普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

小学生への英語教育の問題・コミュニケーションの道具と材料

2018-02-20 11:03:31 | 教育

戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。もし宜しければ是非ご一読の上、趣旨にご賛成ならお手数ですが拡散をお願いします。
 文藝春秋の2月号で「国家の品格」の著者の藤原雅彦さんが、「小学生に英語教えて日本が滅ぶ」「一に国語に、二に国語、三四が無くて五に算数」を書いて居ました。
 それを見て私の自分史の資料に纏めていたのを思い出しました。
「壁の花(1)」
・イランにいた時私ども日本人グループが派遣先の会社主催のパーティーに誘われたことがある。簡単な挨拶の後各自適当に相手を見つけてのお喋りの立食パーティー。気がつけぱ何時のまにか日本人同志が集まっている。詰まり現地の人達と話す話題がないのだ。これだけでも恥ずかしいのに、一番惨めなのは私。日本人の話題はゴルフとマージャン。そのような経験も知識もない私だけポツンと壁の花。
 それで何度かの帰国の飛行機では何時も屋台でジュース片手に二時間も喋るブラジル人、あちかちから面白い話題を聞いては触れ回る私のカンウンターパートたちのように、積極的に話題を溜めねばと反省しているのだが帰国したら直ぐに忘れてしまい、家内から何時も何か面白い話はないのて言われている。
「壁の花(2)」
 今度は話題に関して厳しい話。ブラジルにいた時、噂好きの現地の人達から、日本有数の大メーカーが私の出張先の周辺で進行していた巨大な石油化学コンプレックスの保全工事の一括受注に失敗したという噂が流れてきた。その理由が受注後責任者になる予定のマネージャーが客先の質問に殆ど喋らなかった。詰まり肝心なマネージャーが仕事のことは何も判っていないと言うのが拒否の理由だそうだ。実はその会社はメンテナンスの実績があまりないので日本で1,2を争う私達の化学工業会社がそのサポートに廻り、保全部門の私の友人が現地に乗り込んで計画に協力していた。その彼が通訳付きでもマネージャーの援護射撃すべきなのに控えめの好紳士だったのも影響したのかも知れない。それと私の経験から考えると、当然予想される質問。保全から見た開発途上のブラジル、僻地とも言える現地の抱えている問題や、巨大コンプレックス特有の保全の問題とそれらの対策に就いて準備が足らなかったのか?その双方とも経験のある私が同時期に、同じ地域にいたのに!!彼は私が左遷同様の転勤になるまえ山ばかり行く劣等生の私の記憶しか残って居なかったのだろう。私がその場に居れば片言英語で関係者の質問に総て答えられたし、当時現地では手回し計算器の時代で、現地の人が飛びつきそうな当時入力はテープ、記号は1010の時代に同業他社の先端を切って開発した、英字使用のコンピューターによる資材、保全管理システムの採用を提案できたのに。

 この仕事を推進してきた人達は、全国で有数の会社共同によるプロゼクトが何故したのか不審に思っていると思いますが、私は帰国後もこの彼の大失敗の告げ口をになるような話を、会社の関係者は勿論誰にも話したことがありません。然しこの様な大切なことを身の回りの人に知って貰う自分史に残しておこっうて思っています。
「コミュニケーションの道具と材料」
 藤原雅彦さんは「国家の品格」でも持論の読書の必要性を書かれています。
 万国共用語の英語が出来ても、仕事では当然に専門的なことを知らなければ何も話せません。一般的な人も旧新日鉄が作った外国人から質問が出そうな日本の話題を集めた和英対訳の「日本」のように話す種がなければいざと言う役に立ちません。
 一般の人で言えば片言英語でも買い物や宿泊でも先方の方が何とかして売り込もうとします。普通のことならスマホの英語でも殆ど用が足せます。用が足せないのは親しくなった人から日本のことを訊かれて返事が出来るかと言うことです。
 問題はこちらか先方に売り込むとき藤原さんも書いていたように、多分実業界からの要請だと思いますが、勿論誰でもが流暢な英語がしゃべれば最高でしょうが、私のような片言英語でも相手を説得できますし、それでも必要とする人材は大会社でも数人居れば十分です。その為に今でさえ問題の多い小学校の教師や生徒にさらなる負担を加えるなど完全にピントが外れていると思います。どうしても流暢な英語の出来る人が欲しいのなら、東大などの一流大学の英語による授業。教授と学生の英語よる討論、英語の論文の提出をさせるべきです。そうなればそ大学を目指す高校、塾もそれに対応する教育をすると思います。それだけで流暢な話の出来るエリートの教育で十分な期間があると思います。
 そして藤原さんの云われるように、学校も小学校から英語を教えるのでなく、日本のことを教えろ、そして表題に書いた[コミュニケーションの道具」の英語より片言英語でもそれを話す「材料]の知識やし識見の養成の方が遥かに大切だというのが私の「壁の花」の失敗の反省や友人の大失敗を聞いた私の意見です。
 なお読書の問題に関する私の経験や初等教育の意見は長くなりますので、次回の投稿にしたいと思っております。

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