裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

陸前高田ボラ紀行・5

2011年10月03日 09時58分30秒 | 被災地ルポルタージュ
ボランティアセンターに、スコップやネコなどの装備を返却し、さて、今夜の寝ぐらさがし、となる。
陸前高田には、ボランティアたちが無料で寝泊まりできる公共の施設「住田基地」がある。
・・・と、ネットに出てたので、そこにたどり着かなきゃならない。
ラッキーなことに、現場まで乗っけてもらったワゴンのおっちゃん二人組が、住田基地を拠点にしてるというので、再びご一緒させてもらうことに。
基地は、ボラセンからさらに30分ほども山深くに入った場所にある。
基地の周囲数キロ圏には商店もなにもないので、途中、街道に一軒きりのスーパーで、今夜と翌日分の食べ物、飲み物を買い出しし(このあたりも、ボランティアはすべて自己責任で準備する。そして、ゴミはすべて持ち帰る)、さて、基地着。

そこは、元小学校で、その後に公民館に改築されたらしい、けっこう立派な建物だった。
おっちゃん二人組は、校庭でテントを張り、数日間、そこをベースキャンプにして動いてるという。
小雨模様だったが、テントの外で煮炊きをし、折りたたみイスでくつろいで、実にフリーな雰囲気だった。
こんな生き方もいいなあ。
オレはというと、基地事務局で簡単な手続きをすませ、ホールのようなところで小さな一区画を確保し、テリトリーとした。



まだ誰も帰ってきてないので、施設内の探険開始。
キッチンルームがあって、冷蔵庫には「地元のひとたちが差し入れてくれる」食材が入っており、自由に調理していいらしい。
トイレも水洗、洗濯機も数台あり、使用自由。
即席に設置されたらしきシャワールームや、驚いたことに、風呂場まである。
ボランティアで滞在した器用な人物が大工仕事で建てた、と聞いたが、実に本格的なつくりで、恐れ入った。
こんな快適さは想像してなかったので、逆に拍子抜けする。

事務局の気のいい人物に、「お風呂に入りな」と声をかけてもらったので、試してみた。
実によろしく、まるで温泉場にきた気分。
湯舟で知り合った20代のワカモノは、長崎から三日間も車を走らせて、ボランティアに参加してる、という好青年。
職場の考え方が寛大で、「そういうことなら」と、盛大な休暇をもらえたらしい。
お互いに経験してきた現場の情報を交換したり、思いを語らったり、いい裸の付き合いができた。
こういう会話はたのしいし、気が引き締まるし、力になるね。
風呂から上がると、各現場から徐々にボランティアたちが帰ってくる。
数人で参加してる組もあるが、一匹狼が多い。
みんな、驚くべき多方面から参加してる。
埼玉、東京、京都、奈良、岡山、山口、沖縄・・・
誰も彼もが屈強の勇者・・・というわけでもなく、普通に生活を営む市井のひとだ。
日本人の意識の高さと、強い思いには、誇りを感じるよ。
ひとりひとりに気さくに話しかけ、仲間の輪をひろげてく。
この基地には、なんと「飲酒コーナー」まである。
極めて禁欲的で、ぴりぴりと緊張感がひしめいてた、前回のRQベースキャンプ(石巻・河北地区)とは、えらく雰囲気がちがう。
酒盛り場ともいうべきその場を取り仕切るオモロい「関西のオッサン」がいて、「おう、おまえも、どや?いける(酒を飲める)顔つきやないか」と誘ってくれる。
完全な酔いどれのクチで、面倒なことになりそうな予感もあるのだが、これが実に興味を引く酔漢なので、思いきって飛び込んでみた。

「おう、なんでも食え。酒もおごりや。なんぼでも出してきたるで」
この特殊な人物は、基地内に自分専用の酒庫を確保してるらしく、酒もツマミも多種多彩、無尽蔵に出してくれる。
住友金属かなんかを定年退職し、数ヶ月の単位でここを住み処にし、毎日、被災現場に通ってるという。
浪曲師のようなダミ声で、語り口は昭和時代の漫談師、といった風情のこのオッサンは、酒の場でのオレの心のお友だちとなった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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