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土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

源光庵の「悟と迷」とは、それを考えると迷路に入りますヨ。

2017年03月06日 | 京都の古寺巡り





(2013.03.04訪問)


迷車大和路号は久々に京鷹峯の地にやってきました。今日訪ねた源光庵は「悟りの窓」と「迷いの窓」で有名な禅刹です。
「悟り」と「迷い」とは一体なに、と云うのがボクのレベル。「煩悩」に衣をまぶせて揚げた天ぷらが街を歩いているようなボクに
は禅の精神なんて到底理解出来るはずがありません。ただ「丸」と「四角」の窓の前に一度座ってみよう。と云う訳で源光庵にやっ
てまいりました。




▼源光庵参道口は鷹峯交差点からスグ。






[ 源光庵 ]
●山号 鷹峰山 (ようほうざん)
●寺号 源光庵 (げんこうあん) 正称 寳樹林源光庵
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
●開創 徹翁国師 (てつおうこくし)
●創建 貞和二年 (1346年)
●中興 卍山道白禅師 (まんじさんどうはくぜんじ)
●本尊 釈迦如来坐像 脇侍 阿難尊者 迦葉尊者
▲京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町47 電話 075-492-1858
▲拝観料 400円
▲京都市バス「四条大宮6系玄琢行き、源光庵前下車




▼南門。






源光庵縁起 (源光庵パンフより抄出)
当山は、貞和二年(1346年)臨済宗大本山大徳寺二代徹翁国師の開創によるが、元禄七年(1694年)加賀大乗寺二十七代卍山道白禅師
が当寺に住持され、以来曹洞宗に改まる。卍山道白禅師は学徳兼備の高僧で、宗風改革、宗統復古に邁進、宗祖道元禅師の正伝仏法
に復古されたのである。




▼南門扁額。







▼鐘楼。







▼山門参道。







▼重層の山門。上層左右の丸窓が目をひきます。三間一戸、八脚、入母屋造、桟瓦葺。







▼山門上層階。白い丸窓は源光庵のシンボル。







▼復古禅林と書かれた扁額。







▼山門から境内、正面は本堂です。







▼境内左本堂、右庫裡。







▼境内参道は幾何的美を感じる一種の石畳が縦横に結ばれています。







▼正面に堂々の本堂、棟中央に宝珠が載ってます。桁行七間、梁行五間、入母屋造、桟瓦葺。元禄七年(1694年)建立。







▼本堂扁額。全く読めません。







▼本堂畳廊下。この天井が血天井と呼ばれています。







▼外陣天井に残る怨念の足跡。血天井は伏見城の遺構、慶長五年家康家臣鳥居元忠以下千八百余人が、石田三成軍と戦うも全員討死、
 自刃し果てた痕跡。勿論気持ちいいものではありませんが、この血天井、京の寺院数カ所に残っているそうです。







▼本堂内大きな扁額です。







▼中央奥の二段須弥壇と内陣の荘厳。







▼中央のろうそくが邪魔ですが、奥の幕中に本尊が祀られています。






            ▼出し惜しみされている本尊、釈迦如来坐像。
             脇侍に阿難尊者と迦葉尊者がおられるようです。






▼源光庵最大の売り、「悟りの窓」と「迷いの窓」
 円型悟りの窓は「禅と円通」の心と「大宇宙」心理の世界を表現。角型迷いの窓は「人間の生涯」生老病死の「四苦」を表現して
 いるそうです。だからどうなのなんて口が裂けても云えません。







▼円型「悟りの窓」







▼角型「迷いの窓」







▼「悟りの窓」と「迷いの窓」
 四角四面の角削りゃあ人間だんだん丸くなる。いい加減丸くならにゃいかんという「気」はするんですがネ。
 その「気」がしばらく前に座っていた結論です。







▼本堂裏の北山を借景とした枯山水庭園。     



















▼本堂。







▼書院。







▼書院廊下。







▼書院の間襖絵、山水図。江戸中期の絵師、山口雪渓さん筆。







▼お隣の間におひなさんが飾られ……、







▼隣でこんな方が、香煙を。







▼庫裡です。こちらでご朱印を頂きます。







▼源光庵お暇です、境内から見た山門。







▼山門の盛土された赤土に置いて撮った御朱印です。






この鷹峯の地一帯は、江戸のタヌキからあの何でもござれのスーパー文人、本阿弥光悦に与えられた土地で、光悦を中心にアートな
コミュニティーを形成した芸術村と云われていたそうです。もっとも今日訪ねた源光庵の創建は室町初期なので、往時にはそんなコ
ミュニティーは存在していません。鷹峯四百年の経時は、光悦思想の片鱗すら遺さず、その世界を惜し気もなく消し去り、今はただ
源光庵、常照寺、そして唯一光悦の名を残す光悦寺が法灯を守り続けているのみです。

それではその光悦の名を残す光悦寺を訪ねましょう、早い話が光悦寺はお向かいなんです。





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南禅寺、初めてお庭と障壁画を堪能しました。

2017年02月23日 | 京都の古寺巡り





(2017.02.18訪問)


高台寺から円山公園を抜け、知恩院前の神宮道を真っすぐ北へ、三条通りを越えて仁王門通りを右に折れるとまもなく南禅寺。
参道沿いはほとんどが湯豆腐のお店、今日は順正さんへ、遅い昼食に湯豆腐定食は少々心もとないが腹八分でまあ良いかと。

さて南禅寺、このお寺京禅刹「五山之上」を誇るだけに、伽藍構えも豪快なら加えて庭園美、方丈各間の京狩野派障壁画の華麗なこ
と、嘗てこれほどのカズを見たことはありません。とは云え、障壁画は全てレプリカ、デジタル画像により制作時より五十~百年経
過後の色合いを再現復元した新障壁画とお寺は謳っています。退色や剥落した実物を見るに越したことはないでしょうが、往時の華
やかな部屋の数々、なぜこんな華麗な一角がお寺に必要だったのかなど、禅刹の一面を見ることが出来るのも、あるいは一興かと。




▼勅使門。寛永十八年(1641年) 御所の「日の御門」移築したものです。現代は住持の晋山に限って開かれる門です。






[ 南禅寺 ]
●山号 瑞龍山(ずいりゅうざん)
●寺号 太平興国南禅禅寺 (たいへいこうこくなんぜんぜんじ) 通称 南禅寺
●宗派 臨済宗南禅寺派大本山 (りんざいしゅうなんぜんじは)
●開基 亀山法皇 (かめやまほうおう)
●開創 正応四年 (1291年)
●開山 仏心大明国師 (だいみんこくし)
●創建 南院国師 (なんいんこくし)
●中興 本光国師 (ほんこうこくし)
●本尊 釈迦如来坐像
▲入山料 600円 朱印 300円  
▲拝観時間 9:00~17:00
▲京都市左京区南禅寺福地町 Tel.075-771-0365
▲ http://www.nanzen.net/
▲京都市地下鉄東西線「蹴上駅」下車「ねじりまんぽ」と呼ばれるトンネルを抜けて徒歩10分
 市バス「東天王町」または「南禅寺・永観堂道」下車 徒歩10分




▼中門を潜り、三門への参道を行きます。






南禅寺縁起 (南禅寺 HPから抄出)
南禅寺は正応四年亀山法皇が無関普門禅師 (大明国師) を開山に迎えて開創。
亀山法皇は第九十代亀山天皇のこと。圓爾辧圓 (えんにべんねん) 禅師 (無関禅師の師、聖一国師) に受戒問法。正応二年、上皇は離
宮禅林寺殿で出家され法皇になられました。法皇は禅師の徳をたたえて深く帰依され、正応四年、離宮を禅寺とし開山に迎えられた
無関禅師は十二月に遷化。正応五年、法皇は第二世として規庵祖圓禅師(南院国師)を選任されました。禅寺といっても、離宮には伽
藍として機能するものは一つもありませんでした。その建立が規庵禅師に課せられたわけですが、入寺からおよそ十五年の歳月を費
やしその完成をみました。




▼三門(重文)。重厚と貫禄に溢れる十八脚二層の楼門。桁行五間三戸、梁行二間、周縁勾欄付、本瓦葺、高さ22m。寛永五年(1628
 年)建立。石川五右衛門「絶景かな、絶景かな」は勿論ウソ! この門は五右衛門死後三十年の建立だそうで。






            ▼圧倒的重量感の三門を支えているんです。






▼三門から法堂への参道を見ると、オネーサン三人連れ……、







▼オネーサンお国はと思わず聞きそうになりました。







▼こちら堂々の法堂。南禅寺の本堂。本尊 釈迦如来坐像。明治二十八年焼失、四十二年再建の新しいお堂です。







▼揺れる紫煙が絶えることはありません。







▼法堂。







▼法堂須弥壇。
 二段須弥壇上段に本尊釈迦如来坐像と右に文殊菩薩、左に象に普賢菩薩を祀っているのですが、幕で覆われておりお目にかかれま
 せん。今は幕前に大明国師と思われる軸が掛けられています。床は敷き瓦。







▼須弥壇上に掲げられている扁額。







▼天井にはお馴染み幡龍図。向きは逆ですネ。







▼法堂。







▼大きな唐破風の本坊大玄関。通常は使用されないそうです。







▼本坊玄関。拝観はここからになります。






            ▼上がり框に威厳がさり気なく「五山之上」!






▼本坊「滝之間」お庭の滝がみえます? ここではお抹茶をいただけます。







▼本坊「竜虎之間」上位級会議でも行われるのかナ。







▼本坊廊下。突き当たり左、方丈に続いています。







▼廊下右に「寒山拾得之間」






            ▼寒山拾得像。寒山と拾得は共に唐代の僧で風狂に徹し、
             ユーモラスな二人は人々に親しまれたと伝えます。






▼大方丈(国宝)。入母屋造、杮葺。慶長十六年(1611年) 御所の建物の下賜を受けて再建。
 鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間をはじめ九間あり、狩野派絵師筆による障壁画(重文)で彩られています。現在は、デジタル
 復元した障壁画を展示しています。







▼方丈前庭。「虎の児渡し」として有名ですネ。小堀遠州作庭と伝わる枯山水庭園。     













方丈各間の障壁画絶賛観賞会。暗くてピンボケはご愛嬌と思って下さいませ。

▼大方丈柳之間。







▼大方丈麝香之間。







▼大方丈御昼之間。奥に本尊釈迦如来坐像が祀られています。







▼大方丈花鳥之間。







大方丈の背後に接続されているのが小方丈、ここにも素晴らしい障壁画とお庭があります。

▼小方丈鶴之間。







▼小方丈虎之間。







▼小方丈前庭、如心庭。







▼鳴滝庭。







▼六道庭。







▼庭を結ぶ渡り廊下。







▼茶室窮心亭。







▼珍しい竹組の南禅寺垣。







▼龍吟庭と涵龍池。







▼還源庭。






            ▼皆さん、跋陀婆羅菩薩ご存知でしたか。何処に掲げられていたか忘れたんですが、
             どうも水を担当する菩薩さんらしいです。それにしてもコワイ顔で、とても菩薩には見えません。






▼白壁が美しい境内です。







▼今や南禅寺の一方の顔とも云える琵琶湖疎水の水道橋、水路閣。
 レンガの妙がお寺にシックリとけ込んでいる不思議。違和感ないのも不思議。 
 アーチの奥は塔頭南禅院。













            ▼滝。サテ何処でしょう?







▼ご朱印です。






如何でしたでしょうか、お庭と障壁画。時にはこんなお寺拝観も有りかなと思った南禅寺でした。

南禅寺これにて オ シ マ イ





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高台寺、ねねさんはどんな思いで、太閤はんを偲んだのでしょうか。

2017年02月20日 | 京都の古寺巡り





(2017.02.18訪問)



先週久昌院の拝観は少々もの足らない気分が残ったんで「京の冬の旅、非公開文化財特別公開」今週もう一度チャレンジ。
ねねさんのお寺、高台寺を訪ねました。このお寺、特に仏像や堂宇に目立ったものはないんですが、東山山麓の自然美と広大な庭園
に身を置くと、ねねさん精神が集約されているようで、散策する人たちに何処かホッコリを貰えるようなそんな気分になります。
太閤はんとねねさんが祀られる霊屋の須弥壇と厨子には、華麗な蒔絵装飾が施され「高台寺蒔絵」として知られるこの蒔絵、改めて
ジックリ見るとやはり凄いです。
何はともあれ太閤はんとねねさん、大阪人にとってもこのご両人の名は不滅です。




▼今日のねねの道、和服のオネーサン、お国はどちら。






[ 高台寺 ]
●山号 鷲峰山(じゅぶざん)
●寺号 高台寺 (こうだいじ) 正称 高台寿聖禅寺
●宗派 臨済宗建仁寺派
●開基 高台院湖月尼 (こうだいいんこげつに) 豊臣秀吉夫人北政所ねね
●開山 三江紹益禅師 (さんこうしょうえき)
●開創 慶長十一年 (1606年)
●本尊 釈迦如来坐像
▲入山料 600円 朱印 300円  
▲拝観時間 9:00~17:00
▲京都市東山区高台寺下河原町526番地 Tel.075-561-9966
▲http://www.kodaiji.com/index.html
▲JR京都駅・近鉄京都駅から市バス206(東山廻り)→東山安井停下車東へ徒歩5分
 JR京都駅・近鉄京都駅からタクシーで約15分
 阪急 河原町駅・京阪 祇園四条駅から市バス207→東山安井停下車東へ徒歩5分




▼ねねの道から右へ折れると参道台所坂。ここにも和服のオネーサン。






高台寺縁起 (高台寺HPから抄出)
正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所が慶長十一年開創した寺である。寛永元年建
仁寺の三江和尚を開山として迎え、高台寺と号した。徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行ったので寺観は壮麗を
極めたと云う。秀吉と北政所を霊屋に祀り、北政所像の下はその墓所となっている。




▼間もなく山門到着。







▼山門です。







▼潜るとすぐ庫裡があります。






            ▼特別公開ポスター。






▼斜めからの庫裡です。格子の小窓から玄関を一度覗いてみましょう。







▼三和土は広く大きな衝立が。







▼参道を行きますと、先ず茶亭遺芳庵、茅葺き屋根に大きな吉野窓。灰屋紹益と吉野太夫との好みの茶席だといいます。







▼西側庭園、偃月池を中心として作庭された庭園です。小堀遠州の作。

   





▼築山の凹凸と石を配した変化に富んだ作庭美が迫って来るようです。







▼観月台 (重文)。
 書院と開山堂をつなぐ渡り廊下の中心に檜皮葺きの四本柱で構成され、三方に唐破風をつけた屋根の下でお月見を愛でたそうですヨ。







▼書院と開山堂をつなぐ渡り廊下。この中央に観月台が設えられています。







▼築山のカーブが落ち込む偃月池。







▼方丈玄関。例によりここからは入れません。







▼方丈です。多くの拝観者はカメラをお庭へ向けてます。







▼二輪咲き始め。







▼方丈前庭。今日の盛り砂、砂紋は意識した不均衡か。正面は勅使門。







▼前庭から見た勅使門。







▼前庭東南方向の景観。







▼径5mはあろうかと……。







▼方丈扁額。







▼方丈仏殿。本尊釈迦如来がお祀りされてます。







▼脇の間の設え。







▼大宇遊龍襖絵。絵師はなんとか西京さん、どういう画家か不祥。







▼小さいけれど貫禄の中門を潜って開山堂へ。







▼開山堂参道。







▼開山堂 (重文)。高台寺第一世三江紹益禅師を祀る塔所。この方は先週の久昌院を開山された方です。







▼内部の天井彩色。天井、梁、長押、欄間と考えられる所総てに文様彩色が鮮やかです。







▼開山堂横に池が見えますネ……、







▼臥龍池です。







▼臥龍廊。開山堂と霊屋をつなぐ階段廊、今日は通れるようです。







▼霊屋山門。

               





▼霊屋 (重文) 右に太閤はんと左にねねさんを祀り、ねねさん像の下は墓所となっていいます。
 お厨子と須弥壇、框などに見える華麗な蒔絵装飾が高台寺蒔絵です。(写真は特別公開ポスターを複写)







▼ねねさん肖像。(写真は高台寺HPからお借りしました)







▼軒の垂木や組物の彩色、キンの金具で装飾されきれいです。







▼茶室傘亭 (重文)。利休意匠の茶席。







▼傘亭天井。まさに名前はここから。







▼こちらは二階建ての茶室時雨亭。傘亭と土間廊下で繫がっています。







▼茶亭から少し上った所、昨年整備された展望台から市街を。

 




            ▼散策路の竹林。







▼勅使門前を通って高台寺お暇です。                 







▼境内から祇園閣が見えます。高台寺スグ近くの大雲院と云うお寺の境内に建つ塔です。







▼御朱印です。







ねねさんの精神のあり方やその人となりを否定するとか、とやかく言う人はいませんネ。豊臣恩顧の武将たちもねねさんを慕い、あ
の江戸のタヌキでさえねねさん個人への援助を惜しまなかったと伝えます。女性としての魅力と人心掌握のテクニックが非常に長け
ていたと云えるかも知れませんネ。大坂夏の陣で炎上する大阪城を高台から見ていたと云うねねさんの心情、炎の中で豊臣滅びの美
学をどのように受け止めていたのでしょうか。

高台寺 オ シ マ イ

少し北へ歩きます。久し振りに湯豆腐などを戴きましょうか。






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建仁寺塔頭、久昌院。

2017年02月17日 | 京都の古寺巡り





(2017.02.11訪問)


聖護院門跡から東大路を一路南へ、前日の雪は東山をまだうっすらと白を残しています。寒い中歩きましたよ祇園まで。南へ下るほ
どだんだんと人が多くなり四条通と花見小路では人で溢れ歩きにくいったらアリャシナイ。
どこへ行くかと云うと建仁寺塔頭の久昌院です。久昌院では京の冬の旅20年ぶりに襖絵と書院茶席が公開中と云うことなので訪ねて
みました。




▼建仁寺勅使門。






[ 久昌院 ]
●寺号 久昌院 (きゅうしょういん)
●開基 奥平信昌 (おくだいらのぶまさ)
●開山 三江紹益 (さんこうしょうえき)
●宗派 臨済宗建仁寺派 (りんざいしゅうけんにんじは) 建仁寺塔頭
●開創 慶長十三年 (1608年)
●本尊 薬師如来坐像
▲京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町597番地 TEL.075-561-7074  
▲拝観料 特別公開期間中600円 御朱印300円 通常は非公開寺院
▲アクセス
 京阪電鉄「祇園四条」下車、四条通を東へ花見小路を南へ10分。




▼一番西側の参道を行きますと……、   

 




久昌院縁起 (久昌院パンフから抄出)
美濃加納城主の奥平美作守信昌が三江紹益を開基に迎えて創建した奥平家の菩提寺。久昌院の寺名は信昌の法号から名付けられたと
云われている。




▼参道沿い左に塔頭寺院久昌院の山門です。






            ▼門前の久昌院特別公開ポスター。






▼きれいに手入れされたお庭。正面は庫裡と玄関。







▼左に鐘楼。







▼お庭を通り左の拝観口を入るとスグ方丈です。あまり参拝の方はいらっしゃらないようですネ。







▼方丈前庭です。正面に放生池があり池泉鑑賞式庭園ですが、残念ながらお庭の散策は出来ません。







▼正面二段刈り込みの生け垣が目に留まるぐらいで、全く普通の庭園です。







▼左手塀の向こうに建仁寺法堂の大屋根が見えます。







▼方丈扁額。







▼奥に須弥壇が設えられた室中の間。本尊薬師如来はココに祀られています。(ズル写真です)

         





▼脇の間で特別公開の襖絵「長篠合戦図」が展示されています。が部屋が暗くて鑑賞に堪えません。
 奥平信昌の武勲を描く襖絵。江戸後期の大和絵の巨匠、宇喜多一蕙筆。(写真はチケットを複写)
 信昌は、長篠合戦で武田勝頼の猛攻から長篠城に一月籠城して守り武田勢を撃退した勇将。その功績で信長より信の一字を与えら
 れ信昌と改名した武将。
 






▼方丈外縁を通り裏側、方丈と渡り廊下で結ばれている書院高松軒に向います。が、写真はこの庭園でおしまい。
 兎に角撮影禁止は徹底しているようです。







▼ご朱印です。






建仁寺塔頭久昌院 オ シ マ イ





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聖護院門跡、本山修験宗総本山です。

2017年02月13日 | 京都の古寺巡り





(2017.02.11訪問)


なんと勿体ない、アホらしい休日の重なり、皆さん腹立ちません?
腹立ちまぎれに「京の冬の旅、非公開文化財特別公開」の京のお寺巡りに行って参りました。迷車大和路号はただ今入院中、よって
今日は京阪電車です。先ずまだ訪ねたことのないお寺、ありました聖護院門跡、聖護院の名はあの銘菓「聖護院八つ橋」しか知りま
せんでしたので、キット味のあるお寺だろうと思って訪ねてみました。




            ▼非公開文化財特別公開「第51回京の冬の旅」パンフ。






            [ 聖護院門跡 ]
            ●寺号 聖護院門跡 (しょうごいんもんぜき)
            ●開祖 役行者 (えんのぎょうじゃ)
            ●開山 増誉大僧正 (ぞうよだいそうじょう)
            ●宗派 本山修験宗 (ほんざんしゅげんしゅう) 総本山
            ●開創 寛治四年 (1090年)
            ●本尊 不動明王
            ▲京都市左京区聖護院中町15 TEL.075-771-1880  
            ▲拝観料 特別公開期間中600円 御朱印300円
            ▲アクセス
             市バス「京都駅」より206号で「熊野神社前」下車。ひとつ北の通りを東へ160メートル。
             京阪電鉄「神宮丸太町駅」下車、5番出口より出て大文字山に向かって徒歩750メートル。
             市営地下鉄「京都駅」より「丸太町駅」下車、市バスで「熊野神社前」下車。交差点のひとつ北の通りを東へ160メートル。




            ▼門跡寺院の貫禄か、立派な寺号碑がドンと。   

 




聖護院門跡縁起 (聖護院門跡HPから抄出)
天台第五代座主、智證大師円珍が、 熊野那智の滝に一千日篭居をされた後、熊野より大峰修行を行われました。その後大師の後を継
ぎ、常光院の増誉大僧正が大峰修行を行われ、 修験僧として名をはせました。この増誉大僧正は、寛治四年の白河上皇が熊野三山を
参詣する熊野御幸に際して先達を務められ、その功績によって聖体護持の二字をとり、 聖護院という寺を賜ったのが聖護院の始まり
になります。




▼山門。東大路と丸太町の一本北の道沿いに建っています。一間一戸、四脚門、切妻造、本瓦葺。
 延宝三年 (1675年) の大火で全焼した聖護院は創建当初の旧地に伽藍を再建。山門はこの時の建築で、平成十二年に修復修理された。
 (聖護院門跡HPから抄出)






            ▼聖護院特別公開ポスター。






            ▼山門の木札。






▼表玄関から宸殿への廊下にスモールねぶた。聖護院とどんな関係かは不明です。光を通すとホントきれいです。







            ▼屏風の菩薩絵なんですが何で描かれているか、この写真じゃ判らないでしょうネ。
             こたえ 刺繍です。凄いでしょう、雲のボカシは後処理です。







▼宸殿です。桁裄七間、入母屋造、銅板葺、二間向拝付。
 大玄関、孔雀、太公望、波の間等内部の部屋は十五を超え、狩野永納、益信筆による障壁画が130面にも及ぶ。宸殿は法親王が居
 住する門跡寺院の正殿である。書院作りの影響を強く受けているが、寝殿造りの形式を残し、宮殿風に造られている。
 (聖護院門跡HPから抄出)







▼宸殿仏間。(ネットからもらってきた写真です)
 中央お厨子に本尊?役行者、右脇侍不動明王立像、左脇侍蔵王権現がお祀りされています。
 須弥壇前で拝観出来ますので修験三仏をしっかり穴があくほど見させていただきました。






            ▼脇侍不動明王立像。(写真は聖護院門跡HPからお借りしました)

          




            ▼脇侍蔵王権現。(写真は聖護院門跡HPからお借りしました)






▼宸殿上段の間。天明の大火で御所が焼失した際光格天皇はこの部屋で政務を執行したと伝わるそうです。







▼宸殿上段の間の障壁画。







▼宸殿前庭。奥に見えるのは本堂です。







▼宸殿前庭。砂紋が全面市松模様、繰り返し文様ですが縦、横、斜めの線が曲線の砂紋と変わらず、不思議なリズム感があります。







▼砂紋を拡大するとこんな感じ。







▼白梅が満開近し。







▼夕べの名残雪。

           





▼宸殿の外縁。奥に見えるのは書院です。







▼宸殿。







▼宸殿と書院の雪が残る前庭。   



















 





▼書院。延宝四年に聖護院が現在地へ移転したとき、御所の建物が移築されたと伝えられています。







▼中庭。






            ▼蹲踞。






▼この蹲踞は雪の捨て場かナ。







▼聖護院の本堂です。不動堂とも呼んでます。桁裄五間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺。
 昭和四十三年に再建建替えられた。江戸時代の本堂と外観はほぼ同様である。主な法要は宸殿で行われており、本堂は加行道場と
 しての一面を持っている。(聖護院門跡HPから抄出)







▼内陣と須弥壇。






            ▼本尊不動明王立像と右矜羯羅童子、左制多迦童子。(ネットからもらってきた写真です)






            ▼役行者と前鬼、後鬼と左右に大峰八大童子の団体が祀られています。
             (写真は聖護院門跡HPからお借りしました)






▼本堂と十三重石塔。







▼長屋門。中央が通路で庫裏と山内レストランへ通じています。
 山門の中に建てられているため門としての役割はなく、土間、納戸として使用されていたそうです。






            ▼何が書かれていたんでしょうこの駒札。相当大きいものです。






▼ご朱印です。






聖護院門跡、味のあるお寺どころか、門跡寺院でありながら非常に骨太で貫禄のあるお寺です。役行者の流れで、山岳信仰に結びつ
く荒々しい行、修験道本山の名に恥じない豪快なお寺、今回公開された宸殿内部の高貴な美、障壁画の多面見ることができます。
仏像方々は山岳仏教に欠かすことの出来ない不動明王像をはじめ役行者像、蔵王権現像と仏歴は古くはないですが、多くの修験のお
像に会うことが出来ますヨ。
聖護院門跡 オ シ マ イ






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