土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

本圀寺、祖師日蓮上人が総てです。

2017年01月19日 | 京都の古寺巡り





(2017.01.14訪問)


勧修寺から次に訪ねたのは本圀寺。このお寺五〜六年前に一度訪ねているんですが、その時の印象がキンピカ寺。さてさてその後ど
ういう按配になっているか、少々気になりましたので訪ねることに。迷車大和路号は勧修寺から京都外環を北へ、山科駅手前の三条
通を御陵まで走ります。お寺は丁度天智天皇陵の北隣、途中民家が建て込む細い狭い道が続き行き違いもままならず、クルマで行か
れる方要注意ですヨ。しかし迷車大和路号ならスイスイなんです。




▼祖師日蓮上人立像。






[ 本圀寺 ]
●山号 大光山 (たいこうさん)
●寺号 本圀寺 (ほんこくじ)
●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう) 大本山
●開山 日蓮上人 (にちれんしょうにん)
●開創 建長五年 (1253年)
●本尊 一塔両尊
▲京都市山科区御陵大岩6 TEL.075-593-9191  
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲地下鉄東西線「御陵駅」下車 徒歩約15分




▼琵琶湖疎水に架かる赤い橋、冬ですねェ、殆ど流れはありません。






本圀寺縁起 (本圀寺旧HPから抄出)
建長五年、高祖日蓮大聖人が鎌倉松葉ヶ谷に小庵を構え、法華堂と号したことから始まる。伊豆法難後の弘長三年、大光山本国土妙
寺として創設された宗門史上最初の祖跡寺院である。法難、遠流によって出入りはあられたものの、二十二年にわたる立正安国論の
国諫運動を展開、日蓮大聖人の生涯の中心となるもっとも大切な布教の根本道場である。日蓮大聖人の身延入山および入滅後は日朗
聖人、日印聖人、日静聖人が護山継承され、ときの政治の中心鎌倉にて幕府の強圧と闘いながら、正法宣布の使命遂行に当たられた。
北条幕府が滅び、政治が鎌倉から京都に移った貞和元年、日静聖人の時代、この霊跡大光山は光厳天皇の勅諚によって京都六条に東
西二町、南北六町にわたる広大な永代寺領を賜り、鎌倉松葉ヶ谷から京都へ立正安国、国祷護国の大道場本圀寺として移遷されるに
至った。




▼参道入り口です。欄干の擬宝珠前は確かキンピカでしたが。






            ▼七字名号の立派な石柱が建ってます。






總門要付關と名付けられた門。平成二十八年建立。







赤門出陣関と云われる開運門。通称赤門と呼ばれるそうです。文禄元年 (1592年) 加藤清正寄進。







▼山号を揮毫した扁額。本圀寺八十三世日運上人筆。







▼開運門スグ右に建つ証大菩提鐘楼堂。チョット見にくいですが梵鐘の色は普通ですよネ。







▼五年前キンピカの梵鐘でした。







摂折三解脱門、仁王門です。三間一戸、桁裄三間、梁間二間、切妻造、十二脚門、本瓦葺。
 平成十五年(2003年)5月23日落慶。
 特に変わった感じはありませんネ、ところが……、

     





▼五年前キンピカの仁王さんが左右を守護していました。







▼正嫡付法の扁額。本圀寺六十八世久村日鑒上人筆。







▼今の阿形仁王さんのお顔、色は普通ですよネ。







▼五年前のキンピカ阿形さん。







▼今の吽形さんのお顔。







▼五年前のキンピカ吽形さん。



阿吽両像は運慶二十八世孫仏師常慶作。





妙法華院大本堂。向拝三間の迫力は並ではありません、堂々とした前面ですが、残念ながら正面からは入堂出来ません。
 桁行五間、梁行五間、入母屋造、瓦葺。鉄筋コンクリート造、正面三間の向背付。昭和四十六年(1971年)建立。          

 





▼大本堂外陣。ここから内陣奥の須弥壇までは相当の距離がありそう。







▼天蓋を見て下さい、この豪華なこと。







▼大本堂内陣。最奥須弥壇上に本尊が祀られています。







▼本尊一蓮華台に一塔両尊が本圀寺本尊。
 中央ブルーのが七字名号塔、左右如来坐像。「二仏の印相相伝有り、されどこれを深秘す」とあり、早い話如来名は判りません。






            ▼七字名号塔。一塔両尊造立、貞治五年 (1366年) 仏師は運慶二十八世孫常慶作。






▼これは何かな? 太陽か月か華冠か判りません。







▼大本堂扁額と思われますが、外縁に置いてます。さすがにデカイです。







▼大本堂裏のパワースポット、大岩霊神、通称大岩さん。






            ▼本堂前に立つ祖師日蓮上人立像。






▼次のお堂、本師堂と大本堂をつなぐ渡り廊下。







釈迦尊院本師堂 (釈迦堂)。宗祖日蓮さんの念持仏釈迦如来像を祀るお堂。
 桁行五間、梁間三間、入母屋造、銅板葺。正面三間の向拝付。







▼本師堂内陣です。右に置かれる軸が本尊閻浮第一釈迦仏の御影。







                 ▼本尊閻浮第一釈迦仏の御影。本尊は絶対秘仏。







▼本師堂内陣です。







釈迦尊院本師堂







九頭竜弁財天のキンピカの龍神。財運祈願のご利益新たかな神さまだそうですヨ。







▼大客殿玄関。







▼客殿假諦の間。







▼客殿中諦の間。







▼本堂後ろの丘にキンピカの鳥居。扁額に清正宮と書かれています。







清正公大神儀真生廟。早い話が加藤清正生前廟です。
 本圀寺は加藤清正の帰依熱く、朝鮮出兵の折、戦勝祈願をし出征したといい、勲功勝利に至る守護神として勝利祈願の参詣が多い
 と云います。







▼加藤清正廟。加藤家家紋桔梗と蛇の目です。







▼庫裏です。ここから廻廊、渡り廊下を通り各お堂巡りが出来るようになっています。







▼ご朱印です。






記憶にあるキンピカ寺も一部キンピカ健在もほぼ普通のお寺に、お寺の方に伺うと多方面から品がないと非難轟々、いたたまれなく
なって平成二十五年 (2013年) にほぼ旧に戻したそうですが、それでもまだキンピカパワーは残っているようです。

キンピカ寺院の今、オ シ マ イ



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2 コメント

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Unknown (QooAIBO)
2017-01-21 02:46:47
こんばんは。
何故金ピカでなくなったのか疑問に思っていましたが、評判が悪かったんですね。
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Unknown (hidepon)
2017-01-22 00:56:51
QooAIBOさん、こんばんは。
そうなんです、相当非轟々々だったらしいですよ。
日蓮さんもビックリしてたでしょうネ。
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