普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

マスコミの責任

2008-09-27 16:39:10 | 情報、マスコミ

 小泉改革で一翼を担っていた木村剛さんが「週間!木村剛」の「モンスターキャスターが諸悪の根源だ」
 本当に日本は「モンスター」だらけになっていますよね。ただ、いまの日本が「モンスター」だらけになっているのは、
①他人の迷惑を考えずに自己を優先する
②自分の義務を果たさずに権利を主張する
③個人の責任を問わずに社会を批判する、
という子供じみた主張が闊歩することを許しているからなのではないかと、私は思っています。そして、その土壌をはぐくんでいるのが、日本のマスメディアなのだと思うのです。
 というのは、マスメディアこそが、他人の迷惑を考えずに自己を優先し、真実を報道する義務を果たさずに権利ばかりを主張している張本人だからです。個人の責任を徹底的に追及することなく、ひっくるめて「社会が悪い」と大合唱しているのもマスメディアです。
と書いている。

 私は木村さんが言う「モンスターだらけになっている」理由には全く賛成だ。
 そのような人達が生れたのは、終戦後以来の、日本古来の美徳を忘れ、個人の権利重視、義務、責任の無視または軽視の教育により、権利→他人のそれはともかく自分の権利は護るもの責任、義務→自分のことはともかく他人の責任、義務は追求するものと信じた人達が社会で次第に増えてきて、そのような社会の風潮が生れたものと思う。

 然しマスメディアについては私の意見は木村さんとは少し違い、余程悪意のあるマスコミ以外では真実を報道していると思う。
 ただ問題なのはその真実の全体像ではなくて、自分たちの都合の良い所だけ切り取り繰り返し報道し、都合の悪い所はカットすることだ。

[マスコミの報道姿勢]
 今までのマスコミの報道を見聞きして次のような特徴に気付く。
・自分の主張に都合の良いことはその部分を切り取って繰り返し報道するが、自社の主張に都合の悪いことは報道しない。
 その一番極端な例が「ある意味では真っ正直な」朝日新聞とテレビ朝日だ。
 ・弱者が正しく、政府などの強者は悪と決めつけがちな報道姿勢だ。
 ねじれ国会の現状では政府、与党が強者で野党が弱者では必ずしもないが、どうしても野党よりの報道になる。(*注記)
 木村さんが指摘したように、数々の企業の不正にたいして企業の責任より、政府の責任の方に力がはいる。(三笠フーズの報道が適例だ)
 そのために捩じれ国会のあり方とか、企業の倫理感の欠如、それがどのようにして生れたかのなど基本的な問題の追求がおろそかになり同種の問題の解決が遅れたり、似た様な問題が続発する一因となっている。
・何故か左翼団体、宗教団体、労働組合など特定の団体の名前に殆ど出さない。
 教育問題の論議に日教組の名前は殆どでない。
 年金問題で官公労の人達のやり方が余りにも酷かったので、一時報道されたが、今なお起こる社保庁の新しい問題ではいつか職員の責任など言わなくなってしまった。
・特定の人達の活動を国民とか、市民の活動と言う様に大袈裟に報道する。
 高齢者医療制度で老人は怒っていると言うが、正確には低所得者の人達や、自家営業の人達で、他の多くの平均的収入の人達が、少しばかり保険料が減り、自己負担が2割から1割に減ったことは言わない。

 詰まりマスコミは真実を伝えているが、その一部しか伝えていないために、結果的に(一部のマスコミは意識的に)事の真実を曲げて報道することになっている。

[マスコミの報道姿勢のこれから]
 この様なマスコミの報道姿勢で今後一番問題になるのは、次期の衆議院選の前とその最中のマスコミの報道だ。
 小泉さんの郵政選挙ではマスコミは小泉さんの戦略に乗せられて、一方的な自民党応援をして小泉さんを大勝させた。(これでマスコミ特にテレビはその威力の大きさを学習した。
 安倍さんの時の参院選では、テレビは赤城さんの絆創膏問題を執拗に報道して、政治と金の問題を国民に連想させ、結果的には安倍さんの大敗を招いた。
 詰まりマスコミ、特に木村さんが指摘したテレビの報道は、普段は政治に無関心な人達を動かす強大な力を持っており、前回の二つの国会議員選挙に関する事前の世論調査の数字からの予想される結果よりより大きく振れた結果が生じる原因となっている。

 前に「弱者が正しく、政府などの強者は悪と決めつけがちなマスコミの報道姿勢」を書いたが、言うまでも無く今やマスコミ自身がは強大な権力機構だ。
 マスコミ一層の自省を願うのは勿論だが、一般国民もその動向、特に選挙中のマスコミの偏向報道に注意を払う必要があると思う。

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*注記:福田さんの辞任報道
  最近の例で言えば、内閣改造後突然辞任した福田さんへのマスコミの批判だ。
 勿論「喧嘩に負けて家に帰って親に泣き言を言う」ような一国の首相に批判報道が集まるのは当然だが、喧嘩両成敗と言うように、勝った方にも何らかの落ち度がある筈だ。
 詰まり、福田さんを批判するなら、倒閣一本槍で、審議拒否や引き延ばし、日銀総裁問題で民主党に根回ししたのにいざとなって反対など小沢さんのやり方にも言及して始めて、ことの真相が明らかになり、捩じれ国会の運営を如何に上手くするかの前向きの議論に発展するのだが。


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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-09-28 00:31:31
ネットの台頭で、テレビを見る層は基本的に
自分の頭で考えない人が見るメディアに成り下
がってしまったんでしょうね。
まぁ、この視聴者もテレビ(特に民放)見捨て始めてるのが現状ですが・・・。


NHK、視聴率トップに 上半期ゴールデン
タイム
http://www.asahi.com/culture/update/0924/TKY200809240305.html少なくとも98年度下半期以降でNHKが同時間帯1位になったデータはなく、NHKも
「これまで、半年間の平均でゴールデンタイム1位ということは聞いたことがない」。
民放の在京キー局の幹部は「我々は社会の空気の変化についていくのが
遅れてしまったのかもしれない」と話した。
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Unknown (ego)
2008-09-28 10:56:00
こちらのブログで、今日は特にすっきりいたしました。
まさに同感です。
田原総一朗氏はTVで堂々と言う
マスコミは権力

マスコミのやり方は、
戦前も戦後も変わらず
国民を欺いているように思う。

マスコミを制するものは大きな権力を握る事と同じだ。
その点は、小泉総理は本当に天才であった。
返信する
モンスターを生み出した日本国憲法 (やす)
2008-09-30 17:28:22
 現代の日本社会にさまざまな「モンスター」を生み出した諸悪の根源は、占領軍に押し付けられた日本国憲法にほかならないと私は思う。
 まず、憲法前文は、日本国民が、謝罪の仕方や誓いの内容まで外国人が書いたものに沿って、それを演じる台本となっている。それに従って自己を同定するならば、自己とは、過去の戦争の罪を悔い、自らを責め、他者に依存することによってのみ存在できる自己となる。それは、戦勝国である連合国に謝罪を強要され、自己の生存を勝者の慈悲と寛容に委ねさせられた敗者の姿だ。そして、「戦争犯罪国家」の「極悪非道」の国民であり、いわば無期懲役囚の姿だ。そして、この憲法前文は、戦勝国の都合を繁栄させた国際秩序による平和を守るために、日本人が、限りなく贖罪と自責を続け、勝者に自己の存在を依存し続けなければならないという構造を、法文化している。
 日本国憲法によって、わが国は保護国的・半植民地的な国家としての地位を固定され、侵攻戦争放棄、戦力不保持、自衛権制限によって、自己の生存を他者に依存するという存在となった。それが国際社会における「甘え」を生み出した。この「甘え」は、いつまでも保護を求め、依存し続けようとする心理であり、自立しようとする意志を欠いた状態だ。この「甘え」は、同じ発生原因による「卑屈」と裏表になっている。
自己の存在を自ら守るには、国家にとっても、個人にとっても、意志と技術が必要だ。しかし、日本人は、自らを守ろうとする気概を失い、自衛のための抵抗すら罪悪と思い込むことになった。自己防衛の意志がなくては、そのための技術を身につけることはできず、当然、自分を自分で守ることができない。また他の不正や抑圧に対しても身を挺して闘うことができない。こうして防衛本能を奪われた「卑屈」な姿は、家畜にも比すべきものだ。さらに、守るべき自己の枠が無くなってしまったときには、人格は崩壊する。他者へのとめどない依存か、自虐・自殺・自滅か、いずれかの道を選択することになるだろう。
  主権を制限された保護国・半植民地的な地位に甘んじつつ、奇蹟的な経済復興と高度経済成長を成し遂げた日本国民は、過去に対する「贖罪と自責」をしつつ、「甘えと卑屈」の現状に居直り、「わがまま」な利己主義的行動をしている。自国の物質的利益のためにエコノミック・アニマルといわれるほどに拝金物欲を追求し、国際社会での防衛責任を果たすことなく、また地球環境に対しても「無責任」な振る舞いを続けてきた。そのため、国際社会においてひんしゅくと非難を買い、限定的ながら最近ようやく地球環境保全などの分野でリーダーシップをとるように努めているが、いわゆる大国には軽くあしらわれている。
かつて、日本人は恥と質素の文化を作り上げ、厳しい自制と責任意識を美徳としていた。しかし、それは、明治以降の西洋化的近代化の中で、武士道の精神とともに失われてきた。その結果が、戦前・昭和前期の無責任構造を生み出した。戦後、この傾向は、日本国憲法によって一層徹底された。固有の精神文化を奪われた結果、今日では、政治家も官僚も企業家も学者も、利己的行動をほしいままにしながら、誰も責任を取ろうとしないという社会となっている。それが国内だけでなく国際社会でも通用すると錯覚しているところに、日本国憲法的な「わがままと無責任」の特異性がある。
 日本人は、GHQの占領政策によって自立心を奪われ、かつ団結心を破壊されたが、日本国憲法はこの喪失状態を固定する役目を果たしてきた。その結果、責任と義務を果たす個人としての自己が確立されず、個人の自主性、自立性を欠くとともに、集団においては、規律と団結を欠くという、個人としても、集団としても弱いというどっちつかずの状態になっている。
日本のアジア的・稲作文化的な共同体では、個人より家族や共同体が主であり、そこでは調和と公益が重んじられた。この家族主義・共同体主義は、蜜蜂・蟻などのような集団生活をする動物社会に近い社会であり、集団としての強さを持っていた。この社会は、欧米近代の個人主義の社会とは、社会の構成原理が異なる。その原理的な差異を無視して、米国型の個人主義が植え付けられようとした。一方、日本人は、民族としての団結心を奪われ、団結することへの恐れを植え付けられているため、団結に対しては、自主規制が働くようにプログラムされている。団結することは悪である、特に指導者を中心に団結することは危険であるという観念が、意識の深層に植え付けられている。このため、個として確立していない個人が、集団としての団結もできないという状態となっている。
 これらの「贖罪」「自責」「甘え」「卑屈」「わがまま」「無責任」 「自立心と団結心の喪失」が、戦後日本人の性格的特徴となっているばかりか、さまざまなモンスターを生み出す土壌をつくり上げたと私は考える。そして、これらを生み出す根源が、日本国憲法であり、今なお心の危機を生み続けている。
 この危機を克服するには、自主憲法の制定を急ぐしかない。民主党政権が誕生したら、目標はさらに遠のくに違いない。怠慢な自民党もどうかと思うが、改憲を取り上げたら空中分解は必至とあってタブー視せざるを得ない民主党よりはまだ望みがあるだろう。
長文失礼しました。

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