裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

ニホンゴ

2009年07月09日 08時58分24秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
「向こうから、全身火だるまの女性がね、歩いてきたの」
という目撃者のインタビューが、ニュース映像でくり返し流されてます。
ハローワークの職員が、相談にきてた人物にガソリンをかけられ、火をつけられた事件ね。
で、「『どうしたの?』って訊いたら、『火をつけられた』って言うの」
そんな会話ってありえます?
火だるまですよ、相手。
どんだけのんきなひと?
その前に、まず火を消しますよね。
そして相手の容体の確認をして、それからですよね、情報交換の会話。
あるいは、実際にそんな会話が交わされたのかもしれないけど、その物言いではほんの少しも切迫感が伝わらない。
少なくとも、取材側が欲しい証言じゃない。
「どーん、って音がして、家から出たんだよ。はだしのまんまさ。びっくりしたなーもー」
飛行機が近くに落ちたりしても、こんな稚拙な説明が多い。
そうじゃなく、音の質とか、揺れとか、その直前や直後に何を感じたかとか、そういった現象や心象を描写しなさいよ。
家から出たとか、はだしとか、あんた自身の描写は必要なくないですか?
アンタッチャブル(漫才コンビ)のネタに、こんなのがあります。
「あなたが第一発見者ですね?」
「はい、殺人現場を目撃しました」
「そのときの模様を、再現してもらえませんか?」
「わかりました。やってみます」
「お願いします」
「(木に隠れる芝居)えっ?ああ、まさか・・・そんな・・・え?ええーっ(うろたえる)」
「おまえの様子を再現してんじゃねーよ!」
・・・つまり、殺害現場の再現でなく、自分がびっくりした様子を捜査官に再現してみせる目撃者、というボケですが、実際のインタビュー映像でも、このネタと大してかわりはない。
目撃した光景を実況するとか、自分が遭遇した事件の模様を言葉で伝えるという作業が、日本人はあまり得意ではありません。
日本人の説明能力・・・というか、国語力の稚拙さってのは、こういったインタビューで露骨に浮き彫りになります。
それは、イマジネーションの不足と、レトリックの貧困からきてます。(あと、デッサン力のなさね)
こんなことで、いざ世界を相手に交渉、ってとき、大丈夫なのか?
アメリカのドキュメンタリー番組とか観てると、市井の人々のその冗舌と、言語表現の豊かさ、奥深さ、言葉の理解度、さらに語る相手への配慮、そしてウイットや、感情に訴える技術ってものに、ドギモ抜かれます。
俳優さんたちの語り口を聞いてても、ハリウッドと日本のそれとでは知性に雲泥の差があります。
書物などでつづられるわが日本語の、細やかに心配りのゆきとどいた文章表現に比して、当意即妙を求められる口頭表現はなぜだか著しくチープです。
粗末かつ投げやり。
これは場数の足りなさが第一の原因でしょう。
せめて、自分の言わんとするところのものを正確に伝達する術くらい知っといてほしいなー、そして会話の場で積極的にヤスリにかけてほしいなー、と思わずにはいられません。
「奥ゆかしさ」という高尚な文化にかまけて、言葉の技術を磨くことを怠けたら、すぐに阿呆になってしまいますよ、日本。
そもそも日本人は、コミュニケーションの場で、言葉数を費やすということに心を砕かなすぎます。
もっとがんばってしゃべる。
それが、コミュニケーション能力、ひいては知性を高める唯一の方法だと思うのですが。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
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