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もやもや日記

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『大尉の娘』

2009年04月11日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト

プーシキン作 神西 清訳(岩波文庫)


《内容》
プーシキン晩年の散文小説の最高峰。実直な大尉、その娘で、表面は控えめながら内に烈々たる献身愛と揺るがぬ聡明さを秘めた少女マリヤ、素朴で愛すべき老忠僕―――。おおらかな古典的風格をそなえたこの作品は、プガチョーフの叛乱に取材した歴史小説的側面と二つの家族の生活記録的な側面の渾然たる融合体を形づくっている。

《この一文》
“つまり犯人の自白というものが、その罪証を完全に示すために不可欠のものと考えられていた訳だが、この思想はただに根拠がないのみならず、法律の常識に全く矛盾するものなのである。なぜなら、もし被告の否認がその無罪の証明として認められないのなら、その自白に至っては益々その有罪の証拠とはなり得ぬ筈だからである。”






私の書棚は、私の背面に設置してあります。今日、ふと振り返るとこの本と目が合いました。そう言えば、このあいだ買ってあったのだっけ。本当は別の本を取ろうと思っていましたが、ついページを開いてしまったのです。


てっきり田舎の要塞へ任官された貴族の若様と、彼の上司である大尉のお嬢さんとの気楽なロマンスになるのかと思って油断していた私は、突然まさかの急展開となった驚きに、胸がドクっと打ったきり物も言わず考えず、2時間ほどで最後まで読み通してしまいました。びっくりした。あんまり面白くて。

面白い、というのは少し違うかもしれない。ただ、目が離せなかったのはたしかです。物語がぐんぐんと進行していくので、私は振り落とされないように必死でした。表書きに「プーシキン晩年の散文小説の最高峰」とありますが、なるほどと思います。幸福の瞬間も、恐怖の瞬間も、悲劇の瞬間も、なにもかもあまりに鮮やかに描かれているので、私はすっかり他のことは忘れてしまいました。

善良(しんせつ)と気位(きぐらい)、ということが、このお話を爽やかなものにしているのでしょうか。主人公の若い士官ピョートル・アンドレーイチ・グリニョフは、持ち前の親切心と貴族としての誇りでもって、次々と彼の前途に立ちふさがる絶体絶命のピンチを切り抜けていきます。このあたりは読んでいて清々しいものを感じますが、それにしても、このピョートルさんの坊ちゃんぶりにはハラハラさせられました。彼に忠実に付き従うじいやのサヴェーリイチの気苦労を思うと、可哀相でたまりません。サヴェーリイチは本当に愛すべき人物ですね。

あらすじを書くのはダルイのではしょりますが、まあとにかく、最初に年老いたピョートルが孫のペトルーシャに自身の過去の冒険を語り始めるところから、皇帝を名乗り叛乱を起こしているプガチョーフとの不思議な出会いとその後の因縁、そして最後の大団円に至るまで、息もつかせぬ迫力ある物語でした。
のんきな若様が、突如として動乱の最中に巻き込まれていく場面には震え上がりました。さらりと事も無げに人のいい大尉やその奥さん、部下が死んでいき、またしてもさらりと同僚が裏切り者として再登場したりします。もうびっくりですよ。
ついでに、謀叛者のプガチョーフも単なる悪人というよりは、むしろ愛嬌のある人物として描かれているところが興味深かったです。大尉の娘マリヤ・イヴァーノヴナを巡って争うことになるシヴァーブリンに対するピョートルの心情の描き方もよかった。怒りや憎しみよりも、最終的には気まずさというか憐れみの気持ちが勝ってしまうというか…善良と気位というのが随所に見えて、ピョートルもまたかなり愛すべき人物であると思わされました。

しかし、ピョートルが善良だったのと同じように大尉もまた実直で善良な人物であったのに、ピョートルは生きながらえた一方、大尉が無惨に殺されなければならなかった理由はなんだろう。彼等の行く末を分けたのは、何なのだろう。巡り合わせ、運の強さ、そういうものだろうか。こういうことを考えると、物語の結末はたしかに幸福に満ちているけれど、どこか心細さとかやり切れなさを感じずにはおれませんでした。人生は辛く悲しい。


ひとつひとつの描写がいきいきとして、なにか映画を観ているような感じでした。そのくらいに鮮明。恐ろしく良くできた物語です。とにかく驚きました。ほかに言うことはありません。プーシキンって、こんなに凄かったんだ。と、今日になって気がついた私は幸運ですね、きっと。ほかのも読みたいとずっと思っていたところだったので。実に、幸先がいいわい。