土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

鷹峯常照寺は名妓吉野太夫縁のお寺です。

2013年03月22日 | 京都の古寺巡り


(2013.03.16訪問)

吉野太夫は夕霧太夫、高雄太夫とともに寛永三名妓と唱われた名妓の一人。その名妓の由緒謂れが深く伝わ
る鷹峯常照寺は源光庵のほんのお隣に在ります。ボクなんぞ祇園島原艶町などとんと縁がありませんが、開
山上人よりもこの吉野太夫の方が何となくこのお寺の顔になっているような艶寺を一度訪ねてみようとは思
っていました。
この吉野太夫が深く帰依したのが開山日乾上人で、その縁で山門(吉野門)を寄進、建立されたそうです。

▼参道と赤門。


[ 常照寺 ]
●山号 寂光山 (じゃっこうさん)
●寺号 常照寺 (じょうしょうじ)
●宗派 日蓮宗
●開基 本阿弥光瑳 (ほんあみこうさ) 本阿弥光悦の息
●開山 日乾上人 (にっかんしょうにん)
●創建 元和二年 (1616年)
●本尊 釈迦如来坐像
▲京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町45 電話/075-492-6775
▲拝観料 300円
▲京都市バス 四条大宮6系玄琢行き、源光庵前下車

常照寺縁起 (常照寺パンフより抄出)
当山は元和二年本阿弥光悦の土地寄進とその子光瑳の発願により、見延山第二十一世日蓮宗中興の祖と敬仰
される寂照院日乾上人を招じて開創された鷹峯檀林 (学寮) の旧跡で、それ以来連綿と続き世に山城六檀林中
の一偉観をなしてきたのである。

▼寂光山常照講寺と側面に刻され、正面は七字名号。




▼参道沿いの馬酔木が満開です。




▼朱塗りの山門。門札に白で吉野門とあるように、この門は島原の名妓吉野太夫の寄進。なんと二十三歳の
時といいます。現在の山門は大正6年(1917年)に再建されたものだそうです。




▼左手に手水用ではなく、どうも井戸のようです。




▼右手に、帯塚。




▼帯塚の由緒。




▼宝蔵。




▼本堂。




▼本堂扁額。




▼本堂内陣。須弥壇中央に日乾上人像がお祀りされています。




▼境内案内板。




▼苔庭。




▼鬼子母神堂。鬼子母神と眷属十羅刹女が祀られています。




▼鬼子母神堂扁額。




▼常富大菩薩堂。聴きなれない菩薩名ですが、お狐の謂れがあるそうです。




▼常富大菩薩堂扁額。




▼境内一角の桜が開いてました。
常照寺は洛北の桜の名所として境内には、吉野桜をはじめ約100本の桜が競うそうです。




▼開山廟。墓地中央に開山日乾上人の廟。




▼新しく建てられた書院に造作された茶室仙遊庵の床にかかる吉野太夫軸。



天下随一の太夫と謳われ、美貌と品格、和歌、俳諧、書、茶湯、琴、琵琶、笙、香道、華道など諸芸に秀で、
その名声は江戸、遠くは中国にまで及んだスーパーウーマン、謂れはホントかウソかは定かではありません
が、この吉野太夫が本阿弥光悦を通じて深く帰依したのが開山日乾上人なのです。
夫灰屋紹益が吉野の生前を偲んで土佐光興に描かせたもの。本物かレプリカかは定かではありません。


▼開山廟の裏手に在る吉野太夫墓。三十八歳没。




▼吉野太夫墓の説明札。




▼白馬池由緒書き。境内一角に小さな門が在り、潜ると白馬池への下り参道があります。




▼白馬池。下り参道を行くと小さな真新しい池があります。箱庭に掘られた池のようで周辺環境とややミス
マッチの観。




▼白馬観音。



白馬に乗り、池を往来していたという仙人を「白馬観音」として勧請したブロンズ像。手に妙
法蓮華経八之巻を持ち、観世音菩薩普門品の経説を表現。光背に七字名号刻されています。


▼境内のそこここに馬酔木のちいさい花が鈴なりです。




▼ご朱印です。




境内を巡り、吉野太夫というベッピン縁の艶寺の印象は当然のことながらありません。往時の名残は一部茶
席遺芳庵が境内の一角に残るのと、書院の茶室仙遊庵の床にかかる吉野太夫の姿から偲ぶほかなさそうです。
鷹峯は本阿弥光悦一党の地、光悦を始め子息光瑳、吉野太夫を身請けした豪商灰屋紹益等往時の文化人、粋
人たちが一種の文化サロンを形成していた地で、花街との関わりも大いにあったのでしょう。


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