普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

川柳「母が逝く暮らしが楽になったころ」

2018-12-27 11:43:24 | 川柳
 私の家は貧乏人の子沢山を絵に書いたような家でした。水は井戸から、洗濯は洗濯板でごしごし、飯は竈、煮物は七輪、燃料の足しに山へ薪取り。子供5人の内いたずらの好きな男4人を物差しで追い回す母。それでも味噌や起業祭の来客への甘酒作り、正月と旧正月の餅搗きと頑張る母親。その内姉は弟の世話。遊びに行くならと弟を背負わされる私。水も水道と変わって行きました。そして子供が次々の就職。皆がそのころから出てきた洗濯機、電子レンジ、掃除機など買ってやると言っても、母は勿体ないと手仕事に拘ってきました。さすがにその頃は薪取り、味噌、甘酒作りは止めましたが。水道・ガス完備の社宅に入り手が空いた母は生まれて初めての生け花の習いごと。それから父の満期の金で念願の家ができ、成り行きで次男の私たち夫婦が親達と同居、お気に入りの息子と良く気がつく嫁との暮らしに満足していた老いた母へ突然の私の岡山への転勤の話。高度経済成長の時代で私たち一家も遂に核家族に成ってしまったのです。「どうしても行くのか」と母から泣かれた私。岡山へ何度も遊びに来てと言うのに来たのはいつも父だけ。そして父母だけの家でたまたま来ていた姉と掘ごたつでの話し中に母のポックリ死。看護婦の姉が後処理、病院、警察への届け。私の幼児のころは病気ばかりの私を背負って病院や地蔵さんに願掛けに廻った母のことを思うと今でも胸が痛みます。
「卒寿越し未だに母の背の温み」

週一回の投稿ですので今年はこれで最後の投稿になりそうです。どなたも良いお年をお迎えになりますように、そして来年もよろしくお願い致します。


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