普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

大量移民の時代が来るのか?

2010-06-08 15:35:31 | 少子高齢化

 昨夜の英字新聞輪読会で大量移民の時代 のエッセイを見ました。
  著者は日本在住のJoel Assogbaさんと言う少年少女文学の著者兼挿絵画家のカナダ人です。
彼のエッセイの概要(括弧内は私の注記です。)
(前略)
 
日本は危機に直面している。
 出生率は女性一人にたいして二人以下(1.37)しかなく、それは日本の高齢化を促進している。
 国立社会保障・人口問題研究所は09年10月の時点で65才以上の人は全人口の22.7%を占める一方、14才までの子は13.3%しかない。
 もしのこの傾向が続くとしたら2050年までに人口は3分の1減少し、その半分が老人になると予測している。
 それは健康保険や年金制度維持ではあり得ない状況だ。
 この懸念により、この傾向を反転させるか、そのショックを如何に和らげるかの最善の政策に就いて激しい議論を引き起っている。 (マスコミでは殆ど報道はないようですが文章のまま)
 今までの所、議論は主に出産の奨励に焦点が当てられている。
 然し多くの若い男性は財政的な理由で結婚したがらないし、女性は一人で居るか、遅く結婚し余り多くの子どもを持たい事を選んでいる。
 この様な(出産奨励)政策は現実的ではないのではないか?
 もっと言えば、子どもを持つように奨励することで問題を解決するより、現状は多分もっと緊急を要するのだ。
 労働人口の問題解決のために出生率を上げる試みは既に遅すぎている。
 国連は日本が効果的な労働人口の大きさを維持するには、ここ50年の間に年に64万7千人の移民を認める必要があるだろう、そうでないと国民総生産は年に7%低下するだろうと予測している。
 日本人は所謂単一民族の民族文化を保つことに熱心で、大量移民により経験しなければならない、変化に対して強い疑念を抱いている。 (中略)
 この大きな人口動態変化に積極的に対応できるよう、そして21世紀に活力を維持できるよう、日本は種々の民族のグループに公平な機会を与える環境を作る努力を避けることは出来ない。
 要約すれば、これは将来日本に帰化する可能性のある外国人を受け入れる効果的な移民政策を出来るだけ早く作りあげることだ。
 より大きな文化的な多様性を達成により、日本の文化的な創造性を増し、社会の活性化と世界的に競争力を高めることになるだろう。

 ブログを書いて居てよくあることですが、昨日たまたま日米関係の在り方について研究するシンクタンク設置の必要性に就いて書きましたが、私は少子化もテーマとするシンクタンクの設置を書いて来ました。
 少子化対策の難しさは
・一番効果のあるのは関係のある若い人達の考え方を変えて貰うことですが、戦時中の国民総動員や、「産めや殖やせ」宣伝の反省から、今の時代に国がこれを主導するなどとても考えられず、後は本人達の意識が変わるのをひたすら待つしかないこと。
・昔なら貧乏ながら多くの子どもを育て、それなりに幸福な生活を送れたものですが、今の人達に暮らしの程度を下げても子どもを産めなど言うわけにいかないこと
・日本人特有の判官贔屓で、マスコミの弱い人達(この問題では若い女性)に対する批判を避ける傾向にあること。 (私自身は少なくとも庶民レベルでは、女性は弱いどころか、今では男性より強いと思っていますが。)
 その一例が一昔の所謂農村の花嫁問題では、花嫁探しに困っている若い男性の放送はしても、その男性達と同数を占める若い女性の話が全く出てこないことです。
  それは恒常化してきて最近の外国の花嫁報道でも、日本の農村の若い女性がでこずに、ワイドショー的に扱われるだけに終わっています。
 そして昨日書いたような、日米関係の見直しのほか、石油資源の枯渇、途上国並みかそれ以上の大量の国債問題など、何とか対策を打たねばならないことは分かりきっていても、面倒なこと(そして票に繋がらない事)を先のばしにしてしまう政治家たち。
  今度の著者の提案について言えば、戦後以来の割合に少ない格差に馴れて来た日本人には、欧米諸国(最近では中国なども)で容認されている社会格差に対して非常な抵抗感があることを考えると、大量の移民の受け入れより先に、少し手遅れから知れませんが、何とかして日本の出生率を上げる対策が欲しいと思うのですが。
  然し折角できた少子化省も大臣に経験の少ない女性、社民党の福島さん、今回の菅内閣での少子化大臣のたらい廻しなど、自民党政権以来少子化に対しては、軽視しているようです。
  私は少子化の問題に就いてもシンクタンクを作り、少子化の傾向が続けばどうなるのか、出生率がどの点で収斂するのかしないで限りなくゼロに近づくのか、、そのときの日本の環境はどうなるのか、著者の言うように大量の労働力が流入したときに、日本の環境はどう変わるのか、変わった時の日本人の反応とその対策などなど、基本的、大局的そして将来を見据えた研究の必要があると思うのですが。

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参照:カテゴリー→「少子高齢化」および「その場凌ぎの政治」


定年後の2~30年間をどう送りますか?(戦前派からの申し送り)

2010-04-18 17:52:17 | 少子高齢化

 昨日の「高齢者が考えた高齢化対策」で私の小さい経験と設備と人体の健康管理に就いての知識から得た、下記の様な提案をし、主として国と企業から見た問題点とメリットに就いて書きました。
私の提案と問題点(昨日読まれた方は青字の部分を読みとばして下さい。)
・定期的な健康診断が欠かせないこと
 健康に自身のある人達は受けないことが多い。
・検診や日常生活で身体に不具合が起こったら直ぐ医者に掛かること
 仕事の忙しさにかまけて、もう一つはそれが大きな病気の前兆であることを恐れてつい敬遠してしまう。
・その不具合も特に異常と思ったら、地域で名医と言われる専門医に見て貰うこと
 忙しさにかまけて、つい近くの一般医にで済ませてしまう。
 それが大きな病気の前兆であること気付かない。
・そのために病気の関する情報には何時もアンテナを張っておくこと
 毎日の残業などで新聞特にテレビなど見る暇が無い。
・喫煙や過度の飲酒など明らかに健康に悪いことはやめること
 飲酒など仕事上または所属場所のコミュニケーションを図る上でかかせない。
 喫煙や飲酒は自己責任で他から言われる筋合いではない。
・中高年になれば特に上記のことを厳守すること
 中高年の人達は多数の人達が責任のある仕事に就いていて、前記のことより仕事を優先にしがちだ。
 私の提案には大きな(恐らく最大の)問題点があります。
 それは本人の意識の問題です。
 私は少子化の問題に就いて書いたこともありますが、少子化の基本的の問題は経済問題を除いて一番障害になるのは当事者の今の若い人達の「子育てよりも自分の生活優先」、「子育てより自分達の生活を楽しみたい」と言う考え方です。
 参照: [静かな有事] 少子化…崩れる社会
の注記
 戦前、戦中では政府が「産めよ殖やせよ」と号令をかけましたが、今でできることは、産婦人科、保育設備の充実、男性の育児参加など環境の整備をするだけで、肝心の本人の意識改革など出来ないので、少子化は進んで行くばかりです。
 私の提言も分かりきったことばかりですが、(少子化問題よりは難しくはないと思いますが)、やはり当事者の意識が変わらねばどうにもなりません。
 私の健康は主として趣味の山登りのお蔭と思いますが、山に行くために休暇を取る人より、休暇返上で仕事をする人の評価が高くなるのは当然ですし、管理される方も今の競争社会では他人より優れた業績をあげようと思うのは当然です。。
 健康のためにアフターファイブに友達や部下達との付き合いをセーブするより、健康を無視してもそれを優先する人の方が評価されるのも当然です。
 更に問題なのは私は「中高年からの健康管理が重要だ」と言いますが、その頃の人達は仕事でも重要な立場になり、自分の仕事と健康のどちらを優先するかに悩むのは当然で、人によっては、老後には大して自分の力を発揮できなのだから、今仕事に全力を尽くそうと考える人がでるのも当然です。
 詰まり健康管理の問題は人それぞれの人生観、価値観などによって対応が変わってくるのは当然だし、他人がとやかく言うべきではありません。
 唯一つ言いたいのは、昨日も書きましたが、高齢化した団地に住む私の周辺では明らかに、若い頃のの不摂生の影響で、定年直後から70才近くで亡くなった人が余りにも多いことです。
 それでも良いと言うのも人生観かも知れませんが、多くの国に殉じた人達の話しを聞いてきた戦前派の私にとっては、国や企業のために殉じなくても、適当な所で折り合いをつけも良いと思うのですが。

[若い方へ老後の暮らしも考えてみては?]
 私は今まで健康管理のことを中心に書いてきましたが、もう一つの提案があります。
 健康面でも、人生に生き甲斐を持つためにも、(出来れば若いときから)頭と身体を使う趣味を持つことです。
 然し趣味に関する私の提案も最大の問題点は高齢者本人の問題です。
 何故なら人それぞれに価値観や信条があるからです。
 だから私は長い勤務が終わったのだから、もう楽に暮らしたいとか、好きな庭いじりなどして暮らしたいと言う人達を批判する気は全くありません。
 ただ、私が見聞きした経験から言いたいのはこれと言った趣味も、人生の目標もなくただ漫然として暮らしたいと言う人達に、どんな生活が待っているかと言うことです。
 私の住み始めた頃の団地は、退職間際かその直後の50~60代の人が殆どでした。
 だから団地生活が始まったころは、町内会の活動も活発で盆踊りや文化祭、老人会、公民館でのクラブ活動も盛んでしたし、ついでにそれに伴うゴタゴタなど活気がありました。
 然し高齢者の平均年齢が70才を越せば、町内の活動も衰えてきます。
 高齢化の進んだ団地は静かなものです。
 その人達は何をしているのでしょう。
 テレビを見ているか、庭いじりか、散歩か、家事か。
 家事と言っても子どもも孫もいない家庭で家事の量も極端に減ってきます。家の内外の掃除と洗濯と買い物。炊事も億劫になることと経済的にも安上がりになりスーパーやコンビニのパック料理で済ませます。
 中でもある意味で悲惨な人は会社の仕事中心にやってきた男性です。
 女性は自分達は定年がないと言って文句を言いながらも、炊事、洗濯など仕事やお喋りで時間を過ごせます。
 男性の中では料理に目覚めたり、掃除などで家事をしますが、ただでさえ少なくなった家事の全てを女性から奪うわけには行きません。 (と言うのは男性側の言い訳ですが。)
 後出来ることは家の中に籠もって読書かのテレビです。
 有名な脳科学者の茂木さんが言っていましたが、テレビを見ている時の脳の活動は完全に停止しているそうです、そして家で動かないための身体機能の衰え、これと言ってやることもない生き甲斐のない生活、そして私の言う不適切な健康管理。
 そんな生活の全てが老人ホーム入居、介護保険対象者への道を歩いていると思いませんか。
 高齢者やその予備軍の人達も大半は退職後も生き甲斐を持って働きたいと思っていると思いますし、私も経験から働けるだけは働いた方が良いと思います。
 そうでは無い人達も働かなくてもそれなりの生き甲斐を持つためにどうすれば良いか考えて貰ってはどうでしょうか。
 私が属している三つのクラブでも多くの人達がその活動に生き甲斐を感じて生き生きと暮らしている人達が殆どです。
 私も若いころからの趣味のお蔭で、クラシックギターのクラブでは伴奏、英字新聞ではアドバイザー的(と自分で思っている)な役割、川柳では報告をパソコンで清書と会計、山登りでは新人の道案内など、私の性格に合った裏方の仕事でほんの小さな生き甲斐を感じています。
 今の若い方達は厳しい競争社会の中で、健康管理や趣味どころではないと思いますが、一度立ち止まって退職後の長い2~30年をどう暮らして行くかを考えて見られては如何でしょうか。

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高齢者が考えた高齢化対策

2010-04-17 11:36:16 | 少子高齢化

 一昨日のテレ朝の「スーパーモーニング」で900兆に達しようかと言う国債と、破綻しかけたギリシャの財政に就いての放送がありました。
 その開発途上国並みの膨大な国債を産んだ一番大きな理由として、昔は経済成長を前提とした公共投資、現在は高齢者の増加に伴う社会福祉の強化が原因だと言っていました。
 これに対して該当者の一人でである戦前生れの私の話しを聞いて下さい。
 私は子どものころ虚弱で、「化け物屋敷」ならぬ「でき物屋敷」と言われていましたし、余りにも病気をするので母親に背負われて近くのお地蔵さまに願かけに言ったことを母から聞かされた記憶があります。
 そんな私が結果的には、
・定年後も80才までボランティア団体に勤務し、僅かながらも所得税を納め、
・現役中は盲腸の手術以外は健康保険の世話に一度もならず、現在も(月に一度の薬を貰うのに)健康保険税で納めた金額の2割程度の給付しか受けて居ない。
 過去何度か中程度の手術を受け、これからの病気のことを考えても、生涯で考えれば、納付した金額の半分も給付を受けてないことになりそう
・介護保険も残り少ない余命を考えると、保険のお世話になるとしても、ほんの僅かの給付で終わりそう(私は勿論掛け捨てで終わりたいと思っていますが。)
と国の財源不足の解消と、国債増加の主要原因である社会福祉の金額の減少のほんの少しですがお役に立っていると自惚れています。
 そう言う私は、ブログで偉そうなことを書いていますが、現役の間は我が身のことになると何のポリシーもなく、ほぼ健康で過ごされたのは単なる成り行きと少しの幸運であるに過ぎません。
 強いて言えば、私の現役時代の仕事が設備の保全の経験から、設備の健康管理と人体のそれと良く似ていることに気付き、定年後は下記の方針を守ってきたのが良かったような気がします。
 私は若い時から山登りが趣味で休みには天気が良ければ近くの山、年に数回は数日から2週間程度の休暇を取っての山登りをしていました。
 然し、中年になり仕事の責任が重くなって大きな山行きの機会が少なくなり、次第に重い荷物を持つ機会が減ったのが幸いして、登山者に起こりがちな膝や腰の故障を経験しなかったのが、80才を越した今でも低い山ですが、登山を続けられられ、それが今でも健康を保っている理由の一つと思います。
 この小さな経験と設備の保全から得たヒントに基づく健康管理の提案とその問題点です。
[特に中高年になってから健康管理]
・若いころから何か自分に適した運動をすること
 競争社会では運動する暇などない、増してその為に休暇を取る人とそれを返上して働く人達の間に勤務成績に差がつくのは当然だ。
・定期的な健康診断が欠かせないこと
 健康に自信のある人達は受けないことが多い。
・検診や日常生活で身体に不具合が起こったら直ぐ医者に掛かること
 仕事の忙しさにかまけて、もう一つはそれが大きな病気の前兆であることを恐れてつい敬遠してしまう。
・その不具合も特に異常と思ったら、地域で名医と言われる専門医に見て貰うこと
 忙しさにかまけて、つい近くの一般医にで済ませてしまう。
 それが大きな病気の前兆であること気付かない。
・そのために病気の関する情報には何時もアンテナを張っておくこと
 毎日の残業などで新聞特にテレビなど見る暇が無い。
・喫煙や過度の飲酒など明らかに健康に悪いことはやめること
 飲酒など仕事上または所属場所のコミュニケーションを図る上でかかせない。
 喫煙や飲酒は自己責任で他から言われる筋合いではない。
・中高年になれば特に上記のことを厳守すること
 中高年の人達は多数の人達が責任のある仕事に就いていて、前記のことより仕事を優先にしがちだ。 (特に女性の場合は生理上の変化があり身体の異常と混同しやすいので注意)
 然し現実には私の周辺でも、若いころの飲酒が祟って肝臓を痛め癌になり死亡、喫煙をを止めきれずに肺癌、心臓が悪くて医者に止められている喫煙を続け路上で急死、心臓に持病があるのに近くの一般医で済ませていて急死など実際には多くの問題があるようです。 (私事ですが、私自身は定年後上記のように早期受診、名医による手術をでなんとか過ごしていますのに、私の娘は小学校の教頭と言う責任の重さにかまけて大きな病気の対処が遅れ亡くなりました。)
 私の提案は全て判りきったことですが、上記のように提案に付随する(特に本人の意識の問題など)解決困難な問題もあります。
  然し次のようなメリットもありますので何としてでも実行される価値はあると思います。
国からかんがえると、 
・高齢者の健康管理の費用は現状の高齢者のための社会福祉に掛かる費用に比べて遥かに少ない
・健康な高齢者の増加による社会福祉経費の減少分はもっと前向きな少子化対策に廻せる
・労働人口の減少を健康な高齢者で補うことができる
・高齢者の雇用増大→所得税の増大
企業から考えると
・労働者管理のややこしさを除けば、年金受給限度見合いの安い給料で技術経験豊富で、勤勉な、愛社精神や定着性のある労働者を雇う事ができる。
 これらのことを考えると、少々の問題点を克服し、少々の経費の負担をしても、国は国民の、企業は従業員の健康管理に力を入れない手はないと思います。
 民主党政権は高齢者の医療や介護に対する給付の増大の道を歩んでいます。
 これが必ずしも悪いとは言えませんが、もっと前向きに高齢者やその予備軍の健康管理や、退職後も生き甲斐を持って暮らせるような施策を取る、そして高齢者のための社会福祉政策軽減で浮いた金を、もっと前向きに少子化問題解決に向けるべきだと思います。

 なお私の提案の大きな問題点の一つには(前にも触れましたが)本人の考え方の問題がありますが、長くなりますので明日再度この続きを取り上げたいと思います。

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[静かな有事] 少子化…崩れる社会

2009-07-02 15:05:28 | 少子高齢化

 産経新聞に【静かな有事】少子化…崩れる社会 と言うショッキングなタイトルの報道を見ました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090630/plc0906302242020-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090701/plc0907012313016-n1.htm
・日本は世界で最も少子高齢化の進んだ国だ。国立社会保障・人口問題研究所が平成18年に公表した最も現実的な見通しでは、総人口は現在の約1億2770万人から、2055年には8993万人へと減る。50年もしないうちに3割もの日本人が日本列島から姿を消す。約100年後の2105年には4459万人にまで落ち込む。このままなら労働力不足で経済は縮小する。年金など社会システムへの影響も避けられない。われわれは「国家存亡の危機」に立たされている
・住民の過半数が65歳以上の自治体は「限界自治体」と呼ばれる。2005年は4カ所(0・2%)だったが、2035年には132カ所(7・3%)に達すると予測される。・人口の減り方はハイスピードだ。2017年以降は毎年50万人以上、30年後の2039年以降は毎年100万人以上減ると予測される。仙台市規模の街が毎年1つ消滅すると考えればよい。戦争でもこんな急激に減ることはないだろう。
・人口の減り具合を年齢別に見ると深刻さが際立つ。社会の支え手の生産年齢人口(15~64歳)は8442万人から4595万人、2263万人と50年ごとに半減していくのだ。
働き手が少なくなれば、あらゆる社会システムに支障が生じるだろう。国内消費は減少の一途をたどり、内需に依存する産業や中小企業等へ深刻な打撃を与える。
若者と高齢者の比率は2005年は「3対1」だが、2055年は「1・2対1」となる。
・税収不足で国や自治体の財政難は深刻化しよう。世代間の支え合いによる年金だけでなく、あらゆる社会システムにひずみが生じるだろう。当然、1人当たりの社会維持コストが膨らむ。若者が将来に希望を見いだせないのも当然だ。
・6月に発表された2008年の合計特殊出生率は1・37となり、過去最低だった2005年の1・26から3年連続で上昇した。反転理由は1つではないが、団塊ジュニア世代が30代後半に差し掛かり“駆け込み出産”したことも主要因だ。「第三次ベビーブームのはずが、少子化の波にのまれ微増に終わった」との指摘もある。
・一方、世界同時不況で若者の雇用が不安定な状況に逆戻りし、「子供を持つ余裕がない」という夫婦も増えている。出産期の女性が急速に減るため、出生率が多少上昇しても出生数は減り続ける。日本は縮小の坂を転げ続けるのか。社人研のデータは、900年後に日本人が消滅する事態をも予測している。
少子高齢化による影響が表れやすい社会保障も、楽観的な見通しのもとで制度設計がされてきた。厚生労働省は5年ごとに公的年金の財政再計算を行い必要に応じて制度を見直してきたが、再計算の前提として使われる数値は総じて甘めだった。
 前提の1つに「2025年時点の出生率」予測がある。1985年の計算では「2.09」で設定された。以後も「2.00」「1.80」「1.61」とされてきた。だが、実際の2008年の出生率は1.37。政府がいかに“非現実的”な予測をしてきたかが分かる。出生率予測は経済成長率など再計算の別条件にも影響する。結果として国民の年金不信を招いている。
7000万人いる年金加入者が、2000万人を割り込むすさまじい状況が待ち受けている
少子化を止めるか、人口減少時代に合った国づくりを急ぐのか。政府が目指す方向性はまだ定まっていない

[私の意見]
<面倒なことを全て先送りする政治家とその足を引っ張るマスコミ>
 最近の脳死移植が良い例ですが、十数年来からの問題が、世界が他国の人の移植を拒否し始めてやっと、衆議院で関連法案を可決したのに、まだ一年間の慎重?審議をしようとしている参議院。
 独立国としては当然の憲法改正、戦後以来の教育方針の見直し、米国依存の安全保障の見直し、自虐史観の見直し(良い所悪い所を公平に見た歴史の編纂)、戦後から変わらない公務員制度改革(最近やっと着手し始めた)などなど。

<当事者の意識の問題>
少子化問題解決で一番難しいのは、当事者である若い人達の意識の問題です。
・彼らは産経が指摘したような厳しい現状にも関わらず、子育てよりも自分の生活優先、自分たちの生活を楽しみたいと思っているようだ。(*注記)
戦後以来の教育の権利重視、義務・責任軽視の考えが浸透しているし、政府としても国民の責任と言うと直ぐに軍国主義と結びつけられて批判される。
 若い人達の日本と言う社会体制の維持に対する責任を問えないので、彼らの意識の変化を待つしかないこと。
(そう言う私でさえ戦時中の産めよ殖やせよのキャッチ・コピーには抵抗がありますが。)
・だから政府のやれることは保育所などの設備の増強とか、産婦人科医の増員とか、子供手当てなどの経済的な支援など環境を改善して、子育てより自分たちの生活を楽しみたいと思っている当事者がなんとかその気になって貰うのを待つしかない
 本来なら政治家が言えない国民の責任については、マスコミが報道するしかないのですが殆どと言うか全く触れられません。

<経済情勢の悪化>
・さらに問題を難しくしているのは、今の経済情勢で子供産み育てる余裕が無いことです
・ その対策として、企業の競争力強化と言う難しい問題を克服してでも、非正規社員でも結婚でき、子供も産めるほどの給与を上げるように政府も企業も頑張って貰うしかないと思いますが、基本的には当事者の考えかたの変化に待つしかないと思います。
・戦前派の私の経験から言えば、親や子供たちの一生を考えれば、貧乏人の子沢山の親や子供のほうが(つま当面の生活が苦しくても数人の子供を育てた方が)甘やかされて育った一人っ子やその親より幸福だと思うのですが、今までの豊かな暮らしで育った若い人達に、今更貧しい暮らしは考えられもしないと思います。
・こんなことを政治家が言えばその人気が落ちるので言えないのは判りますが、マスコミや批評家、作家などがは若い人達へ子供を持つこと意義やその楽しさなどについて何故書かなのでしょうか。

<教育の問題>
 それと経済的な問題に絡んで、少子化の問題なのは親の収入による学歴格差の問題です。
 これは普通に考えれば公立中・高校で私立や塾に行かないでも、能力と意志のある生徒に教師がそれ相当の学力を付けさせること、そしてその様な生徒に国が補助すればほぼ問題が解決するのは判り切ったことですが、問題は教育界にはびこっている悪平等主義過去の日教組と文部省の対立で強化された管理方式の固定化で教師の荷が遥かに増えていていることです。
 然しこれの問題は若い人達の意識の改革などと違って出来ない相談ではないようです。

<政府や政治家の責任>
それで政府や政治家がやらねばならぬことは、
・産経が指摘したように、(どの時点で)少子化を止めるか、人口減少時代に合った国づくりを急ぐのかの方向を定めること。
・少子化を止めるための若い人達(特に非正規社員)の給与の安定化、子供手当て、託児所の増設その他、育児休業など、例え貧乏でも意志と能力のある生徒を伸ばす制度の確立など、今までやって来た環境の整備を進めること。
・親の収入の格差が教育格差に繋がらないように教育制度の見直し。
 私はこれらへの政府や企業の投資は現在では一番前向きの投資と思うのですが。

<マスコミ、批評家、作家など責任>
・その主張する方向は違っても、若い人達やそれそれを取り巻く企業、地域の人達の考え方の啓発をすること、
だと思います。
(産経は少子化について政府の責任を問うだけでなく、もっと政府では出来ない前向きな提案を購読者にすべきだと思うのですが。)

 そのいずれもが言うことは易く、行うのは至難のことですが、これを逃げていては、産経の言う様に悪くすれば日本は先細りになる可能性もあり、良く考えねばならないと思います。
 

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*注記:少し資料が古いですが、13年に世田谷区が行った男女共同参画に関する区民意識・実態調査報告書による少子化の原因(複数回答)です。
・子育てよりも自分の生活優先 男性52% 女性の43%
・子育てより自分達の生活を楽しみたい 男性42.9% 女性 48.6%
・保育施設、育児休暇が整っていない 男性26.5% 女性 18.6%

(現在では経済的な理由が最大を占めているのかも知れません。)


少子化問題と若い人達

2009-06-05 11:49:56 | 少子高齢化

 出生率3年連続の微増の報道について、読売新聞(・印)産経新聞(*印)はその社説で次のように報じています。

明るい点:
・05年に1・26まで落ち込んでいた出生率が1・4近くまで戻した
・*第3子として生まれた赤ちゃんが増加した。2人の子を育てつつ、「もう1人」との望みをかなえる親が増えている
*晩婚・晩産化で30代の出産が増え続けた
*昨年半ばまで景気の回復局面が続き、子供を持つゆとりのある人が多かった
*政府の少子化対策が効果をみせてきた

問題点:
<状況の問題点>

・*1・3%台という出生率の水準が極めて低いことに変わりはない
・*昨年の出生数の増加も、うるう年で1日多かったことが要因
・*国立社会保障・人口問題研究所は、これから半世紀の間、出生率はほとんど1・2台で推移し、総人口は減り続けるとの見通しを示している
・第1子、第2子は前年より減った。その原因は若い親にあたる世代の減少、結婚へのためらい、子どもは1人が精いっぱいだったりする社会的、経済的状況
*晩婚・晩産化の流れも続く
・*昨年後半からの急激な経済情勢の悪化は、今後の出生率の回復に、大きな足かせとなる
*少子化に歯止めがかからなければ、
  社会の活力が失われる
 日本経済に大きな影響が生じる
 世代間の支え合いを基礎とする社会保障制度も立ちゆかなくなる

<対策の問題点>
*雇用情勢が回復しなければ出産を控える動きが再び強まる可能性もある
・少子化対策の予算は乏しく、経済協力開発機構の加盟国は平均してGDPの2%を子育て支援や家族関連に支出しているのに、日本は0・8%にとどまる
*行政の体制も現状は機能的ではない
*内閣府に少子化相が置かれてはいるが、独自の予算やスタッフは少なく、厚生労働省はじめ多くの関連官庁の調整役にとどまっているのが実態だ

対策:
・施策の効果が表れ始めたところは一段と後押しし、効果の見えないところは新たな手を大胆に講じていくこと
・政府は、子育て支援を充実するには2兆円強の財源が必要だとしている。これは1%の消費税で確保できる。少子化対策からも社会保障税の実現が急務である。
*若者の雇用改善
*国民がどのようなサポートを期待に応えるよう政策の見直し
・*(対策として明記していないが)上記の対策の問題点で指摘された、少子化対策のための予算の増額、行政改革

 読売・産経の社説を並べて見ると、情勢分析や問題点の分析が詳細にされているのに、対策の記述が少ないのに気がつきます。
 そしてその記述の内容だけではとても少子化傾向は留まりそうにありません。
 その理由は戦時中の「産めよ殖やせよ」政策の反省から、肝心の若い人達の意識の問題に触れられないからです。 
 つまり今の時代では「子育てよりも自分の生活優先」,「子育てより自分達の生活を楽しみたい」と考える若い人達に、「自分のことを考えるのも良いが、併せて社会のため日本のためと考えてくれ」政府も地方自治体も言えないからです。
参照:少子化対策こそ前向きな投資
の[少子化問題の難しさ]とその注記

 私も、読売や産経の言うように、「少子化対策こそ前向きな投資」を書きましたが、やはり基本的には若い人達の意識を何とか、前向き、自分の将来にまで眼向け、もう少し眼を拡げてもらうしか、基本的な解決にならないと思います。
 私の狭い周辺でも、大病に罹って他人に迷惑を掛けたくないと次第に閉じ籠もり友達と疎遠になる人、発作で倒れたまま翌日やっと発見された人、病院で死んだが(同じ理由で友達に黙って入院したため)子供と連絡が取れずに数日放置されたままの人(もし「子供が居なくても友達がいるから良い」と思っておられる若い人がおられましたらこの現実を見て下さい。)
 その他にも、親の介護を嫁から拒否されて還暦を過ぎて離婚した人達など、核家族化と少子化の影の部分を多く見て来ました。
 私は今の時代ですから、社会や国のためより自分優先の考えを持つのは仕方がないと思います。
 然し自分のためと考えても、少子化の将来は年寄りの私が見聞きしたように、今の若い人達の本人にも降りかかってくる問題であるのは間違いないと思います。
 然も少子高齢化の進行で今まで以上に厳しさで。

 然し幸いなことには、若い人達の一部かも知れませんが、 (自分のことだけでなく)地域や環境問題に関心を持ち始めた人が増えているそうで、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が始まり、それに便乗したコミュニティ・ビジネスまたはソーシャル・ビジネスまで開発されているそうです。
 私は意識の高い若い人達が、産経の社説のように、 (遠い日の我が身のためにも)社会の活力を回復し、世代間の支え合いを基礎とする社会保障を確立するために、是非、少子高齢化の問題にも大きな関心を持って貰いたいと思っています。

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高齢者の社会貢献と若い人達へ

2009-06-03 12:38:01 | 少子高齢化

 今朝のテレ朝の「スーパーモーニング」で「みなと・しごと55の紹介をしていました。
 そのセンターは港区、東京都、東京しごと財団、ハローワークの支援・連携による2月2日にの方を対象とした無料職業紹介所だそうです。
 対象も55歳以上なら、同センターを運営するNPO団体のスタッフも60歳以上の人ばかりだそうです。
 スタッフの人達も同所に入るまでは、定年後または早期退職後の再就職に苦労した人達ばかりで、来所者の相談にも親身になって聴いてくれ、就職先の面接に付き添い、就職後のアフターケアで就職先に訪れる人まであるそうです。
 そのようなセンターですから、今の難しい時期でしかも高齢者ですから、就職でき無かった人達もいますが、皆同センターに好印象を持っているそうで、離職者や就職希望者のケアの役目まで果たしているそうです。

[私の意見]
*テレ朝も時には良い仕事をする

 テレ朝の「スーパーモーニング」は報道が偏向しているとか、暗い話題をしつこく繰り返し報道し過ぎるなど、ネット上では批判も多いようです。
 私も同意見ですが、この種の前向きの話題の報道には賛成ですし、これからもこの種の報道をもっと増やして貰いたいと思います。

*国・企業からみた高齢者の働くメリット
 最近の若い人達の就職さえ厳しい時期に、今更、高齢者の就職斡旋などと言う意見もあると思いますが、今は未曽有の氷河期で、いずれは大きくかゆるやかにかは別として、日本の景気が回復するのは間違いなく、労働者不足に悩まされる時期が来るのは間違いないと思います。
 そして企業が直面するのは、中国の台頭と発展の傾向が続く限り、低賃金で何時でも整理出来る非正規社員の採用→社会格差の問題が再び持ち上がることです。
 その時こそ企業側の立場から言えば、小遣い銭程度での給料ですむ年金を受給している高齢者(ある程度以上の給与を受けると年金の支給額が減る)の採用は企業の社会的責任を果たし、且つ経費の削減に繋がる一つの方策となると思います。
 しかも高齢者の採用は、今の高齢者は昔と違って元気と言うほかに、平均して辛抱強い、前歴から得たノウハウを持っているなど大きなメリットがあります。 (特にライバル会社の退職者の採用は特にそうだと思います。)
 勿論高齢者採用のデメリットは人事管理の問題、高齢者の健康問題など多くあると思いますが、解決できない問題ではないと思います。
 国の立場から言えば、高齢者就職による所得税、健康保険の収入の増加、年金支給額の減額、働く高齢者の健康改善→健康保険支出の減小に繋がるもので、国の高齢者の就職支援に要する経費を充分以上回収できると思います。

*高齢者側から見た働くメリット
・年金に加えて少なくとも小遣い銭程度かそれ以上の収入が増える
・会社勤めで規則的な生活をすることで健康維持改善ができる
・自分が何らかのお役に立つこから生き甲斐を感じられる
・退職後の家庭での(人によっては厳しい)単調な生活から逃れられる

*高齢者も何らかの形で社会貢献へ
 私はマスコミなどが年金や後期高齢者保険制度などで、戦後の復興を支えてきた高齢者を国が苛めていると良く批判しますが、当事者の私かすれば、それはごく一面を突いただけの話で、今の多くの(少なくとも会社勤め)高齢者は、今の多くの若い人達に比べて幸福だった一面もあると思います。
 それは貧乏だった時代も有りましたが、経済の成長期で自分の能力に応じて思う存分の仕事が出来たこと、経済の成長や終身雇用制に守られて将来の不安を感じる人は殆どいなかったこと、そして今は贅沢は出来ないが何とか暮らして行ける年金を貰っていることなどなど。
 勿論、人の考えはそれぞれですが、私は高齢者は満期でそのまま家庭に引っ込まずに、社会への恩返しのつもりで、次に書くような何らかの形で社会のために貢献することを考えては如何でしょうか。
・体力の続く限り働く(私の80歳まで働いた経験からのお勧めです。)
・働かなくても、または働けなくなっても何らかの形で社会に貢献する
 趣味のグループの主催や手伝い、コミュニティーの活動への参加など
・健康に気をつけて医療費の削減に協力する
 運動をしたり、定期健康診断を受け、悪い所があればひどくなる前にすぐ直す
・医療費の削減のため不要な人口的な延命治療は遠慮する
・出来ればコロリと死ぬ(ように健康に気をつける)
 
*若い方たちへ
 高齢化が進んでいるいま、定年退職してもまだ20~30年近くの余生が待っています。
 今の厳しい時代ですから、毎日の仕事や生活でその余裕はないかも知りませんが、 特に40代から)少しづつでもその準備をして置いては如何でしょうか。
・退職後も働くつもりで準備する→現在と違う分野に進むときはそれに関しての勉強をしておく
・健康管理に気をつける(老齢期の健康は40~50代の健康管理に大きな影響がある)→煙草を止める。飲食は意識してほどほどにする。
・働けなくなっても何らかの形で社会に貢献できるよう準備しておく→在職中から趣味を持つ、地域のコミュニティーに出来る範囲で手伝うなど

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参照:高齢化問題(年寄りが考えた)
        
少子化と個人の責任 [高齢者と40~50代の人達への提言]


少子化対策こそ前向きな投資

2009-05-29 15:50:36 | 少子高齢化

[少子化は既定事実か]
 昨夜のテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」で日本経団連の定時総会に出席した会社の社長、会長に輸出や生産に下げ止まりの動きが出てきた日本経済の今後の動きについての質問をしていました。
 今後の方向としてはゆるやかなU字型の回復、内需の拡大は少子化などの影響もあり、大きな期待は望めないので、やはり外需に頼らざるを得ないこと、それで日本経済の回復の鍵は日本の技術力、政府に希望することは思い切った景気回復策と言うのが、アンケートの大勢のようでした。

 このような意見は私のような経済の素人でも良く判りますし、私自身も似た様な素人考えをブログに書いて来またこともあります。
 ただ一つ心に引っ掛かるのは少子化を完全な既定の事実のように経済界の重鎮の人達が言っていることです。

[少子化と日本の競争力の強化]
 少子化の問題点は幾つか有りますが、アンケートの中の「日本経済の回復の鍵は日本の技術力」の問題について考えてみました。
 たまたま今日の読売の社説の教育再生懇 所得格差を埋める教育投資を
の中でも、
 高等教育への公的支出を充実させ、意欲や能力のある者が進学したり研究に専念したりできる環境を整える。それは、資源の乏しい日本が、技術立国として存在感を発揮していくうえで不可欠な人材の育成にもつながるはずだ。
書いてありました。
 この中で「不可欠な人材の育成」と有りますが、少子化のために日本経済の回復の為には、その育成すべき人材の数が少子化のために減っては日本全体としての技術力は落ちるばかり、経済界の話をその儘とれば、日本の経済はお先真っ暗ということになります。

[少子化問題の難しさ]
 少子化問題解決のための対策は後記のように誰でも考えつくですし、政府もそれなりの手を打っています。
 然し少子化には大きな壁があります。
 それは、
・「育児より自分たちの生活を優先」の考え方若い人達が多いこと(*注記
・戦時中の「産めよ殖やせよ」への反省から結婚への政府介入には否定的な声が大きいこと
 そのために少子化社会対策基本法の審議では、「女性の自己決定権の考えに逆行する」との批判を受け、前文に「結婚や出産は個人の決定に基づく」の一文が盛り込まれたそうです。 (Wikipdia
より)
 つまり少子化対策で政府に出来ることは、出産、育児の環境を良くするだけに留まっているのに、当事者たちは「自分たちの生活優先」と考えていることです。
 つまり行政側の考えと若い人達の考えは明らかに食い違っているのですが、戦前派の私でさえ、政府が若い人達に早く結婚や出産を奨励するなど抵抗があります。
 それで政府に出来ることは、出産、育児の環境整備だけ、後は若い人達の意識や価値観が変わってくるのを待つしかありません。

[もし少子化問題が解決したら]
 逆に、もし少子化が何らかの形で改善されれば、前に書いた日本の競争力確保のための質と量の確保のため以外にも、次のようなメリットがあると思います。
・年金や高齢者のため福祉制度の安定化
 支えられる人と支える人のバランスが取れる
・経済活動に必要な労働力供給の安定化
 外国人労働者の導入は西欧諸国のようにトラブルの原因となる、また階級社会が出来やすくなるが、それ日本人の心情に合わない。
・内需の拡大
 人口が増える分だけ需要が拡大、特に結婚する人達が増えると当然にカップルの住む為の住宅、それに備える家財道具の需要が出てくる
・止まらない少子化に対する閉塞感がなくなる
・日本の社会全体の活気づき明るさが増してくる。
 私のいる団地でも高齢化(約半数が高齢者の家庭)に伴う沈滞感→高齢者の死亡やホームへの入居という淋しさ→若い人達の入居の増加→子供たちの増加
 と次第に団地全体が活気づき随分明るくなり始めました。

[少子化対策のための前向きの投資を]
 少子化問題は幾ら難しくても、日本の競争力強化のためにも、日本の社会の健全化を保つためにも、あたかも既成事実かのように放って置けないと思います。
 最初の経済界り重鎮たちの言葉を借りれば、「政府の思い切った景気回復策」の対策の一つとして、少子化の解消に向けた思い切った投資を考えてはどうでしょうか。
 産科医の増員、託児所や小学生のための学童クラブや児童館などの増設、育児休業制度の整備、出産や育児のための負担軽減、低所得者の減少、非正規社員の正規社員化による安心できる環境の整備などなど、やれること、やらねばならぬことはいくらもあるようです。
 これらのへの投資こそ、少子化解消のメリットにも書いたように、明るい日本に向けた前向きの投資だと思います。
 日本は民主主義の国ですから、政府は先ず日本の将来の人口の構成のあり方を考え、その方向に向かうように、出産、育児の環境の改善のための前向きの積極投資をして、若い人達の意識の変化を待つと言う回りくどい道を選ぶしかないような気がします。
 然し、それしか日本社会の活性化の道はないような気がします。

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*注記:少し資料が古いですが、13年に世田谷区が行った男女共同参画に関する区民意識・実態調査報告書による少子化の原因(複数回答)です。
・子育てよりも自分の生活優先 男性52% 女性の43%
・子育てより自分達の生活を楽しみたい 男性42.9% 女性 48.6%
・保育施設、育児休暇が整っていない 男性26.5% 女性 18.6%

 

 


定年後どう過ごしますか

2009-05-16 15:32:04 | 少子高齢化

[アルコール依存症の怖さ]
 昨夜のNHKの地域の特別番組で団塊の世代の退職者の増加で、アルコール依存症に罹っている人が急増していることが報道されていました。
 その典型的な例として、猛烈な会社人間の人が、退職後悠々自適の生活を送る積もりでしたが、事実は、
 しばらくして身の置き所に困るようになる→何の生き甲斐もなく一日ぼんやり外を眺めている自分に耐えられなくなる→その苦痛から逃れるために酒に手を出す→これを止めようとする妻に暴力を振るうようになる→家庭崩壊の危機に陥る
といった姿が描かれていました。
 そのようにアルコール依存症になり、家庭崩壊寸前まで行った、一番大きな原因は、人のお役に立てない自分が、何故この世にいるのかと言う存在感への呵責から酒に逃げることだそうです。
 詰まり日本人の大多数の人がそうであるように、真面目人ほど罹り安い厄介な病気だそうです。(*注1)

[私の意見]
・生き甲斐のある老後の生活のあり方
 退職後の20~30年の余生を、悠々自適して平和に過ごせるのは理想ですが、私の周辺の同世代から70歳近くの人達を見ると次のような問題点もあるようです。
 NHKが指摘したような問題を避けるためには、
・男性の場合、一番手近な解決策は家事の手伝いですが、それにも限度があり、そうかと言って、奥さんに遠慮しすぎると (今は死語になりかけていますが) 、粗大ゴミとか濡れ落ち葉と言われるなど家庭内の居場所が無くなる傾向が有りました。
・次に手近な暇つぶしはテレビを見ることですが、茂木健一郎さんの解説によると、テレビを見ている時の脳は全く活動していないそうで、認知症発生に繋がる恐れがあるそうです。
・そうかと言って何か趣味など初めても、自分の性に合わぬとか、グループ内の人間関係で長続きしなことも多い様です。

 逆にうまく老後の生活を上手く解決した例としては
・一つの趣味の世界にのめり込んでいる人達
・女性の場合は子育ての終わって空いた家事の合間に多くの趣味のグループに入り、新しい友達を開拓している人達
・各種の趣味のグループで、何らかの役についたり、ボランティアの社会活動で人の役に立つことを生き甲斐にしている人
もいます。
 全般的に見て、やはり男性の方が何をやっても永続きせずに身を身を持て余している人が多いようです。

・私の場合
 そう言う私は、人の先頭に立つことが苦手なので、趣味の川柳では機関紙へ投稿する原稿のパソコンでの清書やグループの会計をしたり、クラシック・ギターでは専ら伴奏役に廻ったり、英字新聞の輪読会ではアドバイザー的な役割 (と自分で勝手に思っている) をするなど専ら裏方の役ですが、何とか人のお役に立っていることに、生き甲斐までとは行きませんが小さな自己満足を感じています。
 そしてその裏方の役割を果たすことに対する自分勝手に感じる責任感から、時にサボリたいのを我慢して出席することで、気がつけばどのクラブにも約15~25年も続いて参加しています。
 
(ただ残念なのは、これ程長くやっていてもどの趣味にも殆ど進歩が見えないことです。)

・老後の生活設計
 この様に、 (自分勝手に感じている)小さな貢献が出来ているのは、若いころの約20年近い電車通勤の間に英語のミステリー小説を読んで得た英語の読解力 (会話はさっぱりですが)と、仕事の関係で何度かブランクがありますが何とか続けてきたクラシック・ギターの独学と、退職後直ぐに (行きがかり上で) 始めた川柳のお蔭です。

 私の場合は若い時の「古き良き時代」にやってきたことが偶然に退職後に役立っただけの話ですが、私の小さい経験から、今のような厳しい時代ですから、なおのこと意識的かつ計画的に老後の設計をして置いてはどうでしょうか。
・現役の方達へ
 仕事も大変でしょうが、何とかして仕事以外の趣味を始めること
 定年後は仕事がなくなれば、後には生き甲斐とするものが何も無くなるのですから。
 現役時代から継続して始めた趣味では、退職後は私と違って指導者クラスになれる位の力となり、社会に貢献できと思います。

退職直後や間近の人達で何をして良いか判らない方達へ
・積極的にコミュニティー活動に参加すること
 町内会などコミュニティーや趣味のクラブでは、まだ案外にパソコンが出来ない人が多いこと、会計などの事務処理など企業では常識的なことが、原始的なやり方で行われていることが多いので、何も出来ないなど言わずに、積極的に参加されていどうでしょうか。 きっと皆から喜ばれると思います。(*注2)
・自分に適した趣味を早く見つけて、それを継続すること
 勿論最初は指導者や先輩のお世話になるでしょうが、退職後20~30年のスパンで考えると10~15年頃からは、優秀な人は指導者、普通の人でも初心者の入門指導くらいはできるようになる筈です。

 勿論、人それぞれの考えもあるのは当然ですが、NHKに出た人たちのように漠然と悠々自適など思わずに、自分自身の考え方なりの老後の生活設計をされてはどうでしょうか。
 NHKが指摘したように、生き甲斐をもって過ごすべき人生後半の約25年近くを、無為に過ごすどころか、アルコール依存症などで悩まされるなど余りにも可哀相だと思います。

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*注1:アルコール依存症
 アルコール依存症は何方も知っておられると思いますが、Wikipedia
によるとその特徴として、進行性(自分が気がつかぬ内に病状が悪化)で、回復困難な慢性で(番組では糖尿病に例えていました)、人格変化を引き起こす、不治の、死に至る疾患であり、機能不全家族の形成要因となっていることを挙げていました。

*注2:趣味のグループの運営の合理化
 川柳の大会では、普通約320の入選句が発表され、入選、佳作、特選句、最優秀句(クラブにより呼び名は違いますが)に就いて出席者が各句に得点を集計し、事務局に提出、事務局がその確認と全体の順番を決めて優秀者を決めて表彰しています。
  その間の15~20分の間に、表彰される見込みのない人達は勝手に退席し、表彰式は会場は殆ど半数の人しかいない中で行われて、出席者のモラルが問題になっているのが現状です。
 然し私の属するグループの上位機関は、「エキセル」のソフトを使って、入選句の発表毎にパソコンに入力し、全体の発表が終わるとわずか5分程度で総合順位を決めて、皆が帰る前に表彰式を行っています。
 表計算をやった人なら、この様なことは常識ですが、中高年者が率いる殆どの川柳、俳句、短歌などのグループで依然として昔ながらの手による計算をしているところが多い様です。

 


戦前の子供の四季

2009-01-02 15:20:09 | 少子高齢化

 明けましておめでとうございます。
 今年も昨年同様のご指導とご支援をお願いいたします。
 新年早々ですので何か明るい話題はないかと考えましたが、特に思いつきませんので、表題のように私が過ごした戦前の子供の生活について書いて見たいと思います。
 何も参考にもならないと思いますがよろしかったら読んでみて下さい。

 場所は北九州市の一部となっている旧八幡市、戦災と戦後の開発から逃れて、今でも残っていますが表通りから引っ込んだ路地裏状態の小さなコミュニティー。
 時は、国道では市内電車とバス、馬車と牛車が走り、市道、県道では馬車と牛車だけ、子供たちが走り回って遊んでも安全てずが、唯一の危険は馬や牛の糞を踏みそうこと。
 それらの処理は一体どうしていたのでしょう。
 電機製品は電球のほかは何も無し、掃除、洗濯、料理と母親の苦労は大変なものでした。
 ラジオは物好きの人が鉱石ラジオを作る程度、子供にとってはそれに変わる楽しみと言えば本を読む事くらい。
 でも今になって見ると子供時代からの読書の習慣の大切さに気づきます。

 遊びの中心は勉強など全く無縁の小学生以下で、今で言う(余り競争の厳しくない)高校生や中学生が時々遊びに加わり、自然と遊びの伝承が出来ていたようです。

雪遊び:当時は北九州でも良く雪が降りました。遊びは今と同じ雪だるま、雪合戦など、それ雪を踏み固めてのスケート遊び、と言っても勢いを付けて雪の上を滑るだけ。

子供の節句:どこも貧乏で雛飾りも鯉のぼりも殆ど見かけませんでしたが、家では雛まつりでは甘酒、端午の節句には柏餅や粽(ちまき)が作られ、菖蒲の束を屋根を置き、風呂(私の家は勿論銭湯ですが)には菖蒲を入れれるのが習慣で、どちらかと言えば男の子の祭に重点が置かれたようです。

新入生の歓迎遠足:学校では恒例の様に、今の新日鉄の中核工場のある、当時は白砂青松の中原(なかばる)の海岸へ遠足に行きました。
 交通不便のお蔭で当時の子供たちも良く歩いたものです。
 子供たちは親から作って貰ったお握りを風呂敷で包んで、時代劇で見る侍のように斜めに背負って行きました。
 貧乏な私の家ではその時のおやつ代として5銭貰うのが決まりで、私は4銭で明治と森永キャラメルのハーフサイズを各1個と、残りの1銭で飴玉を買うのが楽しみでした。

螢狩り:当時はどこの川でも蛍が見られました。
  子供たちは蚊帳の中に放された蛍を見ながら寝ました。
 私たちも年上の人から習って藁細工の蛍籠を作ったものですが、草履、独楽の紐作りなどと同じようにもう忘れてしまいました。
  考えて見ますと昔の子供遊びの伝承の大半は私たちの世代から消えてしまったようで残念です。

夏休み:勉強は宿題をするだけの子供たちは、毎日歩いて3~40分の所にある、灌漑用にせき止めた川の深みへ泳ぎに行きました。
時には大きい子に連れられて、お握り持参で2時間以上もかけて海岸へ海水浴に行きました。

七夕:子供たちは各戸で買った笹竹に総動員で飾りを競い合いました。
 それが終わると小さい子も年上の子から教えて貰いながら、七夕の笹竹を使って竹馬を作りました。
 その残りの部分は竹トンボや凧作りの「ひご」になりました。

起業祭:新日鉄の前身の八幡製鉄の運転開始記念日で、旧八幡市では最大のイベントで、親戚が皆寄り集まります。
 市から配られた万国旗を各戸の軒下に張り回され、町の目抜き通りは万国旗の旗の波で埋めつくされます。
 学校も午前中で終わり子供たちは親に連れられて、中央会場の見せ物小屋や露天商を見に行きます。
 祭が終わると子供たちはその万国旗の旗を除けて、その紐(紡績糸と呼んでいました)を凧上げ用に取って置いた物です。

正月:朝起きると枕元に新しい下駄が置いてありました。時にはそれが着物や洋服になることもありました。
 どの家も他の祝祭日と同様に日の丸。
 学校では皆が低頭する中を白手袋の校長が恭しく教育勅語を読み、全員で「年の始めの例(ためし)とて
を歌うと子供ながらも何だか正月気分になったものです。
 当時はまだ各戸に年始廻りのため名詞受けが置いてあり、子供たちは自分の名を書いた玩具の名刺を入れて廻るのを楽しみにしていました。
 家では双六やカルタ取りや百人一首。入学前の子供たちもそれで自然に覚えた仮名を知っているのを大人から褒められるのに調子に乗って取札の数を競ったものです。
 外では子供たちは一張羅の着物や服を着て、七夕の笹竹から作った竹馬で遊んだり、その竹から取った「ひご」を使って作った凧を、起業祭の時の糸で揚げてその高さを競ったものです。

 今から考える子供の遊びも単純なものばかりですが、少し考えさせられることもいろいろあるようです。

 どうも他愛のないエントリーで済みませんでした。
 どうかこれにもこりずに明日からも宜しくお願いいたします。

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高齢者の犯罪の激増

2008-11-16 12:12:00 | 少子高齢化

  朝日新聞が今年の犯罪白書に関して社説高齢者の犯罪―孤立させない手助けをを発表している。
[高齢者犯罪増加の原因](以下青字:引用文、黒字:私の考え)
・経済問題
 お金と住む家に事欠いて、盗みに走る高齢者がいる。
 お年寄りは、働きたくてもなかなか雇ってもらえず、アパートも借りにくい。

 核家族化など社会情勢の変化と年金制度の充実に伴い、子供が老後の親と共に住んだり、仕送りで親の生活の援助をすると言う考えが希薄になるか、またはなくなった。
 私の住む団地の人達の殆ど大部分はもと大企業の従業員で、今問題になっているが年金で贅沢は出来ないが、それなりの生活を送っている。
 然し中にはもと中小企業の従業員だった人は少ない年金の足しに、パートで働く人、自営業で働いていたが立ち行かなくなり、タクシーの運転手として働いている初老の人もいる。
 これは特別の事情のある人たちを除いて、一般的に言えば中小企業の中では厚生年金制度が完全に護られてないこと、自営業の人達の老後に対しては国民年金を設けたが(厚生年金は会社が半分負担する)などその運用は自己責任として放置された結果だ。
 この人達は小泉さんや竹中さんの言う自己責任だと言えばお終いだが、それだけ済まされない大きな問題だ。

 80歳を越した私の経験から言えば、少なくもとも70歳までは充分に働ける体力も気力も持った人達が多くいる。
 そして唯今現在は経済の悪化で情勢が変わっているが、日本は基本的には人材不足で外国人100万人導入を主張する人達もいる。
 仕事の内容で考えれば高齢者でできることはいくらでもある。(リサイクルの為の携帯、テレビ、パソコンなどの解体などは適例だ)
 給与についても本人には年金があるので、最低賃金でもなんとか凌げる。(会社にとってもコスト節減になる)
 問題は企業の考え方一つだと言う事と、それに対する政府の指導だ。
 私は某テレビで「刑務所なら寝床と食事と仕事がある」と言った初老の人の言葉が忘れられない。
 その人は仕事を通じて世の中に役立つことで、自分の生き甲斐を持ちたいのだ。
 企業も政府もこんな気持ちのある人達の希望に応えてやるべきだ。

・社会からの孤立
 罪を重ねた高齢者ほど独り身の割合が高く、親族との音信も途絶えがちだという。  家族や地域とのつながりを失った高齢者は、追いつめられやすい。
 困ったことがあっても、だれにも相談できない。
 刑務所を出て所持金が底をついたとき、「福祉に頼ろうとしても、どこに相談したらいいのかわからない」と盗みをした人。

 少子化が進み家族自体が縮小して子供に見て貰うことが出来なくなった。
 経済発展に伴う地方への働き場所の拡大に伴う核家族化は致し方ないことだが、これに伴って起こる諸問題の対策が放置されてきた。
 日本古来の互いに助け合い、人を思いやる気風の減少と、悪い意味での個人主義の考え方の浸透でコミュニティーが崩壊がかなり進んでいる。
 私の団地の例で言えばそれに加えて、高齢化の進行で病気になる人が増えたが、他人に迷惑をかけたくないとか、多分、中には病気で取り込んでいるときに近所の人の見舞いなどの対応が煩わしいなどの理由で疎遠に成り、遂には近所ともあまり付き合いの無い儘に独りで住んでいる人もかなりいる。
 増して金に困っているなど絶対に他人には知られたくないことだ。

[高齢者犯罪の防止策]
・刑務所と医療・福祉関係者との緊密な連携。
 受刑中から出所後の住まいや生活手段について、もっと手厚く相談に乗らねばならない。福祉担当者も加わって、職探しを手伝い、身よりがない人には老人ホームや更生保護施設を探してほしい。
・地域社会でもできること
 民生委員だけでなく、住民もお年寄りが孤立しないよう目配りする。生活に困っていないか声をかけ、生活保護など福祉への橋渡しをする。
・NPOの力を借りる手もある。

 私の意見は「高齢者犯罪増加の原因」の所で書いたことで明らかだが次のことが考えられる。
・年金や保険制度の整備→その為の必要なら増税をする
・企業の高齢者採用の促進
・家族制度のあり方を改めて見直して見る
・少子化の傾向を天災のように諦めずに具体的対策の積極的な実施
・コミュニティーの再生、特に孤独な老人が他の人達の訪問を避けることのないように民生委員などの独り住まいの老人達の訪問を当然のことのように習慣化する。
  
 朝日の社説は冒頭に
・昨年、交通事故を除く刑法犯罪で検挙された約37万人のうち、65歳以上の人は約4万8600人だった。10年間で4倍近くに跳ね上がった。お年寄りの人口の伸びをはるかに上回っている。
と言っている。
 この意味は高齢化より遥かに早いスピードで、加速度的に世の中の歪みの問題が大きくなっていることを示している。
 世の中の指導者やこれらの問題について早急に対策を講じなければ、朝日の言うように
 犯罪は社会を不安にする。犯罪が増えれば、それだけ多くの被害者が生まれる。受刑者の更生にかけるコストも膨らむ。
 塀の中の高齢化は、本人にとっても社会にとっても不幸なことだ。

と言うことに成りかねない。

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少子化について(専業主婦にもっと光を当てよう)

2008-08-22 10:35:16 | 少子高齢化

[読売の子育て支援の社説の私の意見]
 8月22日の読売新聞で、 「子育て支援 働くママをもっと励まそう」と言う社説
が出ていた。
進行する少子化
 その概要(青字)とそれに関する私の意見(黒字)を聞いて頂きたい。、
・女性が生涯に産む子どもの数の推計値「合計特殊出生率」は、2007年に0・02ポイント伸びて1・34に改善された。だが、頼みの団塊ジュニア世代の女性も30歳代半ばにさしかかっている。
 そしてこのまま進めば、限りなく1.00に近づくそうだ。
・少子化が進む中で、仕事を持つ母親が安心して出産できるよう、子育て支援策を拡充させていくことは急務だ。
・政府は支援強化に乗り出した。保育所の待機児童をゼロにする新作戦や、放課後の児童クラブの拡充など、政策は出そろった。

 私の少子化に関するブログで、世界的に人口爆発を考えて日本も少子化に協力すべきとも取れるコメントを頂いたことがあるが、私は狭い考えかも知れないが、(世界の情勢を参考にした上で)日本は日本のことだけ考えれば良いと言う立場なので、日本の政府の方針に賛成だ。 (*注記)

少子化問題に影響する財政、経済問題
・児童・家族を支援する費用として、昨年度は国全体で4・3兆円が投入されたが、国内総生産(GDP)比で、欧州諸国の2~3%に対し日本は1%に満たない。
 
この原因は政府がさぼっているのでなくて、明らかに800兆を越える債務残高がやりたくても出来ない大きな重荷になっている。
 詰まり少子化対策→財政問題→経済政策→少子化問題と密接に絡んでいるので総合的に検討しなければならない、そしてその為の研究機関が必要だと言うのが私の持論だ。 (*注記)

前向きな少子化対策への投資

・支援を充実させるには、年間2・4兆円の追加が必要だとする試算もある。消費税の約1%に相当する巨費だが、少子化対策のための負担増なら、国民もある程度、納得するのではないか。
 今の政府の政策は原油や食糧価格の高騰への補助などそのば凌ぎの対策に追われているが、このような国民に明るい希望を持たせるような前向きな政策は賛成だ。

企業の競争力強化に資する育児休業制度
・政府は、「仕事と生活の調和」(ワークライフバランス)の推進を子育て支援の重要な柱とし、憲章と行動指針を策定している。
・06年度に出産した女性の育児休業の取得率は89%に達し、目標値の80%を超えた。男性の取得率も2年で3倍に増えたが、まだ1・56%に過ぎない。
・多様な働き方を認めることは、人材確保や生産性向上のための先行投資になる。こうした認識が日本企業にはもっと必要だろう。
 今まで日本の企業は経費削減のために人件費をぎりぎりに絞り、長時間労働で溢れる仕事をこなしてきた。
 このやり方は私の乏しい経験から言えば、昔のようにのんびりした時代から考えると、若いスタッフは遥かに伸びが早いが、ある時点で停滞してしまう。
 つまり仕事を捌くだけに追われて、自分で考え勉強する時間が全く取れないからだ。
 そして日本が得意の自主管理活動→改善運動がついおろそかになってしまい、作る人は作るだけ、考えるのは開発担当や研究所などに完全に特化してしまい、日本企業の競争力低下に繋がりやすい。。
 それで、合理化にも限度があり、ある程度の余裕人員を持つ事のメリットがあるのだ。。
 また育児休暇を取った空いた穴をなんとかして埋めるための対策を考えることが、新たな(無理をしない)合理化の方策を考えついたり、代理の人が新しい仕事を覚えてその人の能力を増すなどの、自主的な改善活動以外にも大きなプラス面もあることを考えて、企業自身がこの制度を前向きに考えて進めるべきだ。

[専業主婦の役割]
専業主婦にもっと光を当てよう
 男女雇用機会均等法の施行などで、キャリアーウーマンに脚光が浴び、読売の社説も働く女性の支援について書かれているが、私は少子化問題については、専業主婦の役割についても忘れてはならないと思う。
 今の労働力不足の時に女性がその才能を活かして働くことにも大きな意義があるが、昼間の子育て他の人に任せきりにせざるを得ない問題もあり、専業主婦として次世代を担う何人かの子供を産みその育児に専心することにも大きな意味があるしそれを評価すべきだと思う。
 私は女性が世の風潮に惑わされずに、それぞれの価値観と、考え方でどちらかを選ぶべきだと思うが、国としては専業主婦にもっと光を当てて、その役割についても公平に評価してやるとともに、そのキャリヤーウーマンに劣らぬ潜在能力の活用も考えるべきだと思う。

専業主婦の社会貢献
 私は日本が今のような一種の危機的状態にあるときは(いやそうでなくても)高齢者も何らかの形で、国や社会に貢献すべきだと思っているが、専業主婦の人達も子育てに余裕の出来た範囲でも同じように貢献してもらったら良いと思う。
 特に子育ては女性の一番得意の分野だ。
・新人ママの育児相談
・子育てグループの運営
・託児所や放課後の児童クラブの運営
・塾にいけない子供たちの指導
などなど私のような老いぼれ爺が思い着かないことも多くあると思う。
 それも出来れば、完全なボランティアから、いくらかでも家計の足しになる程度の、安い手当で働いて貰えばなお有り難いし、財政難の国も地方自治体の大変助かると思うのだが。
 国や地方自治体も専業主婦の子育てに対する評価に止まらず、ような社会活動にたいしても正当な評価(給与も含む)をしてやることが、専業主婦の意欲の向上に繋がる筈だ。

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*注記
   参照:その場凌ぎの政治から抜け出すために(3)
          その場凌ぎの政治から抜け出すために(4)(少子化)


新「前川レポート」と少子高齢化問題

2008-07-03 11:58:34 | 少子高齢化

[前川レポート]
  経済財政諮問会議の専門調査会が策定を進めてきた「21世紀版『前川リポート』(*注1)」の全容が明らかになった。これについては各紙の読み取りかたもまちまちだが、その中でもやや詳しく報道している読売新聞
毎日新聞の報道を纏めてみた。
・年率2%の成長を維持するために女性や高齢者などを積極的に活用
 少子高齢化問題を放置すれば、今後10年間で労働力人口が約400万人減少し、経済成長率は1%程度まで低下すると指摘
 1・3前後で低迷している合計特殊出生率(*注2)を、10年間で1・8程度まで引き上げる数値目標も盛り込んだ。
・日本経済の若返りに向けて、年金など社会保障給付を見直すことで若者の負担を軽減し、将来に希望を持てる社会を実現
 若者の意見を政策に反映させるため、「政府の審議会に若者代表を加える「世代別代表制」のような仕組みの導入

・10年後に目指すべき日本の姿(上記の分を除く)
 非正規雇用と正規雇用の格差の是正
 人材が業種・分野・国境を越えて動ける内外無差別の市場ルール確立
 革新的な企業が、欧米並みの企業開業率(現在約4%)に引き上げ
 道州制の導入などにより、地域が広域的な単位で自立
 環境問題など、世界共通の課題に対して先導的に取り組む
 
 専門調査会は、福田康夫首相が北海道洞爺湖サミットで日本の今後のあるべき姿として国際社会に発信するメッセージに、同リポートを生かしてもらう考えだ。

[私の意見]
実現困難な提案
・内容は経済財政諮問会議の守備範囲をはるかに超えたものだが、これについては報道によれば大田弘子経済財政担当相の判断で敢えて入れたのだそうだ。
 然し提案された個々の問題の一つ一つの解決が難しい上に、今の政治情勢、縦割りの行政の各省とそれにくっついた族議員の政治体制では、大風呂敷を拡げ過ぎたこの報告の通り進む可能性は非常に少ないような気がする。
 それと元祖の「前川レボート」は注記にもあるように、中曽根さんの強いリーダーシップがあってこそ活きてきたのだ。
 もし福田さんが専門調査会の要望のように、北海道洞爺湖サミットで新構想を打ち上げても、前日の消費税引上げ構想は外国特派員向けに言ったのだ、と言うような発言をすれば、新前川レポートの存在価値は一遍で消えて、専門調査会の折角の大構想はごみ箱に直行することにも成りかねない。

 然し、提案の中の、積極的に女性や高齢者の活用、1・3前後で低迷している出生率を、10年間で1・8程度まで引き上げる数値目標の設定は注目に値するものだ。

高齢者の活用
 高齢者の活用も経済の活性化以上に、高齢者からの所得税の収入増、年金収入を考慮した低賃金による企業のコスト減、生き甲斐をもった高齢者の健康増進→医療費削減など大きな効果が期待出来る。
 私の様な年寄りは、身の回りに現役中に酷使され、健康管理など無視された中で、飲み過ぎや喫煙で、満期後早死にした人達を多く見てきた。
 高齢者の活用など、現在のように成果主義でこき使い、満期までに従業員の体力、気力まで使いつくして、社会に放り出すやり方ではことは出来なくなる。
 もし高齢者活用の必要性が、社会全体で認識されれば、企業も成果主義と従業員の健康管理のバランスに気を配らなければならなくなる。
 考えてみればこんなことは「新前川レポート」の有無に関わらず、企業としても当然にやらねばならぬことなのだが。

少子化問題
 今日の読売ではレポート全体として数値目標が設定されていないと批判記事が出ていたが、少子高齢化問題については珍しく?このまま放置すれば、今後10年間で労働力人口が約400万人減少すると指摘し、1・3前後で低迷している出生率を10年間で1・8程度まで引き上げる数値目標が出ている。
 このままではここ10年で出生率が1.0%近くになるそうだが、それを放っている日本政府は何を考えているのだろう。
 少子化問題も、経済問題だけでなく、年金問題、子供社会の喪失→社会訓練の出来ない無い子供の起こす諸問題、労働力不足を補うために中川秀直さんグループが出した10万人の外国人労働者の導入に伴う日本社会の混乱など、多くの深刻な問題を含んでいる。
 多くの人員を抱える企業での専用または共同の保育所、石原都知事が言った各駅ごとの保育所設置などは企業や都府県の全体予算の割合からすれば僅かなコスト負担で出来るし、育児休暇の人員補充の問題もぎりぎりの人員で仕事をする経営のマイナス面(*注3)から考えても検討に値するものだ。
 然しこれはまた言うのはやすく、行うのは難しい問題だ。
 何故なら専業主婦かキャリヤーで生きるか、またその両立、育児より自分の生活優先の若い人達が増えていることなど、出生率増加には当面の関係者の若い人達の基本的の個人の価値観のあり方について誰もどうすることが出来ないからだ。(*注4)

 然しこのような色々の問題を含み、実現困難な問題も多いが、専門調査会の提案は殆どが正論ばかりだ。
 政府、与野党ともこれにまともに取り組んで欲しいし、マスコミも応援して、そのいくらかでも実現させて貰いたいものだ。

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*注1:前川リポート
 1986年、日米摩擦を緩和するため、日本の対米黒字を減らす狙いで中曽根康弘首相の私的諮問機関「国際協調のための経済構造調整研究会」(座長、前川春雄・元日銀総裁)がまとめた報告書。市場開放と内需主導型への転換が柱で、経済政策運営の基本方針となった。
*注2
合計特殊出生率
 1人の女性が一生に産む子供の人数に近い推計値 
*注3:ぎりぎりの人員で仕事をする経営のマイナス面
・今までの日本企業を支えてきた、自主管理活動、改善運動などが出来なくなる。
・病欠、不時の情勢の変化などの人員不足を現有の人達で補うために、深残業の増加→残った人達の病気や心的な症状の発生→企業の評価の低下
・技術やノウハウの伝承等の教育の時間がない。
などなどの多くの問題がある。
*注4
少子化の個人の価値観の問題
 下記の資料参照のこと
 ・少子化と個人の責任 
 ・少子高齢化と年金
 ・医療問題
  末期医療制度  
 ・カテゴリー → 少子高齢化


少子化と個人の責任

2008-06-25 09:19:54 | 少子高齢化

[人的資源と少子化]
 ひと頃、自然資源の乏しい日本が諸外国との競争中で生き抜いて行くには、勤勉で優秀な「人的資源」に頼るしかないと良く言われたが、最近はこのような話はマスコミの報道では殆どない。
 「人的資源」の話は少子化の傾向が益々加速度的にそして確実に進行している今こそ言われるべきなのに何故だろう。
 政治家も識者もマスコミも完全に匙を投げたのかのように、先ず少子化ありきの前提で話をしている様だ。(中川秀直さんの1千万の外国人労働者導入提案がよい例だ)

 このまま少子化が進めば素人考えでは、日本人が絶滅しそうな気がするが、ある所で落ち着くとでも思っているのだろうか。
 そして日本はグローバル化の波の中で、人的資源の活用以外の方法でどうして生き抜いて行くのだろうか。

 それで今日は「人的資源」のキーワードで日本人としての個人の責任について考えて見たい。

[高齢者への提言]
 今、後期高齢者医療制度の問題では高齢者を弱者扱いにされている。
 テレビで言われるように戦後以来頑張ってきた人が安心して暮らせるようにすべきだと言うのも、該当者としての私に取って有り難いことだ。
 然しそれは一昔の話で、今の厳しい財政事情と、少子化の影響が各方面に確実に出てきている現状では、高齢者が退職後のんびり過ごす時代ではない。
 高齢者がのんびりするのは昔の様にのんびりした時代が再現してからの話だ。
それ迄は
・高齢者も働けるだけ働く
 年金を貰っていれば現在の法定の最低賃金以下でも良いから企業のコスト削減になる。
・働けなくなっても何らかの形で社会に貢献する
 趣味のグループの主催や手伝い、コミュニティーの活動への参加など
・健康に気をつけて医療費の削減に協力する
 運動をする。
 定期健康診断を受け、悪い所があればひどくなる前にすぐ直す
・医療費の削減のため不要な人口的な延命治療は遠慮する
・出来ればコロリと死ぬ(ように健康に気をつける)

「現役、特に40~50代の人達への提言]
・退職後も働くつもりで準備する
 もし他分野に進むときはそれに関しての勉強をしておく。
・健康管理に気をつける
 定期健康診断を受け、悪い所があれば直ぐ直す
 老齢期の健康は40~50代の健康管理に大きな影響がある
 若いときに無理した人達が退職後、高血圧、心臓病など成人病で病院にかかったり、肺ガンなどで早死する例が余りにも多い。
 煙草を止める。飲食は意識してほどほどにする。
・働けなくなっても何らかの形で社会に貢献できるよう準備しておく
 在職中から趣味を持つ、地域のコミュニティーに出来る範囲で手伝うとう

[若い人達への提言]
・少子化の日本に与える深刻な影響を考えて自分の生活設計をする。
 育児より自分の生活が優先という世の中の風潮に惑わされない。
 皆がそう思ったら日本はどうなるか考える。
・自分自身の価値観で自分の生活設計をする。
 男女雇用機会均等法に象徴されるように、仕事に就かない女性が劣っていると言わんばかりの風潮に惑わされない。
 次世代の人達を産み育てるのも、若い人達しか出来ない崇高な使命であることを知る。 社会に出て、自分の能力を発揮するのも生き甲斐があり、楽しいと同様に家庭で子育てをするのも生き甲斐も楽しさもあることを知る。
・自分の老後のことを考える
 多くの子供や親戚に囲まれた老後、たった二人だけの老後のどちら選ぶか
 老後の生活に友達を当てにすると言う人もいるが、私たち年寄りは周辺で、大病に罹るとその本人・家族と友達の間で、互いの遠慮から次第に疎遠になって、次第に家族だけになって行く事実を多く見てきた。

[個人の責任について]
・戦後の民主主義の教育で個人の権利や自由については、充分に教えられてきたが、それに伴う義務や責任についてどれだけの教育がされて来たのだろうか。
・一方、政府や政治家もマスコミも個人の権利について言っても、個人の義務や責任については殆ど触れない。
 その理由は戦前、戦時中のトラウマがまだ残っており、義務とか責任と言えば直ぐに軍国主義に結びつけられそうなのを恐れているからだ。
 そう言う私自身でさえ上記のように各世代への「責任」でなくて「提言」の形で書いている。
 つまり各世代の人達が自分で責任を感じてくれという意味だ。

高遠さん等の拉致事件
 唯一つの例外がある。
 イラクで高遠さんなど三人が拉致されたとき、その家族や支援者(後で左翼系の人達だと判った)が、三人が政府からの要請を無視して行動をしために事故に遇ったことを棚に上げて、救出のために自衛隊を撤退させろなど、あたかも政府の責任のように言い出したとき、政府関係者がそれは自己責任だと言い出したときだ。
 この自己責任の発言は早速多くのマスコミに採り上げられて、政府批判の材料にされた。
 一番呆れたのは、宗教学者までがこれを採り上げて政府批判をしているのをテレビで見たときだ。
 それ以後小泉さんの改革でしばしば自己責任の言葉が出たが、これは規制を外した以上の責任は企業や自治体にあると言う意味で、マスコミはその事実に就いては批判はしても、自己責任と言う言葉については殆ど反応しなかった。

秋葉原通り魔事件
 そして秋葉原通り魔事件が起こったとき、ネット上では犯人の自己責任だと言う言葉が多くの書き込みで見られたが、マスコミでは犯人個人の背景を探っても、それは一時的で非正規労働者の置かれている事件の環境などの背景の追求に多くの時間を費やしている。
 これは犯人の同じような環境に置かれている人が見れば事件の正当性を訴えているようなものだ。

 不祥事を起こした企業や政府関係者の個人の義務や責任の問題は追求しても一般個人の責任を追求しないこと、政府や政治家も個人の責任については高遠さん事件以来口にしないことが、どれだけ社会にマイナスの影響を与えているのだろうか。

 いずれにしても、最初に書いたように、
・自然資源が乏しい日本が諸外国との競争中で生き抜いて行くには、勤勉で優秀な「人的資源」に頼るしかないこと、
・少子化の傾向は益々加速度的にそして確実に進行し、いまは殆ど既成事実かしている、
と言う事は間違いの無い事実だ。

 このような日本に取って大きな問題でも、各世代とくに少子化については若い世代の人達が自分で責任を感じて貰うしか解決の道はないのだろうか。

 唯一私が考えつくのは、各マスコミがこぞって大々的に少子化防止に関連した個人の責任のキャンペーンをやること位しか無いのだが。

参照:→カテゴリー → 少子高齢化

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後期高齢者医療制度と民主党

2008-06-05 09:51:53 | 少子高齢化

7割の世帯は後期高齢者医療の保険料の負担減
  厚生労働省は4日、後期高齢者医療制度の対象となる75歳以上の保険料について、旧制度で国民健康保険(国保)に加入していた場合、7割の世帯で負担減になるとの調査結果を発表した。
 4種類の家族構成に、3種類の収入額を組み合わせた12のモデルケースについて、保険料額の増減を全市町村で調査。さらに、所得分布などをもとに、保険料の増減世帯数を推計した。
・全体では69%の世帯で保険料が減少
・年金収入292万円以上で負担が減った世帯の割合は78%
・同177万円未満の所帯は61%
 政府は当初、低所得者ほど保険料が下がると説明していたが、「国保料が安く抑えられていた大都市部で、低所得世帯の減少割合が約2割と低かったため」としている。
 厚労省は、与党の作業チームがまとめた、低所得者への負担軽減策を導入した場合
の試算も公表。全体での減少割合が75%と6ポイント上昇すると推計している。

[私の意見]
 詰まり全体で言えば、100-69=31%の所帯で負担が変わらないか増えたことになる。
 この発表に対して政府、与党批判の態度丸出しのテレビ朝日の「報道ステーション」では古館さんとコメンテーター役の加藤千洋さんが、以前の升添さんの「約70%の人達の保険料が下がるのではないか」の発言に厚生労働省は合わせた数字を発表したもので、その数字は全く信用ならないといつもの調子で攻撃していた。

 私は今まで批判され続けていた厚労省が如何に鈍感でも、今になってでっち上げの資料を発表する訳はないので、細かい点での間違いはあるかも知れないが、大きな点では合っているのではないかと思っている。
 勿論、政府、与党は野党やマスコミの攻撃に対して同制度の改正案を検討しているようだ。

[民主党の対応]
 それに対して高齢者医療制度の廃案を提案している民主党は、読売新聞
によると、4日、小沢代表ら幹部が党本部で協議し、福田首相に対する問責決議案を今月15日の通常国会会期末までに参院に提出する方針を固めた。
 衆院への内閣不信任決議案提出も検討している。後期高齢者医療制度などに対する国民の批判や不満は強いとして、福田内閣に対する対決姿勢を明確にする必要があると判断した
そうだ。

 同日の野党の協議で社民党は民主党案に賛成、共産、国民新党は条件付きで賛成した。
 その後鳩山幹事長は「後期高齢者医療制度」に対してが怒っている後期高齢者や国民を代表してこの決議案を通したいと述べた。
 これに対して町村信孝官房長官は記者会見で「やるならどうぞ」とにやにやしながら言っている。
 勿論政府も与党もこのような決議は無視する構えだ。

[私の意見]
被害者扱いの後期高齢者
  後期高齢者の該当者である私は、後期高齢者を如何にも被害者扱いにする野党やマスコミの発言に対して、大きな違和感をもっている。
 何故なら後期高齢者と言う命名や、問題山積の年金からの保険料天引きという役人の心ないやり方や、医療費を何とかして削減したいと言う厚生労働省の意志が透けて見えるのには抵抗があるが、私自身は被害者とは思わないし、被害者扱いにして貰いたくないと思っているからだ。

 もし厚労省の発表が大まかな点で正しいとすれば、後期高齢者が怒っているのは負担増になる31%の近くの人と、そうではないが私が書いたような厚労省の心ないやり方に怒っている人達で、鳩山さんの言うように、国民や後期高齢者全体が怒っていると言うのは間違いだ

福田さんへの問責決議
 福田さんへの問責決議案もおかしなものだ。
 民主党は野党が提出した後期高齢者医療制度の廃案を衆議院で否決されたら決議案を出すと言っているが、衆議院で野党提案を否決するのは自民党と公明党だ。
 詰まり野党の提出した法案を否決した自民党と公明党の内、自民党の党首の問責決議案を提出しようというのだ。
 これを逆に考えてみると政府、与党提案の法案を民主党主体で否決されたときに、小沢さんの問責決議案を提出するのと全く同じで、これは言論の弾圧と言われても仕方がない。
 野党は実際にはこのような理屈が通る訳はないので、別の理屈をつけるのだろうが、それが世論の支持を受けるか否かは不明と言うより、反発を招くだけのような気がする。
 そして、今まで出ては消えた福田さんや升添さんへの問責決議案と同様に道を辿りそうな気配だ。
 そのような詰まらないことを考える前に次期政権を狙う民主党としては他にやる事があるような気がする。
 その内に与党から低所得者への負担軽減、年金天引きの範囲の縮小、かかりつけ医の問題点など後期高齢者医療制度の不具合点の修正案が出るだろう。
 それを見て後期高齢者や国民の反発も次第に弱まるだろう。
 その事態になったとき民主党はどのような対応をするのだろうか。

民主党に是非やって貰いたいこと
 それより後期高齢者が今一番心配しているのは、重病で大病院に入院した後の病院のたらい廻し→医療、介護付き老人ホームの不足(それと要員の不足)→自宅治療の際の人手不足(核家族化、老老介護、介護要員の不足)の問題だ。

 福田さんは食糧サミットの際の記者会見で、「社会保障費の自然増分を毎年度2200億円圧縮」する政府方針に関しては、「財政規律を守るシンボルだということを重く受け止めなければならない」と述べ、堅持したい意向を示したそうだ。

 民主党は世論やマスコミの意見ににおもねるようなことばかりせずに、崩壊しかかっている医療の建て直し、婦人科・小児科医など医師不足の解消、託児所や老人ホームの施設の増強、自宅介護要員の増強など、「社会保障費の自然増分を毎年度2200億円圧縮する政府方針」が正しいか否か、それに問題があればどうするかなど、もう少し足が地についた建設的な議論を政府、与党として貰いたいものだ。

参照:5.16 高齢者の責任 
    4.17
後期高齢者医療制度の本当の問題点 
    4.14
後期高齢者医療制度について 
       カテゴリー → 少子高齢化

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医療費の対GDP比率の読み方

2008-06-03 11:38:05 | 少子高齢化

[医療費の対GDP比率]
 後期高齢者医療制度が問題の議論の中で日本の医療費支出が他国に比して少ないという理由の中で良く医療費対GDP比率でOECD諸国の中で日本は21番目の低支出だと野党や批評家が政府を攻撃している。
確かに下表で見る通りだ。

OECD諸国の医療費対GDP比率 (2005年)と債務残高の対GDP比率
       医療費 順位  債務残高(1995) 同(2000) 同(2007)
米国     15.3   (1)              70.7           55.2       61.8     
フランス 11.1   (3)              62.6           65.2      74.6
ドイツ    10.7   (4)              55.7           60.4       69.9
カナダ    9.8    (9)            101.6           82.1       66.3
イタリア  8.9   (17)            121.6          121.0     121.0
英国      8.3   (18)             52.4            45.7      49.0
日本      8.0   (21)             87.7           137.1    177.6

  然ししそのデータを持ちして議論する前に考えねばならぬ事がある。

[債務残高の影響]
 それは国の会計予算に占める国債費の影響だ。
 日本の一般会計予算は
平成19年度一般会計予算  82.9兆円
 社会保障費                    21.1兆円 (25.5%)
 国債費                            21  兆円 (25.3%)
 地方交付税交付金等       14.9兆円 (18.0%) 
  公共事業                         6.9兆円 (8.4%)
 文教科学振興                   5.2兆円 (6.4%)
 防衛費                             4.8兆円  (5.8%)
 その他                            8.8兆円 (10.6%) 
で如何に全体予算の中の中で国債費の占める割合が大きいかが判る。

もし日本の債務残高の対GDPの比率をフランスと同じとしたら
 これから先は経済の素人の暴論を承知の大まかな仮定で、もし日本の債務残高の対GDPの比率をフランスと同じとしたら、74.6/177.6=0.42だけ国債費が減ることになる。
 そうすれば国債費は8.8兆円、全体予算は70.7兆円まで減り、社会保障費の全体予算に対する比率は29.8%に上昇する。
 そしてそれがそのまま医療費対GDP比率に反映されるとすれば(これも暴論だが)日本の場合 8.00÷25.3×29.8=9.4 とカナダの下の12位になる。

 勿論これは国債費の負担を減らした分だけ全体予算も減らし、社会保障費を据え置きの前提なので、余裕の出来た分だけ社会保障費を増やせば医療費対GDP比率の順位はもっと上がるはずだ。

 詰まり政府は国債の償還と利払いの費用の強い圧力の中で苦しい予算編成を強いられているのだ。
 だから野党はマスコミは医療費対GDP比率の中に日本の医療費支出をが少ないと攻撃しても悪いとは言えないが、その基本的に原因の膨大な債務残高の問題を何故採り上げないのだろうか。

突出した日本の債務残高
 上記の表が明らかに示しているように、日本の債務残高の対GDP比率は177.6と突出し、イタリヤを除く各国の2~3倍に達している。
 しかも他の国ではその比率のはほぼ均衡状態にあるのに日本の場合はほぼ一直線の上昇を示している。

 つまりこの事実は政府や与党がこの問題に関しては如何に政策を誤っていたか、放置していたか、または如何に無能であったかを示している。

[日本の政治家やマスコミ、批評家へ]
 日本の政治家やマスコミ、批評家の悪いところはれが当面の問題の基本原因であること誰でも知っている事を取り上げないことだ。
 その為に問題の本質を見失って話を混迷にさせることだ。
 そのような議論は最近流行のテレビの政治バラエティー番組なら話が面白可笑しくなって良いが問題に解決には全く繋がらない。

直ぐ既定事実化する大問題
 社会保障の問題では少子高齢化の話は直ぐ出るが、それがもう既定事実かのように、その基本的な問題を如何に解決するかの話は出て来ない。
 膨大なしかも増え続ける赤字もそれだけに付いては議論が出るが、それが他の問題に如何に影響を与えているかは、それが既定事実のようにして触れられない。
 双方とも全く同じ考え方だ。

国民に夢や希望を持たそう
 増え続ける赤字、増大し続ける医療費などの社会保障費や社会格差。
 これで日本人に夢や希望を持てと言うのは無理な話だ。
 今こそ国民のモラルや、やる気が必要なと時と思うが、事態はその反対の方向に動いてい。
 国民の誰もが反対しない国会議員の定数の削減、特別会計の徹底審議、特殊法人のあり方の国会での徹底追求。
 それと平行しての所得税増税の論議。

 これには国民、改革の対象者など多くの人達が我慢しなければならないかもしれない。
 それらの思い切った対策の結果、増大し続ける債務残高の下降の傾向が出始め、医療費の将来の目処が明らかになるなど将来に夢や希望が見える方が、夢や希望のない生活よりはるか幸福だと思うのだが。

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しばらくコメントは事前承認にしておりましたが6月1日から外します。TBとともにどのようなコメントも真面目なものであれば大歓迎致します。但し他の訪問者の感情を害するようなものは管理人の責任で削除させて頂きますのでご了承下さい。