもち、しかも善をなすすべを知っている者は、とうぜん善をなそうと欲するはずです。力と知とから意欲が生じるのであって、その逆ではないからです。
  ―――「9.宗教と世界観」より ”



解説によると、著者はトンマーゾ・カンパネッラ。1568年9月5日生れ。洗礼名はジョヴァン・ドメニコ。
カンパネッラ(カムパネルラ)とジョヴァン(ジョヴァンニ)……と言えば、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』ですね。ひょっとしたらと思い、新潮文庫版の『新編・銀河鉄道の夜』の解説のページを開いてみると、やはりこの『太陽の都』のことが書いてありました。へえ。

『銀河鉄道の夜』のふたりの名前が、ほんとうにこの『太陽の都』の著者の名から取られたものかどうかは分かりませんが、『太陽の都』に描かれた燦然と栄光が輝く堂々たる美しい世界と、『銀河鉄道の夜』の冷たく澄んだ夜空に星がまたたく静かな美しい世界の対比を思うと興味深いです。どちらも星を見上げる人の物語であり、どちらも地上には存在し得ないほどの美しさを描いた物語のように思えます。

それはさておき、『太陽の都』は面白かったです。世界一周の航海から帰ったジェノヴァ人が、聖ヨハネ騎士修道会の騎士に語って聞かせる不思議な都市のお話です。
ジェノヴァ人は、「太陽の都」という、優れた人々によって運営される都市の構造から、そこに暮らす人々の思想、生活風俗、宗教観など、あらゆることについて、事細かに語ります。どうでもいいことですが、「○○についてはどうだね?」と質問する騎士に対して、ジェノヴァ人がいちいち「それはさっき話しましたが…」とことわりを入れるのが笑えました。


「太陽の都」においては、人々は徹底的かつ高度な教育を受け、個人による一切の専有・所有を厳しく排し、公共への愛と愛国心をうたい、健康で美しい肉体を磨き、種族としての繁栄を目指し、比類なき幸福と豊かさにあふれた生活を実現しています。まるで夢のようです。

ここに描かれた都市も人々も、夢物語でしかないかもしれませんが、しかし私には美しく魅力的に思えます。また、決して実現不可能なことではないのではないかとも思えます。もしも、人間の精神のあり方が決定的に変わり得るなら、の話ですが。所有と専有がもたらす豊かさに疑問をもたない間には、おそらく到達できないでしょう。しかし、私たちが可能な限り多くを所有したいというこの気持ちを放棄するためには、どれほどの衝撃が必要なのでしょうか。また、どのような衝撃が必要なのでしょうか。人間が変わるためには、何が必要なのでしょうか。
こういう調和のとれた理想の世界を見せられると、その実現の困難さを思って「馬鹿げてる」と言って誤魔化したくなるけれど、美しいものの美しさにはやはり憧れずにはいられません。

意志の力が重要である。ということを痛感させられます。思慮深さと知性が求められます。すべての人間がそれを獲得したならば、ひょっとすると「太陽の都」はこの輝きのままに姿を現すかもしれません。まぶしすぎる光の都市。今は目に見えないということは、「無い」ということと同じではないですものね。


解説による著者のカンパネッラの生涯を見ると、この人の意志の強さには感服します。この人の生涯を物語にしたら、かなり読みごたえがありそうです。人生のほとんどを、その思想のために弾圧され獄中で過ごしたとか、ピンチを切り抜けるために逆さ吊りになったまま数日間狂人のふりをし通したとか、もう凄すぎます。
世の中には、時々こういう強固すぎる意志の持ち主が現れるのでしょうか。不屈の精神。そのために苦痛を伴う波乱の生涯を送らなければならなかったようですが、美しい人です。不可能の中の可能性を少しでも示してくれるすべての人は、美しい。