土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

光源氏に逢いに、嵯峨釈迦堂 清涼寺へ。

2011年09月23日 | 京都の古寺巡り


(2011.09.18訪問)

愛宕念仏寺を辞して、目指すは光源氏の清涼寺、嵯峨釈迦堂として三国伝来釈迦
像が有名ですね。

[ 清涼寺 ] せいりょうじ
●山号 五台山(ごだいさん)
●寺号 清涼寺(せいりょうじ) 通称 嵯峨釈迦堂
●宗派 浄土宗
●開山 ちょう然上人
●創建 寛和3年(987年)
●本尊 釈迦如来立像(国宝)

清涼寺縁起
清涼寺の前身は、嵯峨天皇皇子源融(みなもとのとおる)の別荘棲霞観で、融没後
子息たちによって棲霞寺(せいかじ)と改め、釈迦三尊が刻され本尊として今ある
阿弥陀堂が建立された。天慶8年(945)醍醐天皇の皇子の重明親王が亡き妃のため
に新堂を建て釈迦如来を安置した。これが釈迦堂の名前の由来とされたそうです。
その後寛和元年(985年)東大寺僧ちょう然上人が曰く因縁付きの釈迦如来立像を
唐から持ち帰り、釈迦堂に祀り本尊とし清涼寺の歴史が始まったそうです。

▼清涼寺石標。



▼仁王門。
豪快な二層八脚門で、左右に金剛力士が控えています。



▼仁王門扁額。
山号五臺山と書かれています。



▼法然上人像。
仁王門の左に立つ法然上人24歳の像です。



▼手水舎。



▼本堂(釈迦堂)。間口14間、奥行き13間。元禄14年(1701年)再建。
本尊 釈迦如来立像(国宝)。像高162.6cm、栴檀木造。北宋時代(985年)の造像。
三国伝来(インド→中国→日本)の生身の釈迦如来として有名ですね。 清涼寺式釈
迦如来像の原像。鎌倉以降この像の模刻が流行、全国に百余体在るそうです。



ラッキーでした。たまたま開帳日でボクは今日初めてジックリ拝することが出来
ました。以前西大寺で模刻像に拝しましたが、本家本元は初めてです。
螺髪ではない縄目状の宝髻はガンダーラ仏を彷彿とさせ、通肩の衣文は左右対称
流水状。肉髻は大きくないぶん、肉髻珠は大きく輝いています。狭い額に比して
白毫は大きく、目はややたれ目気味が印象的でした。以上双眼鏡観察記でした。



▼本堂扁額。
栴檀瑞像と揮毫されています。



▼渡廊下。
本堂裏から大方丈に繋がる渡り廊下です。放生池を左に見ながら方丈へ向かいま
す。写真前方が本堂です。



▼放生池。



▼方丈池小島に建つ弁天堂。唐破風付き宝形造。江戸後期の建築。



▼放生池。



▼阿弥陀堂。
もと源融(みなもとのとおる)の別荘棲霞観で、源融没後、寛平7年(895年)、子息
が棲霞寺阿弥陀堂として建立。
文久3年(1863年)再建。



▼一切経蔵。



▼一切経蔵の輪蔵。
この輪蔵の中に明版一切経が収められています。これを廻すことにより、一切経
を読んだのと同じ功徳があるそうです。一回100円、高いか安いかあなた次第。



▼鐘楼。



▼多宝塔。



▼聖徳太子殿。法隆寺夢殿を模した八角円堂。



▼聖徳太子殿の前に咲く彼岸花一輪。



▼源融(みなもとのとおる)墓。
ご本人のお墓かどうかハッキリ云って不明。別人との説もあるそうです。



またまた失敗!
棲霞寺当初の本尊、阿弥陀三尊像を拝しそこねました。このお像こそ光源氏のモ
デル説のある左大臣源融さんを写したお像と云われているのは、皆さんご存知の
通り。いまは霊宝館に安置されているのですが、霊宝館閉鎖中!
しばらくお逢いしていないので残念でした。毎年春と秋にオープンとのことです。