(2018.01.06訪問)
圓成寺から霊山寺に向かいます。R369柳生街道を西へ、県庁前を経て阪奈道路へ入り途中県道7号を富雄川沿いに南へ少々、霊山寺
に到着です。霊山寺、バラと弁天さんの印象がすこぶる強いこのお寺、今の時期バラこそありませんが、温泉あり、ゴルフ練習場あり、
レストランありと、たいへん賑やかなお寺で一日中境内を廻っても飽きる事のない楽しいお寺です。しかしやたら朱の鳥居が目につき、
ウンこれお寺かいなと仏像堂塔伽藍を愛して止まない諸氏には?が付くかも知れません。しかし名刹なんですヨ。
▼大鳥居が山門です。
[ 霊山寺 ]
●山号 登美山(とみさん)
●寺号 霊山寺(りょうせんじ)
●宗派 霊山寺真言宗(りょうせんじしんごんしゅう)大本山
●勅願 伝 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開基 伝 行基 伝 菩提僊那(ぼだいせんな)
●開創 伝 天平八年(736年)
●本尊 薬師三尊(秘仏) 中尊薬師如来坐像、脇侍日光、月光菩薩立像。
▲拝観 500円 朱印 300円
▲時間 10:00~16:00
▲バラ庭園 8:00~17:00
▲奈良県奈良市中町3879 電話0742-45-0081
▲http://www.ryosenji.jp/
▲近鉄奈良線「富雄」駅より奈良交通バス、「若草台」又は「近鉄奈良駅」行き「霊山寺」下車徒歩約7分
阪奈道路「三碓出入口」より県道を南へ5分
第二阪奈道路「中町ランプ」より県道を北へ5分
▼大辯才天と書かれた扁額。
霊山寺縁起 (霊山寺HPから抄出)
天平六年聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。天平八年バラモン僧、菩提僊那が来日、登美山の地相が霊鷲山にそっくりというこ
とから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上、落慶となりました。平安時代、弘法大師が登美山に力の強い龍神様がおられると感
得、奥の院に大辯財天女尊として祀られました。それまで当寺は法相宗でしたが、弘法大師が真言宗を伝えられ、以後は法相宗と真言
宗の二宗兼学の寺となりました。鎌倉時代には北条氏の帰依厚く、弘安六年本堂の改築、堂塔寺仏の修復新調が行われ、僧坊二十一ヵ
寺で非常に栄えその後、豊臣秀吉から寺領百石を与えられ、御朱印寺として国家安泰と五穀豊穣そして幕府の武運長久を祈願して参り
ました。ところが明治維新の廃仏毀釈により、伽藍の規模は半減、二百体以上の仏像焼却の運命をたどりましたが本尊薬師如来のご加
護と、弘法大師が勧請された大辯財天の霊験により復興、今もなお国宝重文建物六棟、重文仏像宝物三十余点を所蔵、隆盛を保ってい
ます。
▼鳥居を潜り石畳のキレイな参道を行きます。
▼少し行くと右に八体仏霊場。生まれ歳十二支の本尊が並んでいます。
▼やはり自分の干支本尊が気になりますネ。
▼開基のお一人といわれる行基さんの像が建ってます。この像は赤肌焼きの陶器です。
▼弁天堂と鳥居。
▼弁天堂。
▼扁額には大辯才天と書かれています。
▼不思議な事に本尊は聖観音菩薩がお立ちです。実は聖観音菩薩は辯才天の本地仏なんです。
▼弁天堂とは別に放生池中之島にも弁天さんが祀られています。
▼本堂への参道石段。
▼石段上ったところに朱色が一際映える鐘楼。桁行一間、梁間一間、袴腰付入母家造、桧皮葺、室町初期。
▼本堂 (重文)。桁行五間、梁行六間、入母屋造、本瓦葺、正面一間向拝付。弘安六年(1283年) 再建。
本尊薬師如来、脇侍日光、月光菩薩は春日厨子内、十二神将、二天王、大日如来、阿弥陀如来、行基菩薩、菩提僊那を祀ってます。
▼本堂前面は格子戸が嵌まり、両サイドから入堂します。
▼向拝の柱間虹梁中央の蟇股。蟇股内の薬壷見えます? こまかい細工?ですね。
▼本堂外陣の薬師三尊の大振りな懸仏(重文)。秘仏本尊の御前立ちです。盤径98cm、中尊像高42cm。脇侍像高24cm。
▼本堂外陣。天井、長押、戸と格子の見本のような外陣ですネ。
▼内陣須弥壇。中央お厨子に薬師三尊が秘仏として祀られています。
▼本尊薬師三尊像 (重文)。像高145.4cm、木造、治暦二年(1066年) 像立。脇侍に日光、月光菩薩。
(この写真は霊山寺HPから拝借)
▼本堂横に先代住職東山圓教師の像。バラ園を造ったのはこの方です。
▼本堂向かいに開山大師堂。
▼開山大師堂。方三間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。外縁勾欄が付けられ、昭和二十八年改新築で小さいながら美しいお堂です。
▼開山大師堂本尊弘法大師坐像。
高台の三重塔エリアに行ってみましょう。
▼三重塔 (重文)。塔高17m、方三間、桧皮葺。弘安六~七年(1283~1284)建立。
初層内部に巨勢金岡筆と伝わる極彩色の壁画があるそうです。
▼ 三重塔相輪。
▼行者堂。堂前に護摩壇が設えられ、本尊神変大菩薩と不動明王、青面金剛を祀っています。
▼開基の一人菩提僊那の供養塔への参道。
▼菩提僊那供養の宝篋印塔。
天平八年(736年)天竺より来日。天平勝宝四年(752年)東大寺大仏供養開眼師を
勤め、天平宝字四年(760年)大安寺にて僊化。
▼奥の院への参道。行くか行くまいか、さてさてさて、行かない事に決定。
帰りに御朱印を頂きに本坊へと思ったんですが肝心の朱印帳忘れにつき、今日はこのままお暇です。
霊山寺 オ シ マ イ
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