mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブール旧市街歴史地区散策(トプカプ宮殿)>

2020年07月17日 | 旅行記
 昨日に引き続きイスタンブール旧市街歴史地区散策からトプカプ宮殿の記事をお伝えします。

<Mugiko>
 トプカプ宮殿は、勉強したところによると、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿で、旧市街に先端部分にあり、三方をボスポラス海峡、マルマラ海、金角湾に囲まれた丘にあるのね。
 また、宮殿の保存状態は良好で、現在は博物館として公開されているけれど、15世紀に建設されて以来、増改築を繰り返しており、現在見られる姿を保ち続けているわけではないっそうね。

 <儀礼の門>


<Mugio>
 などと宮殿の説明をしていますが、昼食をいただいたレストランは、宮殿の奥の第4庭園にあるので、すでに第1庭園から第4庭園までと、これらの庭園の前にある「皇帝の門」や「儀礼の門」、「幸福の門」などを通過していたんだね。
<Mugiko>
 ということは、あなたとしたことが「これらの門をまったく撮影していなかった。」ということね。
 昼食を済ましてからも、単に「うろうろ」しているだけにならないように注意しなければいけないわね。
 これからも、建物などがどんな歴史を持っているかなどの説明があると思うけれど、二人とも、見える光景に圧倒され説明を聞き逃しそうで心配だわ。
<Mugio>
 まあ、お手柔らかにお願いしますよ。写真がないので、ウキペディアを引用して歴史だけでも勉強しておきたいね。

 <ウキペディアの説明>
 メフメト2世が1460年に造営を開始し、1478年頃までに完成した。メフメト2世がここに居を定めてからは、1453年にコンスタンティノープルを征服して以来の宮殿が「旧宮殿」と呼ばれるようになったのに対して「新宮殿(サライ・ジェジードあるいはイェニ・サライ)」と呼ばれ、またイスタンブールで営まれた多くの宮殿のうちの正宮殿として「帝王の宮殿(サライ・ヒュマーユーン)」とも呼ばれた。現在使われているトプカプ宮殿の名は、19世紀にこの宮殿から皇帝が去った後、トプカプ宮殿の丘がある岬の先端にある「大砲の門(トルコ語:トプカプ)」に因んで呼ばれるようになった。宮殿は君主の住居であると同時に、オスマン帝国の行政の中心地として機能した。君主が主催するオスマン帝国の最高意思決定機関である御前会議は、宮殿の・・・・。

<Mugiko>
 まぁ、昼の目覚ましにはよいかも知れないけれど、長い文章ね。
 要約すると、「15世紀にオスマン帝国がコンスタンティノープルを征服し、メフメト2世という皇帝が帝王の宮殿を造営した。そして、宮殿は、君主の住居であるとともに行政の中心地として機能した。トプカプ宮殿という名前は、「大砲の門」を意味するトルコ語に因んでいる。」ということかしら?

 <第3庭園>


 <同じく第3庭園>


<Mugio>
 そういうことだね。ところで、上の写真は第4庭園にあるレストラン「コンヤル」を出て第3庭園(ツーリップ庭園)に入ったところのもので、同じところから撮影したものだネ。
<Mugiko>
 1番からではなく4番から説明いるようだけれど、だ4庭園の写真はないの?
<Mugio>
 第4庭園には、私たちが昼食をいただいたレストランのほか3つのキョシュキュ(あずまや)があるそうだよ。
<Mugiko>
 そうすると、多くの見どころがあるのは、第3庭園にあるということかしら?
<Mugio>
 第2庭園と第3庭園を結ぶ「幸福の門」や、幸福の門の前にある「謁見室」、その後ろの「アメフト3世に図書館」、その右側にある「スルタンの衣装展示室」「宝物館」のほか、左奥の「時計」「聖遺物」などがあるはずだね。

 <第3庭園の宝物館>


 <同じく謁見室>


<Mugiko>
 そういう言い方をするということは、撮影していないものが多数あるということ?
<Mugio>
 いやなこと平気でいうね。図星だから言い訳はできなけれど、撮影できたものだけでも掲載しておきたいね。


 <時間がなくなってきました。申し訳ありませんが、この続きは次回にお伝えしたいと思います>

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