車や人の往来、物流などを支え、主要な都市間を結ぶ国道は重要な社会的インフラです。 その国道には
必ず番号が付けられています。 その歴史的経緯やナンバーリングの法則を調べてみました。
まず向かったのは、江戸時代に五街道の起点となった東京の日本橋です。 明治時代には、この橋が全
国の国道の起点と定められ、車道中央にブロンズ製の元標が埋め込まれています。 北西の広場には
レプリカが設置され、「日本国道路元標」の文字が刻まれている。 横には仙台市まで350㌔、大
阪市まで550㌔など、全国の主要都市までの距離が書かれた2つの里程標もあります。 それを見
ると、ここから全国に国道が広がっていたことを実感できる。
五街道のうち、東海道はおおむね現在の国道1号、奥州街道は4号、甲州街道は20号という具合に、
主要国道に切り替わった。 気になるのは国道の数字だ。 どういう経緯で付いたのか。
「初めて国道の番号が付けら
れたのは明治時代。政府が主
に日本橋と港や陸軍の施設。
都道府県庁をつなぐ国道に1
から44号まで付けたのが始
まりです」。こう話すのは、
国の道路行政を所管する国土
交通省道路局の“岡崎規格専
門官”だ。岡崎さんによると、
第2次世界大戦まで物質輸送
の主役は鉄道だった。本格的
に道路が整備されるのは戦後、
モータリゼーションが進み始めてから。
1952年制定の新道路法により、国の中枢地域を結ぶ幹線道路を1級、それ以外の国道を2級と分けて
整備することになった。その際付けられた番号が現在の数字の基になっている。
1級国道に1,2桁の番号、2級国道には3桁の番号が付いた。 1級国道のうち1~12号は国土の骨
格となる縦貫方向の道路。 13~35号は12号までに連絡されない都道府県庁所在地などを結ぶ道
路、36~40号は北海道の道路に割り当てられた。 例えば1号は大動脈である東京~大阪間、2号
は大阪~北九州間、3号は北九州~鹿児島間、4号は東京~青森間、5号は北海道の函館~札幌間。
13~35号は北から順に番号を振られた。 その後、58年の第2次指定で名古屋~富山間の41号
など3ルートを追加。 62年の第3次指定では、それまで未指定だった県庁所在地などにつながる主
要道路を、北から順に44~57号とした。 さらに72年の沖縄返還を機に鹿児島~那覇間に58号
が付けられて以降、2桁の番号は打ち止めになっている。
一方、2級国道は当初、101~244号の144路線が北から順に割り当てられた。 その後、数次に
わたって追加指定される。 その都度、北から番号が付けられたため、今では番号の規則性は薄れてい
る。 その後、1964年に1,2級国道の区分は廃止され、一般道に統合された。
現在、国道は1号から507号まである。ただ、59~100号と109~111号、214~216号
は欠番になっている。 59号から100号がないのは、国道の追加指定は3桁の番号をつけると法改
正で決められたためだ。 3桁の最初の番号は100号ではなく101号となっている。 109~1
11号と214~216号は他の国道に統合され欠番になった。
ところで国道と並ぶ大動脈といえば、全国に張り巡らされた高速道路網がある。 実はこれにも番号が付
いていることをご存じでしたか。 その歴史は2017年からです。 それまでは「東名」「名神」「
東北道」など漢字表記しかなかったが、増加する訪日外国人が車を運転する際、混乱しないように番号
を振ったそうだ。 例えば、東名高速と名神高速は「E1」、山陽自動車道は「E2」、九州自動車道は
「E3」、東北自動車道は「E4」。 EはExpresswayの頭文字、数字は高速道路に沿った国道の番号を
刺す。 ただ、3桁の数字は付けないことになっており、「E59」以降は3桁国道などに沿った高速
道路や自動車専用道路に付いている。 現在、「E98」まである。
このほか新東名や新名神のよに東名、名神高速と起終点がほぼ同じ路線は「E1」の仲間として「E1A」
と最後にAが付く。 中国自動車道なら山陽自動車道の仲間なので「E2A」になる。 さらに環状道路
は番号の頭にCが付く。 首都高速なら都心環状線が「C1」、中央環状線は「C2」。 なお東京外環
自動車道は「C3」となる。
ふだん、何気なく走っている国道。 その番号には、こうした歴史的経緯がある。 そのことを頭に入れ
て走るだけでも愛着がわき、道路がより身近な存在になりませんか。 いかがでしょうか。
(ここまで書き込んだ私、車を持つ身分になれなかったので、知識として頭の隅に入れておくことにします)
必ず番号が付けられています。 その歴史的経緯やナンバーリングの法則を調べてみました。
まず向かったのは、江戸時代に五街道の起点となった東京の日本橋です。 明治時代には、この橋が全
国の国道の起点と定められ、車道中央にブロンズ製の元標が埋め込まれています。 北西の広場には
レプリカが設置され、「日本国道路元標」の文字が刻まれている。 横には仙台市まで350㌔、大
阪市まで550㌔など、全国の主要都市までの距離が書かれた2つの里程標もあります。 それを見
ると、ここから全国に国道が広がっていたことを実感できる。
五街道のうち、東海道はおおむね現在の国道1号、奥州街道は4号、甲州街道は20号という具合に、
主要国道に切り替わった。 気になるのは国道の数字だ。 どういう経緯で付いたのか。
「初めて国道の番号が付けら
れたのは明治時代。政府が主
に日本橋と港や陸軍の施設。
都道府県庁をつなぐ国道に1
から44号まで付けたのが始
まりです」。こう話すのは、
国の道路行政を所管する国土
交通省道路局の“岡崎規格専
門官”だ。岡崎さんによると、
第2次世界大戦まで物質輸送
の主役は鉄道だった。本格的
に道路が整備されるのは戦後、
モータリゼーションが進み始めてから。
1952年制定の新道路法により、国の中枢地域を結ぶ幹線道路を1級、それ以外の国道を2級と分けて
整備することになった。その際付けられた番号が現在の数字の基になっている。
1級国道に1,2桁の番号、2級国道には3桁の番号が付いた。 1級国道のうち1~12号は国土の骨
格となる縦貫方向の道路。 13~35号は12号までに連絡されない都道府県庁所在地などを結ぶ道
路、36~40号は北海道の道路に割り当てられた。 例えば1号は大動脈である東京~大阪間、2号
は大阪~北九州間、3号は北九州~鹿児島間、4号は東京~青森間、5号は北海道の函館~札幌間。
13~35号は北から順に番号を振られた。 その後、58年の第2次指定で名古屋~富山間の41号
など3ルートを追加。 62年の第3次指定では、それまで未指定だった県庁所在地などにつながる主
要道路を、北から順に44~57号とした。 さらに72年の沖縄返還を機に鹿児島~那覇間に58号
が付けられて以降、2桁の番号は打ち止めになっている。
一方、2級国道は当初、101~244号の144路線が北から順に割り当てられた。 その後、数次に
わたって追加指定される。 その都度、北から番号が付けられたため、今では番号の規則性は薄れてい
る。 その後、1964年に1,2級国道の区分は廃止され、一般道に統合された。
現在、国道は1号から507号まである。ただ、59~100号と109~111号、214~216号
は欠番になっている。 59号から100号がないのは、国道の追加指定は3桁の番号をつけると法改
正で決められたためだ。 3桁の最初の番号は100号ではなく101号となっている。 109~1
11号と214~216号は他の国道に統合され欠番になった。
ところで国道と並ぶ大動脈といえば、全国に張り巡らされた高速道路網がある。 実はこれにも番号が付
いていることをご存じでしたか。 その歴史は2017年からです。 それまでは「東名」「名神」「
東北道」など漢字表記しかなかったが、増加する訪日外国人が車を運転する際、混乱しないように番号
を振ったそうだ。 例えば、東名高速と名神高速は「E1」、山陽自動車道は「E2」、九州自動車道は
「E3」、東北自動車道は「E4」。 EはExpresswayの頭文字、数字は高速道路に沿った国道の番号を
刺す。 ただ、3桁の数字は付けないことになっており、「E59」以降は3桁国道などに沿った高速
道路や自動車専用道路に付いている。 現在、「E98」まである。
このほか新東名や新名神のよに東名、名神高速と起終点がほぼ同じ路線は「E1」の仲間として「E1A」
と最後にAが付く。 中国自動車道なら山陽自動車道の仲間なので「E2A」になる。 さらに環状道路
は番号の頭にCが付く。 首都高速なら都心環状線が「C1」、中央環状線は「C2」。 なお東京外環
自動車道は「C3」となる。
ふだん、何気なく走っている国道。 その番号には、こうした歴史的経緯がある。 そのことを頭に入れ
て走るだけでも愛着がわき、道路がより身近な存在になりませんか。 いかがでしょうか。
(ここまで書き込んだ私、車を持つ身分になれなかったので、知識として頭の隅に入れておくことにします)