<<落ちこぼれ>>
同じ頃娘が小学校の先生になり5年生を担当しました。
新米の先生で教え方も拙か ったのでしょうが、生徒の中に学習についていけない人が何人か出たので、校長に補修授業をしたいと申し入れたのですが拒否をされたそうです。娘に聞くと、他の先生の振り合いが(労働負荷の増大の心配?) あるからの言うのです。
彼女は持ち上がりで6年生を担当しましたが、私が 答案の採点の加勢をしているとき、何人かの生徒が全くの不成績なのを知り、その頃 問題になっていた落ちこぼれの実態を目の当たりにしました。
この責任は贔屓目でなくても、明らかに新米の先生でなくて、当時猛威を振るっていた日教組加盟の労働者意識に目覚めていた先生ばかり見ていて、肝心の生徒の方を見て居なかった校長にあったのではないでしょうか。
その時思い出したのですが、私の子が小学生のとき、判らないことがあったら、両親によく聞 いてきなさいと言われたと言っていたのに驚いたこともありました。学校は判らない ことを教える所ではないでしょうか。
<<生徒との触れ合い>>
娘が生徒とピクニックに行く計画を立てたとき、校長は事故が起こったら困るとまた許可を出さなかったそうです。
その時も校長は何かあればすぐ学校のせいにする父兄や、他の先生方の振り合いのことを気にしての判断だったのでしょう。この校長は他のことで知ったのですが、立派な人格者だっただけになお一層学校の問題点について考えさせられことを覚えています。私の5月28日と6月4日の投稿の、権利ばかりの授業の弊害がもう昭和50年こらから出かけているような気がします。
私が見聞したこのような小さな例から見ても、当時の(ことによると今の?)生徒達の一番の不幸は校長や、先生達の関心が、学校教育の一番のお客さんである生徒でなくて、日教組加盟の先生方、教育委員会、父兄に向けられていたことではないでしょうか。
[落ちこぼれみんな政府の所為にする]
(May 17と毎週日曜日投稿参照)
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