裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

ボランティアレポート・千葉、鋸南町2

2019年09月28日 08時45分13秒 | 被災地ルポルタージュ
偶然に拾ってもらったバスに運ばれ、鋸南町の役場についた。
庁舎の外に「受付」が設けられていて、よその地域の役所から派遣された応援部隊が、ボランティア募集の対応に当たっている。
・・・かと思いきや、そこの係と思われるブスに声をかけてみると、「ボランティアの募集は12時で終了となりました」と言う。
時計を見ると、12時7分だ。
その場に並んでいたボランティア希望者数人も、帰れ、と言われて当惑している・・・というより、容赦のない対応にあきれ返っている。
クソ役人風情がっ!
・・・という言葉は飲み込み、「いやいや、いいじゃん~、おまけしてよ~」のトーンで手続きを促すと、しょうがないわね、の対応で受け入れてくださった(しねっ、ブス)。
さて、手続きを終えると、例の「マッチング」というやつだ。
被災者からいろいろな要望が届いているので、そのニーズに応じられる人員を束ね、現場に向かわせる作業だ。
被災者サイドは困窮しており、ボランティアサイドは助けたい気持ちに燃えている。
それを出会い系のようにマッチさせるのが、マッチング作業だ。
しかし、被災者の多様な要望に対して、ボランティアの手はまったく足りていない。
この状況を目にしていて、よく「12時でおしまいよ」とか言えるよなあ、やっぱ役人の根性ってすげえ。
さてオレだが、具合いよくそこにいた男子三人でチームを組み、吹っ飛ばされたトタン屋根の撤去、という現場をまかされた。
「日高屋(ラーメン屋)の工場で麵を打ってます」という、見るからに麵を打っていそうな気のいい兄ちゃんを相方に、ひたすらトタン片とガレキを軽トラまで運び、荷台がいっぱいになると、もうひとりのおっさんが処分場までピストン輸送する。
トタン屋根といっても、金属製の重厚なシロモノで、一枚がタタミ二畳分ほどもある。
それだけでなく、周囲に散乱した鉄骨やら看板やらも処分しなければならない。
集めたガレキは、金属と木材とプラ他に分別する(日本人はこのへんがエラい)。
次なる台風が列島に近づいていて、ものすごい強風吹きすさぶ中での重労働だ。
「海沿いのこのへんは、いつもこんな風だよ」と、なぜかお隣に住んでいるというチャラいおっさんが横にいる。
「だけどあの夜は、一晩中、竜巻の中にいるみたいだったよ」
このひとはさっきまで、洋館のような自分ちの屋根の修繕をしていたのだ。
軽トラを待つ手持ちぶさたの時間に、こっちから「手伝いますか?」と声をかけたところ、「いや、終わったんで、そっちを手伝うわ」と降りてきてくれたのだった。
この変人が、横倒しになった鉄柱を見て、よし、これを片付けよう、と言い出す。
いろんな電線がまだ地中につながっており、素人が手を出すのは危険極まりない。
「いや、鉄柱をこっちに振って揺すれば、引きちぎれるはずだ」などとのうのうとのたまう。
オレは電線を巨大ペンチで切ろうとして感電死しかけたことがあるので、必死に止めた。
そうこうするうちに、このおっさんもチームに紛れ込み、要望先の家屋(つまりお隣さん)のタタミ上げや家具の移動を手伝ってくれるようになった。
ボランティアとは、こうしたお節介焼きの集団なのだ。
困ってるひとを見ると、手伝わずにはいられないのだ。
なかなかいいチームが形成されたもんだ、とちょっと気分がよくなってくる。
いい働きもできたし、今夜はいい酒が飲めそうだ。
・・・と、帰りの電車に乗ろうと駅にたどり着くと、一時間半に一本の電車は、出たすぐ後なんであった。
無人駅でぼんやりと次の便を待つしかない。
すると、目の前に座ってるきれいなお姉ちゃんに話しかけられた。
文化放送の記者兼キャスターだという。
ヒマつぶしにインタビューを受けた(このひともヒマなのだ)。
「なぜボランティアを?」
「苦しんでるひとを見ると、こっちも苦しいし、うれしがってくれるひとを見ると、こっちもうれしいんで」
そんな一日目だった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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