多賀城の「東北歴史博物館」(以下「歴博」)で『家電の時代』という面白そうな催し物を今月28日までやっているというので,久々に「歴博」に行って来ました。
高度成長期である1960年~1970年は,家電製品は「三種の神器」と言われた“テレビ”“冷蔵庫”“洗濯機”は,どの家庭でも普及してきましたが,1950年代までは高嶺の花の高級品だったのです。
自分の家のことを思い出すと,1964年の東京オリンピックまでは,白黒の脚の付いたテレビで(今の15型位かなあ),オリンピックの年に新しいテレビが来ると大喜びした(カラーテレビと思い)のですが,届いたのは,今までよりも大きい白黒のテレビだったので,ガッカリしたのを思い出します。
しかし,当時(昭和39年・西暦1964年)のカラーテレビは20万円以上したので,大卒初任給が2万円位だったので,今で言えばプリウスくらいの価格だったことになりますね。
また,個人的には,小さい時に歯磨き粉(チューブに入った物)が少なくなると,洗濯機に付いている手回しの脱水機を回して残りを出すのが楽しみだったことを鮮明に覚えています。
家が商店をしていたので,大きい冷蔵庫は毎朝,氷屋さんが100cm×80cm×20cmくらいの氷を冷蔵庫に入れていくのを見ていて,電気より,こちらの氷を入れた冷蔵庫の方が早くよく冷えるのが不思議でたまりませんでした。
この展示会では,高度成長期の家電だけでなく,戦前からの家電を展示してあり,扇風機は戦前からあまり変わっていない家電の代表のような気がしますが,作りが単純なだけに当然と言えば当然すが,きっと今の物と戦前の物はプロペラの音が格段に違うのでしょうね。
「東北歴史博物館」の外観
「東北歴史博物館」の庭(その1)
「東北歴史博物館」の庭(その2)
『家電の時代』の解説
昭和40年代の茶の間のテレビ
昭和40年代の炊飯器
昭和40年代の黒電話
昭和40年代のトイレ
高度成長期である1960年~1970年は,家電製品は「三種の神器」と言われた“テレビ”“冷蔵庫”“洗濯機”は,どの家庭でも普及してきましたが,1950年代までは高嶺の花の高級品だったのです。
自分の家のことを思い出すと,1964年の東京オリンピックまでは,白黒の脚の付いたテレビで(今の15型位かなあ),オリンピックの年に新しいテレビが来ると大喜びした(カラーテレビと思い)のですが,届いたのは,今までよりも大きい白黒のテレビだったので,ガッカリしたのを思い出します。
しかし,当時(昭和39年・西暦1964年)のカラーテレビは20万円以上したので,大卒初任給が2万円位だったので,今で言えばプリウスくらいの価格だったことになりますね。
また,個人的には,小さい時に歯磨き粉(チューブに入った物)が少なくなると,洗濯機に付いている手回しの脱水機を回して残りを出すのが楽しみだったことを鮮明に覚えています。
家が商店をしていたので,大きい冷蔵庫は毎朝,氷屋さんが100cm×80cm×20cmくらいの氷を冷蔵庫に入れていくのを見ていて,電気より,こちらの氷を入れた冷蔵庫の方が早くよく冷えるのが不思議でたまりませんでした。
この展示会では,高度成長期の家電だけでなく,戦前からの家電を展示してあり,扇風機は戦前からあまり変わっていない家電の代表のような気がしますが,作りが単純なだけに当然と言えば当然すが,きっと今の物と戦前の物はプロペラの音が格段に違うのでしょうね。
「東北歴史博物館」の外観
「東北歴史博物館」の庭(その1)
「東北歴史博物館」の庭(その2)
『家電の時代』の解説
昭和40年代の茶の間のテレビ
昭和40年代の炊飯器
昭和40年代の黒電話
昭和40年代のトイレ