裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

お芝居のはなし

2009年10月06日 09時12分52秒 | Weblog
と、いうわけで、まだまだ素人の演技論はつづくわけですが。
内藤剛志、大杉蓮、西村雅彦。
さて、この中で演技のうまいのは誰?
彼らはきっと舞台映えをする俳優なのかもしれないけど、スクリーンの中におさまると、どうしてもその大仰な芝居が鼻についてしまうのですよ、オレだけなのかな。
舞台では、声を張って後ろや隅のほうのお客さんにまでセリフが届くようにしなきゃなんないんで、自然とそんな発声法になります。
また「カメラ切り替え」による場面転換というものがないんで、演者の視線の動きで観客の意識を誘導するという技術が必要になってきます。
役者AがBと話し、そののちCに視線を移すという動きは、これからCが何事かを演じはじめることを示唆してます。
喜びを表すなら大げさに笑顔をつくらなきゃならないし、がっかりするなら「一目でそれとわかるように」肩を落とさなければならない。
でなきゃ、観客の意識がそこに向かないし、伝わらない。
すべての動きに意味を持たせ、そのひとつひとつが展開や感情表現の説明を担ってるわけです。
無駄な動きを削いで、必要な約束ごとだけを残し、物語は構成されてるのです。
それが、リアリティを求める映像芝居に持ち込まれると、むしろ説明的になりすぎ、不自然に見えてしまいます。
上で並べた三人は名優さんなのかもしれないけど、オレはどうしても彼らの声が、今話しかけてるはずの相手登場人物に対してというよりも、こちら(観客)に向けられたセリフ、と聴こえてしまうのですよ。
そして、芝居がわかりやすすぎる。
実世界では、人間は無駄な動きに支配されてるのです。
その「無駄なのに必要な動き」というリアリティが、舞台で育ったひとにはなかなかむずかしいのですな。
「ゴッドファーザー」のあるシーンで、マーロン・ブランドは額に苦渋のシワを刻み、万やむを得ずといった震える声で決断を下すわけですが、そのとき彼はなんと、ポリポリと耳をほじりながら殺しの指示を口にするのです。
どんだけ生々しく、どんだけ怖いか、という話ですよ。
芝居をしたことのない一視聴者の意見、つか「印象」を聞いてもらいました。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
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