(2011.09.18訪問)
愛宕念仏寺を辞して、目指すは光源氏の清涼寺、嵯峨釈迦堂として三国伝来釈迦
像が有名ですね。
[ 清涼寺 ] せいりょうじ
●山号 五台山(ごだいさん)
●寺号 清涼寺(せいりょうじ) 通称 嵯峨釈迦堂
●宗派 浄土宗
●開山 ちょう然上人
●創建 寛和3年(987年)
●本尊 釈迦如来立像(国宝)
清涼寺縁起
清涼寺の前身は、嵯峨天皇皇子源融(みなもとのとおる)の別荘棲霞観で、融没後
子息たちによって棲霞寺(せいかじ)と改め、釈迦三尊が刻され本尊として今ある
阿弥陀堂が建立された。天慶8年(945)醍醐天皇の皇子の重明親王が亡き妃のため
に新堂を建て釈迦如来を安置した。これが釈迦堂の名前の由来とされたそうです。
その後寛和元年(985年)東大寺僧ちょう然上人が曰く因縁付きの釈迦如来立像を
唐から持ち帰り、釈迦堂に祀り本尊とし清涼寺の歴史が始まったそうです。
▼清涼寺石標。
▼仁王門。
豪快な二層八脚門で、左右に金剛力士が控えています。
▼仁王門扁額。
山号五臺山と書かれています。
▼法然上人像。
仁王門の左に立つ法然上人24歳の像です。
▼手水舎。
▼本堂(釈迦堂)。間口14間、奥行き13間。元禄14年(1701年)再建。
本尊 釈迦如来立像(国宝)。像高162.6cm、栴檀木造。北宋時代(985年)の造像。
三国伝来(インド→中国→日本)の生身の釈迦如来として有名ですね。 清涼寺式釈
迦如来像の原像。鎌倉以降この像の模刻が流行、全国に百余体在るそうです。
ラッキーでした。たまたま開帳日でボクは今日初めてジックリ拝することが出来
ました。以前西大寺で模刻像に拝しましたが、本家本元は初めてです。
螺髪ではない縄目状の宝髻はガンダーラ仏を彷彿とさせ、通肩の衣文は左右対称
流水状。肉髻は大きくないぶん、肉髻珠は大きく輝いています。狭い額に比して
白毫は大きく、目はややたれ目気味が印象的でした。以上双眼鏡観察記でした。
▼本堂扁額。
栴檀瑞像と揮毫されています。
▼渡廊下。
本堂裏から大方丈に繋がる渡り廊下です。放生池を左に見ながら方丈へ向かいま
す。写真前方が本堂です。
▼放生池。
▼方丈池小島に建つ弁天堂。唐破風付き宝形造。江戸後期の建築。
▼放生池。
▼阿弥陀堂。
もと源融(みなもとのとおる)の別荘棲霞観で、源融没後、寛平7年(895年)、子息
が棲霞寺阿弥陀堂として建立。
文久3年(1863年)再建。
▼一切経蔵。
▼一切経蔵の輪蔵。
この輪蔵の中に明版一切経が収められています。これを廻すことにより、一切経
を読んだのと同じ功徳があるそうです。一回100円、高いか安いかあなた次第。
▼鐘楼。
▼多宝塔。
▼聖徳太子殿。法隆寺夢殿を模した八角円堂。
▼聖徳太子殿の前に咲く彼岸花一輪。
▼源融(みなもとのとおる)墓。
ご本人のお墓かどうかハッキリ云って不明。別人との説もあるそうです。
またまた失敗!
棲霞寺当初の本尊、阿弥陀三尊像を拝しそこねました。このお像こそ光源氏のモ
デル説のある左大臣源融さんを写したお像と云われているのは、皆さんご存知の
通り。いまは霊宝館に安置されているのですが、霊宝館閉鎖中!
しばらくお逢いしていないので残念でした。毎年春と秋にオープンとのことです。