裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

人間でないひと

2009年07月07日 09時04分00秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
「誰でもよかった」らしいです、パチンコ店放火殺人犯。
どんだけ甘えてるんでしょうか?
ぼくは「死ね」という言葉は使わない人間だけど、この手のケースにはさすがに、そう叫びたくなります。
火あぶりの刑にしろ、という意見もありますが、同感だなー。
こういう無差別虐殺をみてると、同じ日に起こった「同級生刺殺」の犯人のほうに、まだ人間味を感じてしまいます。(こちらのケースも絶対許せんけど)
後者のほうは、自分の手で直接に事をやってのけたわけだからね。
つまり、相手の死をその手に感触する、という、まあ言えば、「殺人」における最低限の作法を守ってます。
だけど、見も知らぬ赤の他人にガソリンをまき、火をつけて逃走、なんつーやり口には、直接ひとの死に責任を負ってないっつーか、どうしようもなくテクニック頼みなところがあって、心底から軽蔑したくなります。
「殺した」のでなく「死なせた」感覚が茫洋と霧散してしまう、その効果をねらった、ずる賢い方法です。
むかしむかし、人類がこん棒で殴り合って決着をつけてた時代がありました。
その手から矢が放たれた時点で、無責任殺害、というものがはじまりましたんだとさ。(開高健論)
さらに矢が銃弾に代わり、ミサイルに代わり、ひとの指がスイッチに触れるとあっち側の人間が大量死する、という便利な世の中をぼくらは生きてます。
リアルに相手の痛みを理解する、ってことがなくなったわけ。
だけどこんなじゃね、人間性は失われていく一方ですよ。
正々堂々とこん棒で殴り合え、と言いたい。
こういう事件に触れると、ほんとに、人間って大丈夫かなあ・・・?と考え込まざるをえません。
絶望してもいいけど、心だけは失わないで、人間たち。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園