久々の函館にて
いろいろググり始めた直後に
「ココはなんとなく外せない」オーラ
放っていたのを見逃さず
そしたら某ミュージシャンも
「まあ鉄板ですね」的レスポンス
そういうことなら
とりあえず外す手はないなと
オマケに
一杯飲めちゃいそうな
イイ感じのラインナップ
さっきの角打ちで
ちょいと火の入った
オレたちですからね
むう
定食とかセットとかも
この辺の住民は重宝するんだろうなと
ランチのプレートもまるで
大人のお子様ランチやないかい
当然の麦ジュースを
ストローで飲んでやろうじゃないかい
なんてところに
ザリジ(ハーフ)がキマシタヨ
ザンギがトリカラ
とは知っていても
ザリジがブタカラ
とは知りませんでした
「豚のザンギ風天ぷら」って
ケンミンショーが
真っ先に飛びつきそうなアイテムだけど
メニューに出してるお店は
「片手に余るぐらい」と
認知されるには
ちょいとパワー不足だったりとか
オマケに
ザリジじゃなくて
ザリージが正式とか
いやでも
室蘭のヤキトリしかり
鶏より豚的な北海道文化に
ちょいと触れられて
ハッピーだったワケで
まあトーゼンの
ブタカラですわ
カラシがビシッと
ルービーマンセーな
キキのよろしいアテですわ
そしてコレまた
ウリっぽいそぶりのシューマイが
イイ感じに不揃いの林檎たち
美味いじゃ (゚д゚lll) ないっスカ!!
ナゼにココに
ドライなサワーを置かないのかと
問い詰めたくなるアンバイで
ラーメン前のアイテムとしては
クリスマス前夜のイブ的なね
アゲる布石としてまるで盤石
っつかオレたち
すでに3軒目でかかりスギ
ハラもパンだったりしたけど
やっぱ
塩ラー
キメておかないとね
って
スープが多いのか
丼が大きいのか
麺が少ないからなのか
優雅に泳がせてないからなのか
その全てがインフルエンサーな
サンマルコ広場のごたる
半沈な水面
ユマークな張力で
アレコレ界面に引き上げられていたりしても
また良かれとも思ったワケだけど
豚と昆布
ほんのり魚介の
超激アッサリさん
イメージを大きく超えて
函館ラーってば
ココまで禁欲的でしたか
いやしかし
さっきの食堂とは一線を画して
麺のハリはキッチリ立っていたけれど
うんやっぱり
ホントに禁欲的
欲あってこその
ラーメンワールドにおいて
コレが全国区っぽくならないリーズン
見せつけられた気が
しないでもなく
そういえば
20数年前の初の函館
当時の師匠と
中国からの留学生と
そこまでラーメンに
傾倒していなかった我々は
3人で一軒だけ
よくぞ選んだ的
いまは亡き星龍軒でキメたんだよなぁ
なんつて思い出していたりして
そんな師匠とも
ズイブンお会いしていないなぁ
中国の彼もいまや
そこそこの立場になったとか
あのときのこと
お二人とも覚えているのかなぁ
どうしているのかなぁ なんて
久しぶりに思い出していましたよ
そして
東京に帰って
週明けのメールにて
突然の師匠の訃報を知らされたりして
それがまさに
函館の初日の出来事だったワケで
あまりにマジかと
全身から力が抜けてしまったような
なんだか
偶然では片付けられないことが
この世には多かったりするワケで
もしかして
すべて必然で
今を生きているのではないかと
アカシック的なものを
ひしと感じてもいたりするワケで
そんな師匠の影響か
迎合して属するよりも
馴れ合わずにアウトロー
なんつてね
いまの生き方
シアワセのひとつのカタチを
あのとき教えて頂いたのかもしれません
いやでも
死んじゃうかね しかし
ムチャ目に追い込んでも
結局ゼッタイ死なないことが
師匠の自慢だったじゃないっスカ
激雨の中だとしても
札幌~東京の一週間
最後までテント生活で押し通すとか
3人でゲッソリしつつも
乗り越えたじゃないっスカ
まだセピアもかかっていない
あの頃の出来事が
とめどなく溢れてきて
なんだか
このところ
心がしぼんで困っています
いろいろググり始めた直後に
「ココはなんとなく外せない」オーラ
放っていたのを見逃さず
そしたら某ミュージシャンも
「まあ鉄板ですね」的レスポンス
そういうことなら
とりあえず外す手はないなと
オマケに
一杯飲めちゃいそうな
イイ感じのラインナップ
さっきの角打ちで
ちょいと火の入った
オレたちですからね
むう
定食とかセットとかも
この辺の住民は重宝するんだろうなと
ランチのプレートもまるで
大人のお子様ランチやないかい
当然の麦ジュースを
ストローで飲んでやろうじゃないかい
なんてところに
ザリジ(ハーフ)がキマシタヨ
ザンギがトリカラ
とは知っていても
ザリジがブタカラ
とは知りませんでした
「豚のザンギ風天ぷら」って
ケンミンショーが
真っ先に飛びつきそうなアイテムだけど
メニューに出してるお店は
「片手に余るぐらい」と
認知されるには
ちょいとパワー不足だったりとか
オマケに
ザリジじゃなくて
ザリージが正式とか
いやでも
室蘭のヤキトリしかり
鶏より豚的な北海道文化に
ちょいと触れられて
ハッピーだったワケで
まあトーゼンの
ブタカラですわ
カラシがビシッと
ルービーマンセーな
キキのよろしいアテですわ
そしてコレまた
ウリっぽいそぶりのシューマイが
イイ感じに不揃いの林檎たち
美味いじゃ (゚д゚lll) ないっスカ!!
ナゼにココに
ドライなサワーを置かないのかと
問い詰めたくなるアンバイで
ラーメン前のアイテムとしては
クリスマス前夜のイブ的なね
アゲる布石としてまるで盤石
っつかオレたち
すでに3軒目でかかりスギ
ハラもパンだったりしたけど
やっぱ
塩ラー
キメておかないとね
って
スープが多いのか
丼が大きいのか
麺が少ないからなのか
優雅に泳がせてないからなのか
その全てがインフルエンサーな
サンマルコ広場のごたる
半沈な水面
ユマークな張力で
アレコレ界面に引き上げられていたりしても
また良かれとも思ったワケだけど
豚と昆布
ほんのり魚介の
超激アッサリさん
イメージを大きく超えて
函館ラーってば
ココまで禁欲的でしたか
いやしかし
さっきの食堂とは一線を画して
麺のハリはキッチリ立っていたけれど
うんやっぱり
ホントに禁欲的
欲あってこその
ラーメンワールドにおいて
コレが全国区っぽくならないリーズン
見せつけられた気が
しないでもなく
そういえば
20数年前の初の函館
当時の師匠と
中国からの留学生と
そこまでラーメンに
傾倒していなかった我々は
3人で一軒だけ
よくぞ選んだ的
いまは亡き星龍軒でキメたんだよなぁ
なんつて思い出していたりして
そんな師匠とも
ズイブンお会いしていないなぁ
中国の彼もいまや
そこそこの立場になったとか
あのときのこと
お二人とも覚えているのかなぁ
どうしているのかなぁ なんて
久しぶりに思い出していましたよ
そして
東京に帰って
週明けのメールにて
突然の師匠の訃報を知らされたりして
それがまさに
函館の初日の出来事だったワケで
あまりにマジかと
全身から力が抜けてしまったような
なんだか
偶然では片付けられないことが
この世には多かったりするワケで
もしかして
すべて必然で
今を生きているのではないかと
アカシック的なものを
ひしと感じてもいたりするワケで
そんな師匠の影響か
迎合して属するよりも
馴れ合わずにアウトロー
なんつてね
いまの生き方
シアワセのひとつのカタチを
あのとき教えて頂いたのかもしれません
いやでも
死んじゃうかね しかし
ムチャ目に追い込んでも
結局ゼッタイ死なないことが
師匠の自慢だったじゃないっスカ
激雨の中だとしても
札幌~東京の一週間
最後までテント生活で押し通すとか
3人でゲッソリしつつも
乗り越えたじゃないっスカ
まだセピアもかかっていない
あの頃の出来事が
とめどなく溢れてきて
なんだか
このところ
心がしぼんで困っています
なんなら24時間飲みとかもしていたヤツが
気づいたら失踪していて
亡くなったみたいだよと
なんだかなーと思いつつ
暁ノ糸
聴いたり歌ったりしながら
それでも私は生きるんだと