普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

石原都知事が嘆く若者気質

2010-05-03 15:59:22 | 政策、社会情勢

  産経新聞に石原慎太郎さんに寄る【日本よ】「当節、若者気質」と言う文章が寄せられています。
・大学の入学式で来賓の挨拶のとき、若い司会者が学生に起立させるが礼をさせないこと。
大学の入学式に大勢の父兄が同伴してくること
 石原さんのときは卒業式の時に母親が自ら「『お前のような者をよくぞ卒業させていただいた』という感謝のつもりで出てきたが、入学式に父兄同伴などという現象は皆無だった
・子供の成人式にも大勢の父兄がつめかける
 気鋭な精神病学者、斎藤環氏にいわせれば、学問的にいえば現代日本での成人は、せいぜい三十一歳ということだが。一度その理由を国家としての関心で質す必要がありそうだ
・『一人で学生食堂にいけぬ学生』という主題で、そんな学生の多くはトイレの中で密かに一人で食事をすますという。その理由は、食堂で一緒に食事する友達がいないと馬鹿にされる、それが恥ずかしい、だからますます孤独になるという悪循環だとか。
・特に新入生はなかなか友達が出来ず、それが進んでいくとひきこもり、閉じこもりとなり、さらには休学、中退ともなるそうな。哀れ、気の毒というよりも馬鹿々々しい話で、こうした現象の根底にあるものは何かと疑いたくなるが、答えは自明で、要するに当節の若者のひ弱さというよりない
 大衆の中にあっても場合によっては、なぜ堂々と一人切りでいられないのか。家庭から一歩出れば他者とのさまざまな相剋があり得るのであって、そこでの抵抗力を家庭が培わせないからこのざまになる。
 子供の耐性を培うのは親の責任であって、今日多くの親が子供をただ甘やかせ子供に媚びることで実は子供を根本的に損なっているとしかいいようがない。
 この豊穣な便利な文明の中でそれに溺れて子供に我慢を強いなかった無責任な親たちが子弟の脳幹を発達させず、基本的にひ弱な『子供大人』を育てたところにある。
 加えて現代文明の便宜さは子供たちに過剰な情報を安易に与えてしまう。それは何かのはずみにたわわな実を実らせ過ぎてしまったリンゴの木のようなもので、過剰に情報を収った大脳は肝心の脳幹が育っていないと、強い風が吹くと実りすぎたリンゴの実の重さに耐えかねて幹の細い木そのものが折れてしまう。
 この国の将来のために、強いしたたかな若者たちを一体どうやって蘇らせたらいいのだろうか


[私の経験]
 私の場合は小学校の入学式には母親から連れていって貰った記憶がありますが、それ以外高等小学校、工業学校、就職して専門学校、短大と夜学へ行きましたが、入学式、卒業式、授業参観など父母が学校に来た事はありませんし、他の生徒も学生も皆同じでした。
 その理由は他の人のことは判りませんが、私の家の場合は簡単でした。
 つまり当時は子沢山、そして炊事、洗濯、掃除など全て手仕事、そして私の家の場合はそれに加えて内職。
 悪く言えば親は子どものことに一々かまっておられないと言うことだったと思います。
 私など親代わりの七つ違いの姉には随分迷惑をかけたようです。 (姉から銭湯に連れて行って貰った時、めそめそ泣いて姉を困らせて、知らぬ小母さんから叱られた記憶が今でも残っています。姉と一緒に入ったので女湯ですから私の二つ位のとき、それから数えると姉が九才のころでしょう。だからいまでも姉には頭があがりません。)
 私も物心ついたころから、六つ下の弟をおぶったり、家事の手伝いをするなどは当然のことでした。
 親達がかまってくれないので、子どもたち間でもよその子の世話をしながら遊ぶのが普通で、その間自然に子ども社会のルールを学びました。

[私の感想]
 石原さんの言うように大学生の入学式、卒業式への大勢の父兄の同席が目立ち始めたのはごく最近のことのようです。
 少子化が進んで、子どもに眼が届き易くなり、家事の機械化で大幅に主婦の手間が省け、その余裕の時間を子どもの世話をするのは当然だと思いますので今のご時世の批判をする積りは全くありません。
 またこれから共稼ぎが増え、企業内の競争が激化し、企業内の母親の地位があがるなどすれば、また大学生への入学式、卒業式への参加が減るかも知れません。 (その一方、親達子供の世話ができない穴埋めとして子供の望むものを何でも与えるようになるのでしょう。)
 そして石原さんの言うように、物や情報が溢れ、貧困化が進み始めたといってもまだ昔や途上国に比べれば、未だ豊かな国で、子ども達を甘やかせずに育てることが難しいような気がします。
 しかし昔の貧乏な時代から今の豊かな時代の双方を経験した私から見れば、
・一日中こまねずみのように働く母親の背中を見ながら育ったこと
・子ども社会で喧嘩しながらもお互いに助け合って遊んだこと
・貧乏な生活で我慢するのは当然と言うか、そんなものだと思っていたこと
・テレビは勿論ラジオさえ珍しかった時代で、家で(大人向けを含む)雑誌や当時流行っていた講談本の乱読したこと 
・情報に飢えていた時代で、学校の授業が面白く集中できたので家で殆ど勉強しなくても学校の授業に就いて行けたこと(今になって考えると記憶力旺盛な子ども時代の乱読や、学校の授業で受けた情報が如何に多くそして今でも残っているかに驚きます。)
などなど今の私に与えた影響の大きさに気付きます。
 勿論、昔の貧乏な時代に戻る訳にもいかず(私を含む心配性の人達はその可能性もあるかも知れないと言っていますが) 、今の時代に石原さんの言うような子どもを如何に育てるかは、全てに豊かな環境や、父兄本人の持つ価値観もあり大変難しい時代と思います。
  然し一度は、戦前、戦争直後の貧乏な時代に立ち返ってみることも、少しは今後の暮らしのヒント位にはなるような気がします。

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