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テクノロジーは動物の感覚を衰えさせないか

2013-09-01 21:12:05 | 日記
 GLT導入を嘆くUEFAプラティニ会長 「パンドラの箱が開いてしまった」

 UEFA(欧州サッカー連盟)のミシェル・プラティニ会長は現地時間30日、
 先進技術を用いて審判の判定を補助するGLT(ゴールライン・テクノロジー)
 の導入を、サッカー界の「パンドラの箱」と称し、反対の姿勢を改めて示した。
 ロイター通信が報じている。

 かねてよりGLTの導入に反対の姿勢を貫いてきたプラティニ会長は、
 記者会見で「私は初めからこのテクノロジーには反対だと言ってきた。
 なぜなら、オフサイドテクノロジー、PKテクノロジー、スローインテクノロジーと、
 今後すべてにテクノロジーを使用することになるからだ」とコメント。
 GLTを導入したことをきっかけに、今後はさまざまなテクノロジーが次々に
 組み込まれることになるとの見解を示した。

 GLTは昨年、サッカーのルール制定に携わるIFAB(国際サッカー評議会)
 からの承認が下り、同12月に日本で開催されたクラブワールドカップ、
 今年6月にブラジルで開催されたコンフェデレーションズカップですでに使用された。
 現在ではチャンピオンズリーグとイングランド・プレミアリーグでも導入されている。

 しかし、そんななかでも一貫して反対の姿勢を貫いてきたプラティニ会長は
 「パンドラの箱が開かれてしまった。私が言っていたことが実際に起こるだろう。
 そう確信している」とコメント。同会長はGLTの代替案として、審判を2人増やし、
 それぞれのゴール裏に1人ずつを配置するという手法を取っている。

 プラティニ会長はまた、ビデオ判定が100%信用できるものでないことは
 ほかのスポーツで実証されていると述べ、
 「審判は、もはや自ら判定を下すことはなくなる。モニターのところへ走って行って、
 テクノロジーが判断を下すのを待つことになるのだからね」と、皮肉を飛ばしていた。


サッカーで微妙なジャッジについてビデオ判定などを導入し、
誤審をなくそうとの議論は今にはじまったことではありません。

自分もイングランド・プレミアリーグや欧州チャンピオンズリーグ、
ワールドカップ、欧州選手権などをよくテレビ観戦しておりまして、
そうすっと誤審というか、今のジャッジおかしくねぇ?
みたいな場面にたびたび遭遇するのでして。

そんで、せめてゴールについてだけは、ビデオなり今回のような
ゴールラインテクノロジーなどによって正確な判断がなされるべきと、
思ったことはありました。


ありましたが、だいたいはプラティニ会長に賛成です。

まぁ、誤審もサッカーのうち、というかですね。

やっぱり、テクノロジーがれば審判はいらないのかというとそうではなく、
かといっていつもいつも完璧な判断ができる審判がいるわけでもなく、
となると、人間ですから過ちもするワケでして。

そりゃ、ジャッジミスはないほうがいいのに決まっているのですけど。

でも、プラティニが言うように、これで判定をテクノロジーに頼るようになって、
関係者もファンもそれを歓迎するとしたら、審判は自分の判断に責任を持たなくても
いいようになってしまいます。

ゴールかどうか、オフサイドだったかどうか、ファウルだったかどうか、
機械に聞いてみよう、なんてことになりますと、審判自らの判断はいたって
軽いものになってしまいますし、審判の責任感がそがれるのではないでしょうか。

そしてかえって審判自身の注意力も判断力も、そしてモラルも、
下げていってしまうことになるような気がするのです。


同様の危惧は身近な電化製品・工業製品にも見られます。

自分はつい最近、12年ぶりに新車を購入したのですが、
12年も経つとクルマってのはいろいろ変わっていて戸惑ってしまいます。

まず、エンジンをかけるのにキーを穴に挿して廻すところがボタンになっていて、
もうそれだけでビビります。

欲しいと言っていないのにバック時にはクルマ後方がモニターできます。
ほとんど見てませんけど。

それに最近では衝突防止機能なんてありますね。
前に障害物があると勝手に停止してくれるやつ。
オップションだったので自分は付けませんでしたが。


なんで付けないの?と周りは言うのですが、嫌なんですよね。

そうやって機械に判断を頼っていると、自分が判断しなくなっていくのが怖いのです。
しなくなっていくばかりか、その能力も衰えるでしょう。

安全運転をサポートする機能としては有効なのかもしれませんが、
その分、人間は機械に頼ってしまって、自らの判断力や注意力、集中力、
思考力を低下させていくことに繋がる気がするのです。

そんな大袈裟に考えなくても、こうした昨日によって事故の確率が減るだろう、
そういうことならもちろんいいのですが、果たしてどうでしょうか。

何年か後、こうした機能が強化され更に当たり前になっていったとき、
人間の判断力や注意力、集中力、思考力は、今と同様のレベルを保てるのでしょうか。

自分は危うい気がするのですよね。
そしてそのとき、本当にクルマ社会の安全性が向上するのでしょうか?


え、将来になれば更に人間の不注意をテクノロジーがサポートしてくれる、ですって?
そうかもしれません。

でも、機械ってのは壊れるものですし、誤動作がないとも言えません。
もし誤動作があって事故に繋がったときは、誰の責任になるのですか?

運転者、もしくは自動車メーカー?


テクノロジーがヒトをサポートするのも結構なんですけど、
人間の動物的な感覚の必要性がどんどん薄れていくというのは、
なかなか危ないものだと思うのですけども。
 
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