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役人のセクハラで大臣辞任を求めるより野党はやることあるだろ

2018-05-07 22:22:12 | 国際・政治
今年もゴールデンウィークが終わりましたね。
自分は5月1日2日に休暇をいただき、9連休させていただきましたが、
みなさんはどうお過ごしになりましたでしょうか。

さて、そんな中、お茶の間の話題といいますとなんと言っても、
TOKIOの山口メンバーの強制わいせつですかねえ。

で、ジャニーズも山口との契約解除を決めたとのことで、
本人の申し出があったとも言われますが、なかなかに厳しい処置なのではないでしょうか。


しかし、こうして芸能人の色恋沙汰となると、なんでメディアは俄然張り切るのでしょうかねえ。
まぁそれだけ国民が欲する需要の反映、ってことなのでしょうが。

政治経済のようなアタマを使う話題より、
直感的に反応しやすい色恋沙汰が大衆に好まれるのは当然ではあるんですけども。


一方で、財務省の高級役人のセクハラについての認識はなんと、
財務大臣の馬鹿な阿呆センセーによると、


 セクハラ罪というのはない


と、いうものでありまして。

確か、財務省としては辞職した元事務次官のセクハラ行為を認めてはいたのですが、
それでも、罪ではない、なぜなら犯罪ではないからとトップの大臣がのたまうのですよ。

コレ、セクハラ罪という犯罪はないなんて言ってる時点で、
セクハラは、要は悪いことではないと言ってるようなもんですよ。

このご時世にあってこの認識とはいかがなものでしょうか。
ジャニーズ事務所の対応とはエラい違いじゃ、あーりませんか。


あの、セクハラだけじゃなく、パワハラとか差別とかにも言えると思うのですが、
最近ではLGBTといった性的マイノリティに対する偏見も含めて、そういうのって、
マイノリティなど、つまりは一般的には弱者とされる側に対する、
マジョリティと思われる強者側による抑圧や暴力、ってことなのだと思うのですよね。

強者側の思い上がり、弱者側への理解と思いやりの欠如、精神的貧困、
あるいは、弱者に対する脅威といったものが、多数側という後ろ盾をもって、
論理はともかく、高圧的な態度へと駆り立てるのでしょう。

おそらく少数派であろう側によって、自分の側、おそらく多数派と思われる側が、
浸食されるのを嫌って、また自分たちに論理的な正当性がないことがわかっているからこそ、
ただ感情的な態度に出るということではないかと。

自分たちに相手を理解する能力やわかりあう態度がないことを自覚するあまり、
ソレがコンプレックスとなり、ソレを覆い隠すための攻撃的態度でもあると思うのです。


馬鹿な阿呆センセーを見てご覧なさい。

セクハラについての理解があの程度なのに、
あの居直った答弁に、記者らへの高圧的かつ恫喝的な態度。

明らかに、理解力を含めて自分が不利であるということくらいは認識しつつ、
ソレをはぐらかすための強弁でしかないでしょう。

コレって、自分が強者であると自覚しているからこその態度ですよね。
強者だから弱者側、たとえば女性に対してもそうですし、
特にリベラルなメディア、彼的には少数派で弱者側と思い込んでいるのでしょう、
朝日新聞などのメディアに対する態度もそうでしょう。
国民目線なんてないってことですよ。

ま、そこで、ツッコミきれない記者達の追求も甘いのですがね。


国会答弁なんかを見ても馬鹿な阿呆センセーやアベちゃんなかは、
立憲の枝野センセーや共産の小池センセーなど手強い相手には萎縮しつつも、
相手が野党の女性議員となると途端に横柄にあしらってみせるじゃないですか。

コレって、強者側の弱者側を踏みにじってやらんとの行動論理が、
如実に現れているコトだと思うのですよね。

弱者に対して強者が思いやる社会なんて、彼らの政権の視界にはないってことですが、
多くの国民は、そんなアベちゃん政権でも容認するのですかねえ。


こういう、強者や多数派と、弱者や少数派との構造において、
強者側が抑圧的だったり排他的な態度をとることのいびつさは、
今は強者側であっても誰もが弱者側になり得るワケですから、
そういう状況になったときに、自分が弱者側として強者側からの
抑圧や差別を甘受するのかという、想像力の欠如を思うのですよねえ。
相手の立場になるいう思いやりの欠如。

日本ってのは「おもてなし(笑)」文化とか言って自画自賛する一方で、
こんなセクハラのナニがいけないの?みたいな政治家や組織の傲慢が
まかり通っていて大丈夫なのでしょうか。


まあ、セクハラに限らず森友学園疑獄、加計学園疑獄、PKO日誌隠ぺい、
財務省の文書隠ぺい・改ざんと、追求すべき問題山積みなんですが、
どうも大衆の耳に心地よい財務省トップのセクハラ問題が出てからというもの、
ソチラに労力を割かれてませんかねえ?

もちろん、セクハラ問題は社会的に重要ですよ。
でも、野党とあろう人たちなら、行政に関わる問題こそ追求すべきではないのですか。

それが、そうした追求の労力がセクハラ問題にも分散してしまって、
明らかに殺傷力を欠いてしまっていて、この戦略の拙さたるや如何なものかなと。

で、アソウ大臣辞めろー、なんて主張になってしまうのですが、
なんと言いますか、この、ソコじゃない感。

セクハラ問題の重要性を認識せず対応もしないのは確かに上司として失格なのですが、
大臣辞めろ、が先にあって、真相や本質の究明や関与者の処罰が後回しにされるような、
大臣が辞めたら問題は終わりなのかと錯覚させるような主張の仕方は、甚だ疑問です。

まあ、一般大衆的にはセクハラ問題にこそ注目してくれる筈!とでも考えたのでしょうか。
で、大臣はじめ責任者が辞める構図が大衆には絵的に最もわかりやすい、ってのは、
あるのは確かですがね。

このわかりやすいセクハラ問題追及が野党にとって政権の諸問題解決の突破口になれ、
という戦略かもしれませんが、どれもこれも中途半端でしぼんでしまってませんか。

しかし、アベちゃん政権の諸問題に関連しては、ナニからナニまでこうなんでありまして、
野党のふがいなさが目立ってばかりというね。


野党がふがいないといえば、百合子センセーの希望の党と、
民主党が転じて民進党とが合流して「国民民主党」なんてのができましたが。

なんですか、このネーミングの違和感。

そもそも、「民主」の「民」って「国民」のことではないのですか。
となると、「国民」と「民主」で意味合いがかぶってませんか。

いっそのこと「希望の民進党」とかでよかったのではないかと個人的には思いますが。


しかし、このセンスの悪さたるや、いかがなものでしょうか。

こういう政治センスが、こんだけ追求材料があるにも関わらずセクハラなんかに舵を切っちゃって、
アベちゃん政権を追い込みきれない状況に繋がっていると思うのですよね。

ま、与党議員も野党議員も結局は国民が選んだ議員達。
そんな国民の身の丈にあった政治なのだと思うしかないでしょうかね。