mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

中欧ロマン紀行<ウィーンからプラハ(チェスキー・クルムロフ)>

2018年11月01日 | 旅行記
 今日の記事は、旅行5日目にウイーンからチェコのプラハに向かいましたが、その途中、チェスキー・クルムロフという世界遺産の街を見学したところからです。

 今日は、朝5時30分にモーニングコールがあり、スーツケースの廊下搬出が6時20分、出発が7時25分と強行軍のスケジュールでしたが、小生は毎日、肩の痛み夜2回ぐらい目が覚め、朝もモーニングコールがある前に目が覚めていましたので、苦痛ではありませんでした。

 こうして、予定通りプラハを目指して出発したのですが、プラハまでの距離が長く365キロもあるのです。
 しかも、途中から雪が降り出して、辺り一面真っ白となりました。

 日本と違って、家が一軒もない光景が続きました。
 そして、その途中、世界遺産の美しい街「チェスキー・クルムロフ」によって、世界一美しい!といわれる小さな街を見学したのですが、雪に埋もれていてその美しさが一層際立っていました。

 <雪に埋もれたチェスキー・クルムロフ>

 <はいポーズ!>


 この二つの光景も十分美しいのですが、お城みたいなところから撮影した光景はまさに「メルヘン!」でした。

 <妖精が舞い落ちる街>


 ところで、この街はオーストリアなのか?添乗員さんにでも聞いてみようかな?(聞かなくても自分で「チェコ」だといってたよね。)
 話が変わりますが、帰宅してからかみさんと意見が分かれることがあります。それは、小生はこの街で昼食をしたときにホットワインをいただいたと思っていたのですが、どうやら小生の勘違いでした。

 まぁ、それはそれとして、妖精が舞い降りるような美しい街をできるだけ再現したいものです。

 <チェスキー・クルムロフの光景>

 <同じく>


 ところで、かみさんは、この街の広場でどいつのおばさん?から話しかけられ、チンプン・カンプンのようですが、適当に相づちをうってお相手をしていました。
 言葉尻から日本に行ったことがルような雰囲気でしたが、こういうハプニングは、意外と嬉しいものなんですね。

 ハプニングといえば、小生はイタリアのホテルでコーヒーを飲みながら休憩していましたが、時間を見計らって店を出ようと立ち上がりましたら「どうしてあなたは、夫人にコートを着せてやらないのか?」と詰問されたことを思い出しました。
 また、ハワイでは、歩道を歩いていましたら、反対方向からきた白人の老夫婦に抱きつくように囲まれ、「あなたの母か?」と聞かれたこともあります。年寄りを大切にするとか、親孝行という文化がない夫婦だったのでしょうか?

 <チェスキー・クルムロフのマルクト広場>


 さて、本題に戻っていただいて、上の写真はこの街のマルクト広場のようです。
 冬以外の季節では印象が違うと思いますが、買い求めたパンフレットあった写真はそれを物語るように本当に美しい光景でした。

 いろいろ申し上げましたが、ここチェスキー・クルムロフは、世界遺産に相応しい美しい街でした。この街のことが話題になりますと、二人とももう一度行きたいね!という結論になります。

 さて、ここから最後の訪問地チェコのプラハに向かうのですが、プラハまでは長いバスの旅で、やっとの思いでプラハに到着しました。
 プラハの第一印象は、静かで美しい!という感じでした。
 小生は、バスに揺られながら、「あぁー、ここが良くニュースで聞いたプラハなんだ!」、共産党時代のソ連の侵攻、いわゆる「プラハの春」という事件を思ったりしながら流れる景色に見とれていました。
 バスは地下道のようなところを通ったりしながら、かなりのスピードで走っていましたが、街全体の印象は、静かで美しいのですが、少し暗いという感じでした。

 さて、この日は、2003年の終わりの日でしたが、ディブロマットというアメリカンタイプのホテルに到着して「ほっと」したこともあり、日にちのことはすっかり忘れていました。
 そして、今夜の夕食は?と思いましたら、ホテルのレストランではなく、会議室みたいなところでの食事となりました。
 なんと表現したら良いのか?細長いテーブルに会い向かいなって座り、飲み物を注文すると、その後は一品ずつ料理が出てきました。
 
 その後、ホテルでカウントダウンパーティがあるので参加しないかと誘われましたが、私たちは遠慮するにしました。
 参加した若い女性グループは、大持てでドイツやイタリアのおじさんたちに胴上げのようなことをされたと聞きましたが、陽気な人たちがいるものですね。


 <これで本日の記事は終了です。次回は旅行6日目のプラハ市内観光です。それでは、これにて失礼します。>