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土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

常照皇寺、山寺の魅力がタップリ!

2017年03月27日 | 京都の古寺巡り





(2017.03.25訪問)


迷車大和路号は今日も京都の北西、国道162号さば街道またの名を周山街道を走っています。クルマは北へドンドン走り、京北町ま
でやってまいりました。そこから右折、そうです目指すは常照皇寺、あの悲運の光厳天皇が自ら創建し最後を迎えたお寺です。
南北朝争乱のどさくさで、南朝幽閉の身となり幾度も地獄を見てきた光厳天皇晩年に行き着いたお寺。イメージの暗さや、山寺にあ
りがちな寂しい感じ、菊の御紋のかた苦しさなどはまるでなく、実に明るいお寺の印象、それが地獄を見てきた光厳さんの遺志だっ
たのかもしれませんネ。




            ▼参道手前に建つ寺号石柱。






            [ 常照皇寺 ]
            ●山号 大雄名山 (だいゆうめいざん)
            ●寺号 常照皇寺 (じょうしょうこうじ) 正式名 万寿常照皇禅寺
            ●宗派 臨済宗天龍寺派 (りんざいしゅうてんりゅうじは)
            ●開基 光厳法皇(こうごんほうおう)
            ●創建 貞治元年 (1362年)
            ●本尊 釈迦如来立像
            ▲京都府京都市右京区京北井戸町字円山14-6 電話 075-853-0003
            ▲拝観料 志納 300~500円 御朱印300円
            ▲時間 9:00~16:00
            ▲JR京都駅から周山行き(JRバス)約1時間30分 周山から山国御陵前(京北ふるさとバス)約15分




▼参道入り口です。






常照皇寺縁起
北朝の初代上皇光厳さんが無範和尚として出家し、伴の道覚さんと山国 (今のこの地) を巡拝中、村人の厚意で無住の荒寺成就寺に案
内されます。二人は感謝を込めてその寺を改創、光厳さんは禅僧夢窓国師に帰依しているところから、臨済宗天龍寺派常照皇寺と定
め、その二年後崩御、この地に葬られました。現在の山国陵 (やまくにのみささぎ) です。




▼山門は簡素な造り。それでいて四脚門、切り妻、桟瓦葺。







▼参道石段。







▼緩やかな石段が続きます。どうです、山寺の雰囲気!







▼勅額門、切妻造、銅板葺のきれいな門です。







▼勅額門扁額。光厳上皇宸筆のレプリカです。
 コレヲアフゲバイヨイヨタカシ 孔子の德の高大無邊なるを贊したる言葉、昔の人はいろんな言葉を知っていますネ。







▼門はキレイですが、土塀は一部崩れかかっているようです。







▼勅額門を潜るとスグ右に碧潭池。放生池でしょうか、水が濁りきってます。島に建つ灯籠が妙に印象的。







▼勅額門正面に勅使門。これは使用出来ません。







▼庫裏手前に鐘楼。袴が今にも崩れそう。







▼庫裏。ここで入堂手続きですが呼べど叫べど返答なし、
 受付さんはどこかお使いに行ってるようですネ、それにしても不用心この上なし。







▼こんな扁額が掛かっています。







▼とりあえず拝観料を箱に入れて玄関から書院へ。ここは書院廊下。







▼四部屋続きの一部屋、紀綱寮と云うお部屋。意味深な衝立ですネ。







▼隣のお部屋、書院の書院の床です。さすが禅刹、理解不能のお軸。







▼廊下続きの方丈。茅葺き屋根は豪農の母屋てな感じ、とてもお寺のお堂には見えません。
 桁行五間、梁間五間、入母屋造、茅葺、銅板の下屋根付き。







▼方丈扁額。







▼方丈内部。今は開けっぴろげですが、部屋割りが出来るよう敷居があります。







▼天井下鴨居に設えられた珍しい仏壇です。






            ▼本尊釈迦如来立像。脇侍はおられません、お一人です。






▼方丈内から方丈庭園。見えるのは銘木、「御車返しの桜」







▼方丈前庭。左の樹が「御車返しの桜」一重と八重がひと枝に咲く珍しい桜。      













▼方丈裏手には小山を利用した、方丈庭園が広がっています。







▼方丈庭園。                                   



















▼方丈。







▼方丈から開山堂への渡り廊下。







▼開山堂 (怡雲庵)。







▼開山堂前の銘木二種、左は左近の桜、右は九重桜、これは天然記念物の桜。
 桜は花を見るに越したことはなく、ピンク鬱蒼を想像してみてください。花のシーズンの人出、相当なものらしいです。







▼怡雲庵 (いうんあん) 開山堂扁額。







▼開山堂外陣と内陣。







▼内陣の扁額。







▼奥の須弥壇上にお坐りが……、







▼開山光厳法皇の木彫像。非常にリアルで怖い。







▼前方右には、この方も。何方かは不詳。







▼外陣天井下鴨居に設えられた珍しい仏壇には釈迦三尊が祀られています。
 このお寺、鴨居に仏壇を設えるのがお好きなようで……。







▼外陣両脇の天井下に羅漢さんが並んでいます。                    













▼いくらか堂形がよく見える右前から開山堂。桜花、青葉になるとお堂は見えません。







▼開山堂横に白梅が最後の息吹か。                          













▼フロク 裏の高台から見た方丈と開山堂です。






南北朝の争乱期に創建されたお寺で、寺歴は七百年弱ほどにも関わらず、その数々の艱難辛苦の跡がニオイとして感じますが、息苦
しさや暗さとは違い、実に明るいお寺の印象。伽藍は書院と方丈と開山堂のみですが、七百年のエッセンスがギュッと詰まった魅力
タップリのお寺です。約一時間余りお寺に居たんですが、今このお寺にいるのはボク一人でしょう。結局ご朱印は頂けませんでした。
そうそう、今まだ蕾固しですが、ここは桜三名木がもうすぐピンクに染まるシーズン、是非驚きに来て下さい、凄い桜らしいですヨ。





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轉法輪寺、ここにもビックリビッグな阿弥陀さんがおられますヨ。

2017年03月25日 | 京都の古寺巡り





(2017.03.18訪問)


まあなんと上には上があるもんで、ココ轉法輪寺にもビッグな阿弥陀さんがおられるんです。
西寿寺から元来た道を戻り仁和寺の東の道を左折、そして右折、そして左折するとそこに轉法輪寺があります。このお寺歴史は江戸
期と新しいのですが、凄いお寺なんです。何が凄いのか、本尊阿弥陀さんが、お堂からはみ出さんばかりの大きさなんです。




▼本尊阿弥陀如来ですが、皆さんご覧になられて大きさは、どれくらいの像高だと思われますか。






            [ 轉法輪寺 ]
            ●山号 獅子吼山 (ししくさん)
            ●寺号 轉法輪寺 (てんぽうりんじ) 通称関通さん
            ●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう)
            ●開基 関通上人 (かんつうしょうにん)
            ●開山 岱中良定 (たいちゅうりょうじょう)
            ●創建 宝暦八年 (1758年)
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲京都市右京区龍安寺屋山田町2 TEL. 07-464-2668
            ▲拝観料 境内自由 朱印 300円
            ▲時間 10:00~16:30
            ▲ http://www.geocities.jp/tenpourinji
            ▲嵐電北野線「御室駅」または「妙心寺駅」下車 徒歩約12分
             市バス26系統 「御室仁和寺」バス停下車 徒歩8分
             市バス59系統 「塔の下」バス停下車 徒歩5分




            ▼寺号標。






轉法輪寺縁起 (轉法輪寺HPから抄出) 
當山開基、関通上人は洛陽にある轉輪寺におられ、專修念佛の法門を説いていましたが、その地の狭隘を感じ寺地を探しました。そ
んな時一条通りの突き当たり北野の地に気づき「この所こそ求むる西方にして、究竟一乘の浄土門弘通に最も適せる勝地なり」宝暦
六年、円通寺というお寺を譲り受け、彼と此との寺名を換えて、そこに轉法輪寺を創建。宝暦八年四月、堂宇の竣工と本尊阿彌陀如
來の新彫成り開眼供養並びに入佛大會の法要を勤修、ここに轉法輪寺の歴史が始まります。




▼駐車場からスグのこの山門を潜ります。






            ▼左右に二石柱その一、大界外相 「聖と俗の結界であるぞ」






            ▼その二、「殺生禁止、臭きもの、酒肉ここより入るべからず」






▼山門は重層の鐘楼門。竜宮門で白漆喰の袴部分の大きいこと。
 吊られている梵鐘、高さ九尺、直径四尺二寸、重量一千貫。適当に換算してみて下さい、相当大きな梵鐘です。







▼扁額は山号が書されています。







▼山門トンネル。







▼上を見上げると重量一千貫の梵鐘が、ゾクッとしますよ。







▼トンネルを抜けると境内です。







▼お庭です。境内は広くはありませんが、きれいに手入れがされています。正面が本堂です。







▼お庭の今の色気はこの花、満開です。

            





▼本堂全景撮れないのがヘタな証拠。

     





▼扁額は寺号。







▼さて本尊阿弥陀さんです。像高750cm、寄木造、仏師不祥、宝暦八年1758年造像。







▼西寿寺本尊にも驚きましたが、この阿弥陀さんにはもっと驚きますよ。デッカイなにしろデッカイ。丈六どころではありません、
 なんと坐像で像高二丈四尺、7.5mですよ、もしこの阿弥陀さんお立ちになると15m、長谷の観音さんより背が高いことになりま
 す。ヒョットして日本一の木造仏像? 御室大仏と云われる由縁です。







▼阿弥陀さんのお顔。ウ〜ン言葉が出ません。







▼この本尊木造に見えます? ボクはてっきり金銅製と思ってお聞きすると木造とのこと。間際まで寄ってみましたが木造には見え
 ません。特殊な塗料の上塗りがあるそうで、こういう質感が出るそうです。
 像形に大きな特徴があります。衲衣の着方が両肩を覆う通肩。通常は右肩を出し左肩だけ掛ける偏袒右肩が多いですネ。そして衲
 衣の皺が翻波式の見本のようで見事です。






            ▼釈迦涅槃図。年二回公開されるそうで、今は特注の桐箱に納められています。
             縦5.3m、横4.9mの大作。(写真はネットからもらってきました)






▼本堂後堂には袴を付けた阿弥陀如来立像がお立ちです。実はこの阿弥陀さん裸で○ん○ん丸出しだそうで、あんまりなので袴を付け
 てるそうです。
 裸形阿弥陀如来立像。日本で五体の一体だそうです。像高90cm、一木造、仏師賢問子、江戸時代。







▼庫裡玄関。こちらでご朱印を頂きます。







▼ご朱印です。






轉法輪寺 オ シ マ イ。

このお寺は、檀家の方々が檀那衆で、持ち回りでお寺の運営や管理をされているようで、今日もお彼岸法会の準備で多忙な中、お相
手をして下さり、本堂隅々まで案内説明をして頂きました。ありがとうございました。
兎に角木造仏でこれだけの大きな座像は、初めて拝見したように思います。京都北山周辺は小さなお寺が多く甍を並べていますが中
にはこんなビッグな仏がいらっしゃるとは……、小は大を兼ねる? 見本のようなお寺でした。





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西寿寺、見事な阿弥陀さんに会えますヨ。

2017年03月23日 | 京都の古寺巡り





(2017.03.18訪問)


等持院から次に訪ねるのは尼寺です。きぬかけの路から西へ、龍安寺、仁和寺の前を通り、福王寺の交差点を国道162号へ入ります。
小浜に通じる正真正銘の旧さば街道、クルマの量は半端じゃなく街道と云うイメージはもはやありません。2~3キロ走ると神護寺、
高山寺へと続く道を1キロほど行き山手に入ると目指す西寿寺があります。堂宇も本堂だけの小さなお寺なんですが、ビッグな阿弥陀
さんが祀られて尼寺と云う柔な印象はありません。




▼山門。






            [ 西寿寺 ]
            ●山号 泉谷山 (いずみだにさん)
            ●寺号 西寿寺 (さいじゅじ)
            ●宗派 浄土宗世捨派 (じょうどしゅうよすては) 尼寺
            ●開基 北出嘉兵衛 (きたでかへえ)
            ●開山 岱中良定 (たいちゅうりょうじょう)
            ●創建 寛永四年 (1628年)
            ●再興 明治十二年 (1879年) 阪飯田弥兵衛、颯田本真尼
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲京都市右京区鳴滝泉谷町16 TEL. 075-462-4851
            ▲拝観料 境内自由 朱印 なし
            ▲時間 10:00~16:30
            ▲http://saijuji.jp/
            ▲嵐電「等持院駅」下車 徒歩約10分




            ▼六字名号碑。






西寿寺縁起
寛永三年 (1627年) 岱中良定上人に帰依した北出嘉兵衛が、岱中を招請開山とし、念仏三昧道場として開いたという。
万治元年 (1658年) 五世単誉愚故上人は本堂を建立し中興。万治二年 (1659年) 甲賀の新宮大明神社の本地仏を当寺に遷し本尊として
安置。寛延年間、現在の本堂が再建される。明治元年 (1868年) 神仏分離令後の廃仏毀釈により廃寺になるも明治十二年 (1879年) 阪
飯田弥兵衛、颯田本真尼により再興された。




▼簡素で優し気な山門ですネ。







▼なだらかな石段参道を行きますと……、






            ▼わらべ地蔵ちゃんが迎えてくれます。






▼石段の上、こじんまりした境内です。左に本堂、中央が庫裏です。







▼振り向くとけむっていますが市街一望です。







▼右手に鐘楼。







▼左に三重の石塔。どこかで見た記憶が、滋賀石塔寺の阿育王塔を模した塔です。







▼こんな石仏がところどころに。







▼本堂。重層、桁行三間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。寛延年間に再建。    
 屋根の大きさがまるで違いますが、どこかバランスがうまくとれているユニークな形状ですネ。入堂は向かって右の障子戸から。













▼本堂扁額。

            





▼本堂前面。

     





▼向拝軒の龍彫刻、玉眼が嵌っています。







▼本堂上層です、面白い雲形窓ですネ。







▼本堂内陣の扁額。







▼本尊阿弥陀如来坐像。
像高276cm、寄木造、漆箔仕上げ、金箔は後補。仏師不祥 (円派仏師により造仏された伝わる) 承安二年 (1172年) 造像。
丈六の弥陀と呼ばれているそうで、阿弥陀定印を結び、結跏趺坐しているビッグな本尊です。







▼阿弥陀さんのお顔。半眼の深い眼差しは静かな祈りの世界そのもの、自ずと畏敬の念がわき上がるようです。







▼本尊。







▼本堂。







▼玄関と中庭。







▼書院と庭園。







▼庭園。







▼蹲踞の機能を果たしていない変な蹲踞を見ながら、



西寿寺 オ シ マ イ。



久々に印象強烈な阿弥陀さんに会えました。造像年代とお寺の創建年代にかなりの差があるので、どこか他のお寺から移坐されたんで
しょうが、それにしてもお顔を含めて全身の漆箔は見事に残り、850年の径時を感じない見事な阿弥陀さんでした。       合掌





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等持院、夢窓国師のお庭、存分に楽しみました。

2017年03月21日 | 京都の古寺巡り




(2017.03.18訪問)


迷車大和路号は、きぬかけの路を走っております。
きぬかけの路、何とも風流な名前、一説にはその昔、仁和寺を創建した宇多法皇が真夏に雪景色を見たいと山に白絹をかけ、雪山に
見立てたという風流な故事からその名がつけられたと云い伝えられているそう。その衣笠山の麓の風流な路沿いは寺院などが建ち並
ぶ歴史街道。東に行けば金閣寺、等持院、西に行けば龍安寺、妙心寺、仁和寺など有名寺院が甍を競っています。大半はすでに訪ね
た古刹ばかりですが、今日は先ず等持院を訪ねてみました。




▼表門。






            [ 等持院 ]
            ●山号 萬年山 (まんねんざん)
            ●寺号 等持院 (とうじいん)
            ●宗派 臨済宗天龍寺派 (りんざいしゅうてんりゅうじは)
            ●開基 足利尊氏 (あしかがたかうじ)
            ●開山 夢窓国師 (むそうこくし)
            ●創建 暦応四年 (1341年)北朝年号
            ●本尊 釈迦如来坐像
            ▲京都市北区等持院北町63 TEL. 0745-461-5786
            ▲拝観料 500円 朱印 300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲嵐電「等持院駅」下車 徒歩約10分




            ▼等持院木札。






等持院縁起
足利将軍家の菩提寺。暦応四年足利尊氏が夢窓国師を開山として創建。尊氏の死後その墓所とし、その後足利家歴代の菩提所となる。
庭園は東西に分かれ、西の庭は芙蓉池と称し衣笠山を借景にした池泉回遊式で、いずれも夢窓国師作庭と伝わる。芙蓉池北側に八代
将軍足利義政好みの茶室清漣亭がある。霊光殿に歴代将軍の木像を安置している。




▼書院玄関。







▼庫裏。切妻造、本瓦葺、江戸時代。







▼等持院スターの出迎え。天龍寺元管長で等持院の住職でもあった関牧翁禅師の作。







▼書院。向こう側煙出し櫓のあるのが庫裏。







▼書院の間から庭園芙蓉池の額縁。







▼書院の間を通しで見ると。







▼方丈北庭の芙蓉池。池泉回遊式西庭園、夢窓国師作庭と伝わるそうですが、ほとんど当初の姿はないそうです。







     





▼中之島にかかる石橋。







▼書院と方丈を結ぶ渡り廊下。







▼方丈 。
 桁行九間、梁間五間、入母屋造、桟瓦葺。元和二年(1616年)に豊臣秀頼再建。
 今の建物は妙心寺塔頭の海福院客殿を文化九年(1812)年に移築。

            





▼方丈扁額。

     





▼方丈仏間。本尊釈迦如来坐像が祀られています。







▼方丈前庭。枯山水庭園。     













▼霊光殿。







▼霊光殿扁額。







▼お庭の中程に足利初代将軍足利尊氏の宝篋印塔。
 足利尊氏の墓と伝える室町時代の宝筐印塔、塔高1.5m、基壇が四重に重ねられ、台座銘文は「延文三年四月等持院殿贈太相国一
 品仁山大居士」と刻されている。ちなみに等持院殿とは尊氏のこと。







▼池泉回遊式東庭園の心字池。夢窓国師作庭。



















      





▼庭園を巡る回遊路もキレイに整備されています。






            ▼十三重石塔。足利十五代供養塔、塔高5m、十三重石塔、室町時代。
             下から基壇、方形の基礎石、一重の笠石、さらに方形の基礎、12重の笠石、上に相輪。
             見た目、基礎部が二重なので、高過ぎの不安定感があります。






▼わびすけの大樹。有楽椿、樹齢は400年以上。秀頼の再建時に植えられたそうです。

 





▼花はほとんど落花。







▼清漣亭。芙蓉池の北の丘に、足利義政が康正三年(1457年)に建てたという茶室清漣亭。







▼蹲踞。







▼清漣亭。







▼清漣亭二畳題目の席。







▼土壁抜き窓のオシャレなこと。







▼表門の外側に鐘楼がありました。







▼ご朱印です。






京のお寺に伽藍の覇や仏像を初めとする古美術に期待して訪ねると少々ガッカリ。その代わり鎌倉から室町時代には名僧がお庭を造
ると云うはやり(流行)があったようで、庭造りも修行の一つと云い、特に禅刹にはお庭の美を競う意識が大いにあったのではないか、
と思うほど京の禅刹には名庭が多い。夢窓国師も名僧であり名作庭家、天龍寺やココ等持院の作庭にも関わりがあったと云う人物、
その名僧が造った池泉回遊式庭園、シーズンオフの今は、隠すもの隠れるものなく、お庭全体の景観や池の形など今日は存分に楽し
ませて頂きました。

等持院 オ シ マ イ





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光悦寺、希代の天才本阿弥光悦の名が残るお寺です。

2017年03月09日 | 京都の古寺巡り





(2013.03.04訪問)


「悟りと迷い」から一気に庭園の美へ。源光庵から歩いて三分、稀代の天才本阿弥光悦の名が残る光悦寺へ向かいます。日蓮宗光悦
寺、れっきとしたお寺なんですが、境内に入るとまるで印象は別、堂宇は本堂のみで広い境内は全てがお庭なんです。ボクには入園
料を払ってお庭を愛でる所と云う印象。日蓮さんのあの厳しい眼差しを感じることはありません。




▼楓の参道は、青葉、紅葉の頃を想像しながら歩きましょう。






[ 光悦寺 ]
●山号 大虚山 (たいきょざん)
●寺号 光悦寺 (こうえつじ)
●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう)
●開山 日慈上人 (にちじしょうにん)
●創建 明暦二年 (1656年)
●本尊 十界大曼荼羅。
▲京都府京都市北区鷹峯光悦町29 電話 075-491-1399
▲拝観料 300円 朱印 300円
▲時間 8:00~17:00
▲京都市バス「四条大宮6系玄琢行き、源光庵前下車 徒歩3分




▼参道。






光悦寺縁起 (光悦寺パンフより抄出)
元和元年 (1615年) 鷹峯一帯を徳川家康が本阿弥光悦に野屋敷として与えた土地である。光悦は一族縁者をはじめ、種々の工芸に携
わる多くの職人とともに住居を構え、光悦を中心として工芸村を営んだ。同時に本阿見家先祖供養の霊屋として位牌堂を設けた。光
悦没後、寺として日蓮宗光悦寺となり今日に至っている。




▼山門。季節で表情が変わる額縁景観は期待出来そうですネ。







▼茅葺屋根の鐘楼は珍しいですネ。







▼合掌造りの屋根裏を想像してしまいます。梵鐘重量に耐えるのかしら。







▼本堂なんですが全景を撮るアングルが見つかりません。







▼本堂前面は障子です。







▼山号の扁額。







▼本堂内陣ですが本尊十界大曼荼羅を見ることは出来ません。正面に僧侶像が見えますが、開山日慈上人でしょうか。
 ココまでは一応お寺の印象。







▼庭園へ第一歩。茶席妙秀庵への枝折り戸がオシャレです。

     





▼境内が回遊式庭園でこんな小道が巡っています。







▼竹をクロス網した垣根、これが光悦垣。または臥牛(ねうし)垣とも呼ばれているそうです。







▼茶席三巴亭の土間から。    



















▼茶風流に脱帽、竹の樋。







▼回遊路の一部のよう光悦墓所への参道。







▼本阿弥光悦の墓所。墓石には七字名号が刻されていますが、殆ど読み取れません。



本阿弥光悦の人となりを少しばかリ
安土桃山~江戸時代の芸術家、刀剣の鑑定をはじめ工芸を家業とした本阿弥家に生る。家業を通じて幼い頃から優れた工芸品に触れ
卓越した美意識を養い、貴族社会とも通じ、京都で活躍の幅を広げていった。、書画、蒔絵、漆芸、作陶、茶の湯に秀で、古田織部、
織田有楽斎を師に、千宗旦と交遊。元和元年家康から鷹峯の地八万坪を与えられ、工芸職人とともに移り住み芸術村を開く。





▼茶席大虚庵。光悦はここで亡くなったといいます。







▼回遊路。







▼茶席本阿弥庵。







▼本阿弥庵の茶額。







▼茶席了寂軒。







▼まさに古池。何かが出てきそう、おおこわ。







▼光悦垣の向こうは茶席大虚庵。

 





▼鷹峯三山のうち二山。写真は左鷹ヶ峯、右鷲ヶ峰。



境内周辺は山に囲まれ、北には愛宕山、南には鷹峯三山を望み鷹峯、鷲峯、天峯が借景となる贅沢な庭園です。この鷹峯三山の山容
は花札「八月芒」の元になったとも云うそうですヨ。





▼ご朱印です。






古寺散策、特に伽藍をはじめ古建築の美や仏像など古美術を求めて古寺を歩いている方には、このお寺は期待外れでしょう。しかし
庭園の美を求めて止まない方々にとっては、さすが光悦の庭と喝采間違いなし。禅刹の研ぎ澄まされた枯山水のお庭、大寺院の池泉
回遊式のお庭とは全く趣の違うお庭を見ることになります。本阿弥光悦の風流と云う言葉だけでは表せない高度な感性が、広いお庭
に点在する茶席七席に凝縮され、ここから書画、蒔絵、漆芸、作陶、茶の湯へと昇華されて行ったのでしょう。
アートなコミュニティーを形成した芸術村も、その片鱗は光悦寺の庭園として残るのみ、時の流れのなんと薄情なことでしょうか。

庭園寺院光悦寺 オ シ マ イ





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