裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

快適

2009年10月02日 03時16分11秒 | Weblog
沖縄で滞在した部屋ではクーラーを停め、窓を開けて風を入れて過ごしました。
岩礁と白砂の海を渡ってきた風は人工の冷気よりも心地よいし、そもそも下随筆でつづったとおり「空気を吸うために島まできてる」わけなので、わざわざ科学的に合成された「東京都と同質の空気」は必要ありません。
クーラーは快適を求めて発明された装置だけれど、さらなる快適を求めると、クーラーすらいらなくなります。
ただそれには、島までいかなきゃならないけどね。
ところで。
「温室効果ガスを25%さくげん!」
と総理大臣は息巻いてます。
それは人類をふくむ生態系の永存、地球環境保全の担保、なんて気宇壮大な思想が背景にあるんで、ムチャでもなんでも必ずやり遂げねばならん最低限の条件、みたいです。
がんばりましょ。
練馬区のわが家では、生活スペースには冷暖房もろくなものがないし、たいした電化製品も使わないし、自分が今いる場所以外の電気は消してるし、国家から「もっとさくげんしろ」と命ぜられれば、「うるせー、バカ。てめーの指図は受けねえ」とは思いつつも、より一層の手間をかけるにやぶさかではない。
暑けりゃ、はだかんぼで過ごせばいいのだし、寒くなったら、セーターを着込んでクッションにからだをうずめればよろしい。
夏は窓を開けて畑を渡る風を、冬は日光を取り入れれば、けっこう快適に過ごせます。
しかし人間とは欲深いもので。
もっと快適に、もっと快適に、もっと、もっと・・・と、どこまでも「テクノロジーによる心地よさ」を求めたくなるようです。
消費者がみずからそれを求めて生産者を突き上げてるのか、生産側の競争意識が消費者の欲求をあおってるのか、どっちかはわかんないけど、とにかく現代人は「ほんの少しの不快感も許さない」ところまで快適の精度を極めようと血道を上げてます。
その結果、地球が具合を悪くしてるわけ。
快適に過ごそうとするための営みが、逆に快適な環境を奪ってるという矛盾は、なかなかシニカルな構図ではあります。
しかし逆に言えば、もっかい「快適さに執着することがそれほど重要なのか?」というところに立ち返れば、むしろ、より快適に過ごせるようになるんじゃないか?というロジックが成り立つわけですが、いかがでしょうか?
つまりそういうことを、ハトヤマさんは深いところで言わんとしてるのだと、ぼくは信じたいです。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
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