土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

妙心寺は日本最大の禅寺にして算盤上手。

2012年10月01日 | 京都の古寺巡り


(2012.09.29訪問)

京五山十刹に属さない反骨の禅寺、大徳寺と妙心寺。室町幕府や江戸幕府の圧迫に屈すること無く臨済禅の
本分を遺憾なく発揮し、今洋々の寺観と法灯を灯し続ける妙心寺、お寺が唱い上げる「日本最大の禅寺」に
相応しい偉容がこの花園の地に誇っています。妙心寺は「算盤ずら」と云われるほど寺院経営上手といいます。
末寺3400、僧数7000人、関連経営に大学、高校、中学、等の教育機関を擁しています。山内のデカさは歩
くとよく判ります。禅宗七堂伽藍が一直線に甍を並べ、四十六の塔頭寺院が山内に点在。まさに豪快な禅寺、
そんな妙心寺を訪ねてみました。

▼丸太町通妙心寺道に建つモダーン寺標。左の道が南総門への参道。
市が標榜する景観を守るはどこに行ったんでしょう。交差点とはいえ、標識、ポールの多さ、空に張り巡ら
された電線の繁雑さ、クモの巣の美しさを思い出しましょう。国際観光都市の名が泣きますよ。




[ 妙心寺 ]
●山号 正法山(しょうぽうざん)
●寺号 妙心寺(みょうしんじ)
●宗派 臨済宗妙心寺派大本山
●開基 第九十五代 花園天皇(はなぞのてんのう)
●開山 関山慧玄(かんざんえげん) 無相大師 大徳寺開山した大燈国師の弟子
●開創 建武四年(1337年)
●本尊 釈迦如来坐像

妙心寺縁起 (妙心寺HPより抄出)
第九十五代花園天皇は、大燈国師(だいとうこくし)で知られる大徳寺を開かれた秀峰妙超(大燈国師)に参禅し、
印可(弟子が悟りを得たことを師匠が認可すること)されています。
宗峰妙超禅師は病に伏し重態となられ、花園法皇の求めに応じて、弟子の関山慧玄(かんざんえげん)を師と
するよう推挙されました。そして、花園法皇は花園の離宮を禅寺にし、宗峰妙超禅師が正法山妙心寺と命名
されました。十二月二十二日宗峰妙超禅師が亡くなられましたが、妙心寺ではこの建武四年を開創の年とし
ています。

▼南総門(重文)。三間一戸、切妻造、本瓦葺。慶長十五年(1610年)建立。




▼境内案内絵図。広大な境内がよくわかります。




▼勅使門(重文)。三間一戸、切妻造、檜皮葺。慶長十五年(1610年)建立。




▼放生池。




▼三門(重文)。桁行五間三戸、梁行1間、本瓦葺、入母屋造、重層楼門、慶長四年(1599年)建立。






▼仏殿(重文)。桁行五間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺き、裳階付き。文政十年(1827年)建立。
 



▼仏殿須弥壇。本尊 釈迦如来坐像。脇侍 釈迦十大弟子の阿難尊者、迦葉尊者。




▼仏殿。




▼仏殿と法堂を繋ぐ渡り廊下。




▼法堂(重文)。桁行六間、梁行六間、入母屋造、本瓦葺き、裳階付き。明歴二年(1656年)建立。
 天井には狩野探幽の雲龍図が描かれています。




▼浴室(重文)。明歴二年(1656年)建立。




▼経蔵(重文)。寛文十三年(1673年)建立。




▼鐘楼(重文)。




▼大方丈の唐門。




▼大方丈(重文)と前庭。承応三年(1654年)建立。




▼大方丈本尊。




▼大庫裡(重文)。承応二年(1653年)建立。




▼鐘楼。




▼北参道。




▼北総門(重文)。慶長十五年(1610年)建立。



▼北総門横の寺標。




南総門から入山して北総門から下山したんですが、途中塔頭寺院の退蔵院へ寄って見ました。通年公開してい
る塔頭は三院のみですが、そのうちの一つです。 つ づ く



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